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	<title>水中考古学／船舶・海事史研究 &#187; 研究・学術</title>
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	<description>水中考古学／船舶・海事史研究は日本水中考古学の発展を目指しています。</description>
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		<title>串本沖　トルコ軍艦探査プロジェクト</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Feb 2007 13:36:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[2007年1月に行われた和歌山県串本沖の1890年に沈没したトルコ軍艦の事前調査に参加したときの様子などをまとめました。 事件発生 １８９０年、トルコにとって日本、そして日本にとってもトルコは遠い国だった。明治政府とオス [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2007年1月に行われた和歌山県串本沖の1890年に沈没したトルコ軍艦の事前調査に参加したときの様子などをまとめました。</p>
<p><span id="more-538"></span></p>
<div align="center"><font size="4">事件発生</font></div>
<p></p>
<p>１８９０年、トルコにとって日本、そして日本にとってもトルコは遠い国だった。明治政府とオスマン・トルコはお互いの国の親交を深めようとオスマン・パシャ一行６００人ほどを日本へと送った。明治天皇との謁見なども計画され両国の親睦を確かめる機会となった。この任務には木造蒸気軍艦エルテゥールル号が起用された。老朽船ということもあり、日本へ向かう途中修理を繰り返しながらの航海であった。予定が遅れたものの任務を終えた一行は横浜に停泊していた。帰国の途に着く前に日本側が船の完全な修理を勧めたが、コレラの流行などもあってか９月の台風シーズンにもかかわらず出港した。９月１６日から台風の影響と思われる暴風雨と波浪により船はコントロールを失いついには現在の和歌山県串本町大島の東の端にある樫野岬で座礁・沈没した。この事故で実に助かった者は６０名ほどのみで５００人以上が命を落とした。海運史に名をとどめる大海難事故となったのである。<br />
船の沈没から無事助かった者は大島の島民に手厚い介護を受けた。また、島民が一丸となり死体の回収なども積極的に行った。小さな漁村であったにもかかわらず島民が見ず知らずの外国人を助けたことに心を奪われたトルコ人は日本人に関心を示すようになる。また、その後に日本がトルコの宿敵ロシアに対馬海戦でバルチック艦隊を打ち破るなどの事件があり、いつしかトルコは親日国となっていった。イラン・イラク戦争で日本人捕虜がイランの領事館に閉じ込められた際にトルコ政府が飛行機で救助に向かったことは有名である。現在でもトルコで行われた街頭インタビューなどでは行きたい国のナンバー１は日本だそうである。</p>
<div align="center"><font size="4">２００７年の調査にいたるまでの経緯</font></div>
<p></p>
<p>１９７０年代からエ号が沈没した付近はダイバーによる海域調査がたびたび行われたようで、幾つかの遺物が発見、引き上げられ遺物は大島が管理している。当時、遺物には保存処理が施されておらず現在では劣化が進んでいる。島にはトルコ資料館や記念碑が建てられ観光客などが訪れている。<br />
さて学術的な海洋考古学の発祥の地、トルコですが、以前から研究者の間ではオスマン・トルコ時代の沈没船を調査したいと考えていたようで、いくつかプロジェクトとして立ち上げる候補があったそうです。しかし、歴史的価値などを吟味した結果日本で沈没したエ号の調査が進められることとなった。この研究にはトルコ海洋考古学研究所の所長のトゥファンさんが担当することになり、数年前に一度日本に下見にきている。そのときに串本町などと連絡を取り合い、今後の調査の可能性などを検討した。そして2006年からは2007年度の事前調査に向けてメンバー集めや調査費の獲得に動き出し始めた。トルコのファイナンシャルグループやトルコ航空などから調査協力、スポンサーとなり、2007年の調査が本格的に進められることになった。</p>
<div align="center"><font size="4">2007年の調査</font></div>
<p></p>
<p>2007年度の調査は事前調査であった。海洋考古学調査、とくに水中で遺跡がある場合、実際に何があるか遺跡・遺物の分布を特定するのは困難な場合がある。日本の発掘のように開発の緊急調査のために調査範囲がはっきりと確定されている調査とは全くことなるのである。つまり、どんな遺物がどれほどあり、どのような状況かを確認し、日本の受け入れ態勢なども吟味し、来年以降の活動の計画を立てるための確認作業であった。そのため発掘なども行わない。また、遺物を引き上げた際、保存処理を適切に行わないと遺物が劣化するため、むやみに引き上げることはできない。遺物を引き上げる場合、それを最後まで保存処理を施し、展示管理するプランや人材がなければ完全に無責任な発掘としかいえないであろう。この保存処理をどこでどう行うかを決めることも今回の重要な目的であった。</p>
<p>さて、水中に何があるか分からないが、実際に現場にいかずとも何がありそうかを調べることは出来る。主に文献資料に頼る。エ号は鉄のフレームに木材の外販を張った船であると伝えられている。長さは８０ｍほど。そして、帆を持った蒸気船であったので、エンジン・ボイラー・プロペラやシャフトなどがあったことが分かっている。沈没した際に船がサルベージされたそうだが、その記録を見る限り船体は引き上げられていなかった。大砲などの大きな遺物は明治時代に引き上げられたが、エンジンなどについては全く触れていないようである。つまり、これらの大きな鉄製の遺物はまだ海底に残っていると考えられた。</p>
<div align="center"><font size="4">マルチビームサーヴェイ</font></div>
<p>
船の大きな鉄の部品があるかどうか？それを調べるためにマルチビームソナー機器が使われることになった。海底ではレーザーなどが屈折するためイルカなどが使っているように“音”で地形を見ることが出来る。音波を使い海底面を3次元で復元するシステムがマルチビームシステムである。詳しくはこちらのサイトで。<a href="http://www.reson.com/sw1122.asp">http://www.reson.com/sw1122.asp</a></p>
<p>船の横に装置を設置し、GPSやモーションセンサーなどと組み合わせて正確な位置を割り出す。装置から発生された音波が跳ね返ってくる角度や時間などから地形を作り出す。定められた海域を行ったり来たりして海域をカバーした。音波がどんどん広がるように出るため、海底面が複雑だとその裏側までは分からないので、別の角度から機器を入れて地形を確認することになる。しかし、船が入れない場所はもちろん計測できない。また、音の跳ね返りから地形を割り出すシステムなので、砂に埋もれているものは確認できない。遺物が地表から突き出ていれば確認することが出来る。しかし、調査範囲を一日でカバーし、次の日には早速３D地形図が完成した。今回の調査は東洋テクニカさんの協力を経て調査した。<a href="http://www.toyo.co.jp/index.html<br />
">http://www.toyo.co.jp/index.html</a></p>
<p>マルチビーム調査の結果、海底地形が思ったいた以上に複雑であることが分かった。陸からは岩が張り出していたが、沖にでれば砂地と変わって平らになっていた。岩場では船体などの確認はマルチビームでは困難であるが、この平らな砂地にひとつ飛び出た地形（もしくは遺物）が確認された。この地点にダイバーを送り込んで確認を取ったが、単なる岩であることが判明。特に沖には遺物がないことが確認された。また、この３Dイメージをもとに遺跡の分布を直接マッピングしていくことも検討された。</p>
<div align="center"><font size="4">磁気探査</font></div>
<p>
磁気探査機は海底にある金属・磁気反応を読み取ることが出来る機械である。これにより海底面に埋もれている金属も発見することが出来る。マルチビームのように地形は出てこないが、磁気反応の強さにより等高線のように反応が強い場所、弱い場所がわかり、それにより金属性遺物の位置がつかめる仕組みである。今回の調査は応用地質さんの協力を得ることが出来た。<a href="http://www.oyo.co.jp">http://www.oyo.co.jp</a></p>
<p>こちらの機械は船の後ろに取り付けて引っ張るシステムを使う。船に近いと船に反応を示すことと、海底面に近いほうが良いためにこのような取り付けを行う。この海域は地形が複雑であったため、あまり機材を深く入れることができなかった。しかし、１ｍほどの金属があれば発見できると考えられるので、ボイラーなどの一部があれば発見できるはずである。マルチビームの地図を参考に調査範囲が設定された。岸に近い位置は機材が海底面に当たるのをさけるために省かれ、またあまり深い地点も探査をする必要がないと判断された。水深約２０－３０ｍのあたりを帯状に探査することが決まった。調査の結果は思いもよらず反応が全くなかった。つまり、大きな金属の遺物はその海域には存在していないことが分かった。</p>
<p>多少期待はずれに感じるかも知れないが、実はそこにないということは岸に近い部分にあるか、サルベージされた、もしくはすでに微塵に壊れたことを意味している。それが分かったということが成果になる。エ号は鉄製のフレームだといわれているが、実際には木造のフレームではなかったかとも考えられていた。また、沈没前にエンジンが大爆発を起こしたということも伝えられており、金属反応がないことはこれらの可能性を考える上での参考となる。また、岸に近い部分を発掘し、ボイラーなどがこれから発見される可能性も否めないので、遺物が散乱していないことの証拠にもなる。</p>
<div align="center"><font size="4">ダイビング調査</font></div>
<p>
マルチビーム、磁気探査、言い伝え、30年前からたびたび行われてきた引き上げなどの情報を元に遺物が散乱しているであろう地点に直接潜って探査することになった。ダイビングチームはトルコ、アメリカ、日本人などによるチームである。8人ほどのダイバーで、一日約1時間の2回のダイブが行われた。だいたい10日ほど調査が行われた。ハンドタイプの金属探知機なども使われ遺物の位置が確認された。最初に大きなエリアが調査され、どんどん遺物が集まる場所を限定していく方法が取られた。３Dマップを使って遺物の分布図を直接書き込もうと言う計画は遺物の分布がマップのエリア外であったために出来ないことがわかった。</p>
<p>鉄製の遺物は長年海水に浸かると化学反応を起こし、コンクリーションを形成する。これは鉄分が溶け出し、周りの砂やカルシウムと結合し凝固し、遺物の周りに岩のような殻を作り出すことになる。普通の人が見ただけでは単なる岩にしか見えない。これは金属探知機や熟練した“目”で見つけることが出来る。さて、ダイビングを繰り返していくうちに日本のダイバーも遺物の見分け方がわかったきたようでどんどん遺物を確認できるようになっていった。これにより遺物の集中する地点が確認された。この海域は岩が多く、岩の下にも遺物が確認された。これは、船が沈没した後に岩が動いている。また砂があまりないので遺物の保存状態はそれほど良くはないだろう。有機物などは砂に埋もれることで酸素から隔離され、バクテリアなどの分解からも免れる。しかし、岩場では有機物はどんどん劣化が進む。ただし、岩の下から遺物が発見される可能性が高い。岩の下では逆に安定した状態で無酸素になる可能性もあり、一度岩を動かして発掘を行う必要がある。しかし、今回発見された遺物のほとんどは金属性のものばかりで保存処理はこのような状況に対応することが考えられる。</p>
<div align="center"><font size="4">来年以降の調査</font></div>
<p>
2008年からは串本町から借りることが出来た旧樫野小学校を本部に調査が進められることになる。最初に岩を動かし、その下から出てきた遺物の位置を確認し引き上げる作業になる。あまり大きな遺物はないため、保存処理もそれほど大掛かりなものは必要としない。私の考えでは電子還元法（ER）でほとんど対処できると考えられる。また、有機物もあるが、小さな遺物がほとんどであろうから、シリコン・オイルを使った保存処理方法が妥当であろう。実際の保存処理に関してはこれから検討されていくであろう。</p>
<div id="attachment_849" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/monument_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/monument_resize-400x597.jpg" alt="トルコ軍艦記念碑の前で写真撮影" title="monument_resize" width="400" height="597" class="size-medium wp-image-849" /></a><p class="wp-caption-text">トルコ軍艦記念碑の前で写真撮影</p></div>
<div id="attachment_836" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/museum_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/museum_resize-400x329.jpg" alt="こちらは以前に引き上げられた遺物などが展示してある資料館です" title="museum_resize" width="400" height="329" class="size-medium wp-image-836" /></a><p class="wp-caption-text">こちらは以前に引き上げられた遺物などが展示してある資料館です</p></div>
<div id="attachment_843" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/multibeam-02_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/multibeam-02_resize-400x298.jpg" alt="マルチビームシステム" title="multibeam-02_resize" width="400" height="298" class="size-medium wp-image-843" /></a><p class="wp-caption-text">マルチビームシステム</p></div>
<div id="attachment_842" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/multibeam-01_resize.jpg"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/multibeam-01_resize-400x267.jpg" alt="船の上から調査中にマルチビームのデータを見ることができます" title="multibeam-01_resize" width="400" height="267" class="size-medium wp-image-842" /></a><p class="wp-caption-text">船の上から調査中にマルチビームのデータを見ることができます</p></div>
<div id="attachment_840" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/mag01_resize.jpg"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/mag01_resize-400x267.jpg" alt="こちらが使用した磁気探査装置です" title="mag01_resize" width="400" height="267" class="size-medium wp-image-840" /></a><p class="wp-caption-text">こちらが使用した磁気探査装置です</p></div>
<p>調査海域はこんなところです。岩場で沈没しました</p>
<div id="attachment_839" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/diving02_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/diving02_resize-400x267.jpg" alt="日本人ダイバーも使っての潜水調査です。彼らは良く働いてくれました。感謝です" title="diving02_resize" width="400" height="267" class="size-medium wp-image-839" /></a><p class="wp-caption-text">日本人ダイバーも使っての潜水調査です。彼らは良く働いてくれました。感謝です</p></div>
<div id="attachment_851" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/diving01_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/diving01_resize-400x597.jpg" alt="潜る瞬間！" title="diving01_resize" width="400" height="597" class="size-medium wp-image-851" /></a><p class="wp-caption-text">潜る瞬間！</p></div>
<p>海洋考古学の父ことジョージ・バス先生がお弁当を食べてるところ</p>
<p>画家マチスのお孫さんのクロードさんです。75歳ですが、ばりばり元気に潜ります。海洋考古学の発展に惜しまず協力してくれています</p>
<div id="attachment_837" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/sukiyaki_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/sukiyaki_resize-400x267.jpg" alt="地元の人に誘われてすき焼きパーティです" title="sukiyaki_resize" width="400" height="267" class="size-medium wp-image-837" /></a><p class="wp-caption-text">地元の人に誘われてすき焼きパーティです</p></div>
<div id="attachment_835" class="wp-caption alignnone" style="width: 410px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/turkish-shop_0.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/turkish-shop_0-400x268.jpg" alt="記念碑のすぐ横にはトルコ人が経営するお土産店があります" title="turkish-shop_0" width="400" height="268" class="size-medium wp-image-835" /></a><p class="wp-caption-text">記念碑のすぐ横にはトルコ人が経営するお土産店があります</p></div>
<div id="attachment_838" class="wp-caption alignnone" style="width: 351px"><a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/sunrise_resize.jpg" rel="lightbox"><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/sunrise_resize-341x400.jpg" alt="宿泊先のロイヤルホテルから見た日の出。橋杭岩がとても心にのこりました" title="sunrise_resize" width="341" height="400" class="size-medium wp-image-838" /></a><p class="wp-caption-text">宿泊先のロイヤルホテルから見た日の出。橋杭岩がとても心にのこりました</p></div>
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		</item>
		<item>
		<title>沈没船リスト</title>
		<link>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/20060514392.html</link>
		<comments>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/20060514392.html#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 13 May 2006 22:45:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[去年にジョージ・バス先生が編集した本が出版されました。この本はこれまでのInstitute of Nautical Archaeology（INA)の関連したプロジェクトの総まとめのようなものです。今回ここではそのプロジ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>去年にジョージ・バス先生が編集した本が出版されました。この本はこれまでのInstitute of Nautical Archaeology（INA)の関連したプロジェクトの総まとめのようなものです。今回ここではそのプロジェクトの簡単な紹介をします。なお、著作権の問題があるのでこれらの写真を見れるサイト（主にINA Virtual Museum)にリンクをしてあります。Artifact Image Galleryをクリックするとたくさんの写真を見ることができます。</p>
<p><span id="more-392"></span></p>
<div align="center"><font size="6">最古の沈没船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">1. Seytan Deresi</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/seytan/seytanderesi.htm"><font size="3">シャイタン　デレシ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>年代　１６００ＢＣ？　　水深　２７－３３ｍ　　発掘　１９７５年</p>
<p>	土器の分布が確認されたが船体は見つかっていない。沈没船ではなく遺物	が投棄された場所か？</p>
<p><font size="4">2.Uluburun</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/ub_main.htm"><font size="3">ウルブルン　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>	年代　		１３００ＢＣ<br />
	　　水深　		４１－６１ｍ<br />
	　　発掘　		１９８４－１９９４　<br />
	　　潜水時間　	２２５００時間<br />
	　　船体		長さ１５ｍ</p>
<p>	世界最古の確認され発掘された沈没船である。エジプトからの財宝や貴重	な遺物が数多く発見され、当時の交易の広さを再確認する結果となった。	船体も確認され外板主体構造の発達を見ることも出来た。</p>
<p><font size="4">3. Cape Gelidonya</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/capegelidonya.htm<br />
"><font size="3">ケープ　ゲラドニヤ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>	年代		１２００ＢＣ<br />
	　　水深		２６－２８ｍ<br />
	　　発掘		１９６０年<br />
	　　発掘費用	＄１８０００</p>
<p>ジョージ・バス先生最初の水中発掘。銅のインゴットなどが確認されたが、船体はほとんど残っていなかった。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">古代ギリシャの沈没船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">4.  Pabuc Burnu</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/pabucburnu/"><font size="3">パブチ　ブルヌ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>	年代		６世紀ＢＣ<br />
	　　水深		４２－４５ｍ<br />
	　　発掘		２００２－２００３<br />
	　　アンフォラ	約２００個<br />
	　　船体		長さ２０ｍ</p>
<p>	ギリシャ古典時代の船であり、縄を使い外板を繋ぎ合わせていることが確	認された。この作り方はこれまでエトラスカン（古代ローマ）特有の技法	だと考えられていたが、この発見により実はギリシャ人がこの技法を用い	ていたことが分かった。</p>
<p><font size="4">5. Tektas</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/tektasburnu/"><font size="3">テクタシュ　ブルヌ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>	年代		４４０－４２５ＢＣ<br />
	　　水深		３８－４５ｍ<br />
	　　発見		１９９６年　ＩＮＡサーヴェイ<br />
	　　発掘		１９９９－２００１<br />
	　　ダイブ数	５０４６<br />
	　　アンフォラ	２１３個</p>
<p>アテネが制海権を握っていた、もしくはペロポネソス戦争時代の船。船に取り付けた大理石の“目”などが発見されたことで有名となった。この遺跡の水中実測にフォトモデラーが使われ、３次元のサイトマップが作られた。</p>
<p><font size="4">6.  Kyrenia</font>　　</p>
<p>	年代		３２５-３１５ＢＣ　（沈没　２９５-２８５ＢＣ）<br />
	　　水深		２７－３０ｍ<br />
	　　発掘		１９６８－１９６９<br />
	　　船体		長さ１４ｍ　幅４．２ｍ</p>
<p>ウルブルンに次ぐ有名な船。保存状態が良く、復元船が作られ日本にも入港した。ほぞを利用した外板同士を組み合わせる方法で作られた典型的な外板先行構造の船。</p>
<p><font size="4">7.La Secca di Capistello</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/lipari/lipari.htm"><font size="3">カピステロ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　　<br />
	年代		３世紀ＢＣ<br />
	　　水深		５９－８０ｍ<br />
	　　発掘		１９７６－１９７７<br />
	　　１ダイブ　	５．５時間<br />
	　　潜水時間	合計　１５７時間</p>
<p>	イタリア沖で発見された船で、飽和潜水による発掘が行われた。当時とし	ては一番深い水深で発掘された遺跡であったが、コストや安全面などの問	題があったためあまり使われなくなった。</p>
<p><font size="4">8.Serce Limani</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/SLhell/SLhellenistic.htm"><font size="3">セルチリマナ（ヘレニズム時代）イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
沈没		２８０－２７５ＢＣ<br />
	　　水深		３５－３７ｍ<br />
	　　発掘		１９７９－１９８０<br />
	　　アンフォラ	役１０００個<br />
	　　船体		１８ｍ</p>
<p>この船はヘレニズム時代のもの。水底でのがけ崩れの土砂に埋もれていた。　岩を動かすとがけ崩れを再発させる可能性があるため貴重な遺物も	まだ水底面に残されたまま発掘は打ち切られた。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">ローマ・ビザンツ時代</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">9.Kinneret Boat</font>　　　</p>
<p>	年代		１世紀ＢＣ－ＡＤ<br />
	　　発掘		１９８６<br />
	　　調査		イスラエル考古学本部<br />
	　　船体		８ｍ</p>
<p>イスラエルを襲った干ばつの際にガリラヤ湖で発見された小さな釣り船。修復の跡や船材の再利用が確認され、長期間使われていたことが分かった。</p>
<p><font size="4">10.Yassiada７世紀</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/yassiada7.htm"><font size="3">ヤシアダ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		ＡＤ６２５以降<br />
	　　発掘		１９６１－１９６４<br />
	　　水深		３２－３９ｍ<br />
	　　船体		長さ２１ｍ<br />
	　　ダイブ数	合計３５３３</p>
<p>	ヤシアダの名前はまた後でも出てきます…　さて、この沈没船は外板主体構造からフレーム主体構造への過渡期にあると考えられています。船の底部は外板を組み合わせてからフレームを入れてますが、船の上部はフレームを先に立ち上げている可能性があります。</p>
<p><font size="4">11.Tantura Lagoon</font>　　　<a href="http://www.vizin.org/projects/master.htm#tantura/html/tantura.htm"><font size="3">タントュラ　ラグーン　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		ＡＤ４-１０世紀、１８世紀<br />
	　　発掘		１９９４－１９９６<br />
	　　場所		イスラエル　Ｄｏｒ遺跡の港跡<br />
	　　沈没船の数	７隻</p>
<p>	　　シルト層が厚く堆積していたため、無数の船が時代を超えて保存されてい	ます。９世紀の船はフレーム主体構造で作られており、外板主体構造から	完全にフレーム主体構造へと発達した最初の船の証拠です。</p>
<p><font size="4">12.Bozburun</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/bozburun.htm"><font size="3">ボズブルン　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		８８０年ごろ沈没<br />
	　　水深		３０－３５ｍ<br />
	　　発掘		１９９５－１９９８<br />
	　　積荷		１２００－１５００個のアンフォラ<br />
	　　船体		長さ１５ｍ　幅５ｍ</p>
<p>船は外板主体構造からフレーム主体構造への過渡期であると考えられており、船が何かのプランに沿って作られた可能性があるそうです。アンフォラの作りが全体的に悪く、また形もまちまちでした。アンフォラをリサイクルしているのでしょう。いわゆるヨーロッパの中世のこの時期は経済的にアラブから圧迫を感じていた時期でした。</p>
<p><font size="4">13.Serce Limani</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/SerceLimani.htm"><font size="3">セルチリマナ（１１世紀）イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		１０２５年ごろ<br />
	　　水深		３３ｍ<br />
	　　発掘		１９７７-１９７９年<br />
	　　ガラス容器	１０－２０，０００個<br />
	　　船体		長さ１５．６ｍ</p>
<p>ウルブルンにつぎ、一番有名な沈没船ではないでしょうか？積荷のメインはリサイクルに使われるガラスの破片です。チェスやバックギャモンのピースも発見されています。Ｔａｎｔｕｒａ発見以前までは最初のフレーム主体構造で作られた船だと言われてました。</p>
<p><font size="4">14.Camalti Burnu</font>　　　</p>
<p>年代		１３世紀<br />
	　　水深		２２－３５ｍ<br />
	　　発掘		１９９８-２００４年<br />
	　　積荷		アンフォラ８００個と３７個の錨<br />
	　　船体		長さ２５ｍ、幅５－６ｍ</p>
<p>この時代になるとアンフォラはほとんど使われなくなります、古代から続いていた歴史が変わっていきます。発見された持ち物などから修道院のメンバーが乗っていたのではないかと言われています。３７個の錨は一体なぜ必要だったのでしょう？積荷の一部でしょうか？</p>
<p><font size="4">15.Black Sea Shipwrecks</font>　　</p>
<p>	年代		５-６世紀<br />
	　　水深		３２０ｍ<br />
	　　発掘		水中ロボットにより一部発掘<br />
	　　船体		長さ１３ｍ<br />
	　</p>
<p>黒海はその昔、湖でした。しかし、海水が流れ込み環境が大きく変わってしまいました。この時、海水と淡水は混ざり合わず、海水の下の無酸素状態の淡水層が出来ました。この無酸素の状態では有機物の保存が驚くべき良かったのです。ただし、無酸素層は２００ｍ以下。スキューバではなかなか潜れないため、バラード博士が水中ロボットを駆使し、発掘を行っています。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">中世の沈没船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">16.新安沈没船</font>　</p>
<p>	年代		１３２３年<br />
	　　水深		２０ｍ<br />
	　　銅銭		７，０００，０００枚<br />
	　　船体		長さ２８．４ｍ　幅６．６ｍ</p>
<p>なぜ新安沈没船がＩＮＡと関係あるのか？ＩＮＡからＤｏｎ　Ｋｉｅｔｈが韓国に派遣され、調査をしました。この沈没船については改めて解説することもないでしょう。南部中国から出発した船で博多に向かう途中でした。日本は中国から大量の銅銭を輸入していました。</p>
<p><font size="4">17.Almere</font>　</p>
<p>	年代		１４２２-１４３３年<br />
	　　発掘		１９８６年<br />
	　　積荷		不明<br />
	　　船体		長さ１６．４ｍ　幅４．２ｍ　３０トン</p>
<p>中世北欧のハンザ同盟を世界最初の多国籍経済同盟として成功させた理由にはコグ船の唐最良と安定性の効率の良さの影響があります。さて、こ	の船は水中ではなく畑の真ん中から発見されました。カルゴなどはすべて	なく、昔、浅瀬だったところに破棄された船だったのでしょう。</p>
<p><font size="4">18. Ko Si Chang</font>　</p>
<p>	年代		１６００年ごろ<br />
	　　水深		３２ｍ<br />
	　　発掘		１９８３、１９８５年<br />
	　　船体		長さ２０ｍ</p>
<p>タイで発見された沈没船です。オーストラリアのＪｅｒｅｎｙ　Ｇｒｅｅｎ博士が発掘を担当しました。Ｋｏ　Ｓｉ　Ｃｈａｎｇの他にもＰａｔａｙｙａ、Ｋｏ　Ｋｒａｄａｔ沈没船なども発掘しました。中国からの影響を受けているもの、中国から移民した人が作った、東南アジアの影響を受けた船などいろいろあります。船の考古学の専門家にとっては面白い発掘がタイにはたくさんあります。</p>
<p><font size="4">19.Yassiada</font>　</p>
<p>	年代		１６-１７世紀<br />
	　　水深		３９－４３ｍ<br />
	　　発掘		１９６７、１９８２-１９８３年<br />
	　　船体		長さ２０ｍ、幅７ｍ</p>
<p>ヤシアダとはトルコ語で“平たい島”という意味です。周りが深い海なのですが、ここだけぽつんと浅瀬になっており、夜に航海をしていると浅瀬に気がつかず沈んでしまう運命にあります。そのため、この遺跡では時代	の違う船が重なり合って発見されました。この沈没船はオスマントルコの	軍艦ではないかと言われています。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">１７世紀の難破船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">20. Zuiderse</font>　</p>
<p>	年代		１７世紀後半<br />
	　　発見		１９６２<br />
	　　発掘		１９８９<br />
	　　船体		長さ　１６．５　ｍ</p>
<p>この船はオランダのとある畑のど真ん中から発見されました。１７世紀には海岸だったのが埋まったそうです。カルゴなどはほとんどなかったのですが、頑丈に作られた商船です。この時期になると、現代作られている“伝統的”な船との対比が出来ます。これ以前では船の作り方などが違っており、直接に関連付けることが難しいです。</p>
<p><font size="4">21.Pepper Wreck</font>　　　<a href="http://nautarch.tamu.edu/shiplab/projects%20pw%20index%201.htm"><font size="3">ペッパーレック　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		１６０６年　９月１４日　沈没<br />
	　　水深		１０　ｍ<br />
	　　発掘		１９９６－２００１<br />
	　　積荷		胡椒、陶磁器など<br />
	　　船体		長さ　４０ｍ</p>
<p>ポルトガルの船でインドまで航海をし、あと少しでリスボンに着く前に大量の胡椒を積んだまま沈没してしまいました。胡椒の他にもアジアの陶磁器が積まれていました。いわゆる南蛮船で、実は日本人も乗っていました。彼はミゲルと改名しており、日本刀の一部なども発掘されました。ミゲルは救助され、後に中国に移住したことがわかっています。</p>
<p><font size="4">22. Monte Cristi</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/montecristi.htm"><font size="3">モンテ　クリスティ　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		１６５８－１６６５<br />
	　　水深		４．４　ｍ<br />
	　　発掘		１９９１-現在<br />
	　　積荷		５００，０００個ほどのタバコのパイプ</p>
<p>ドミニカ協和国では幾つかプロジェクトが行われています。発見されたパイプはオランダで作られたものですが、ヨーロッパ人用の物だけではなく、アメリカ・インディアンが好むデザインのものもありました。当時の貿易のメカニズムを知る上で重要な資料として研究が進められています。</p>
<p><font size="4">23. La Belle</font>　　　<a href="http://www.thc.state.tx.us/belle/<br />
"><font size="3">ベル号　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		建造　１６８４年　沈没　１６８６年<br />
	　　水深		３．４　ｍ<br />
	　　発掘		１９９６-１９９７年<br />
	　　船体		長さ　１６．５ｍ　幅　４．６ｍ</p>
<p>フランスの冒険家Ｌａ　Ｓａｌｌｅの船でテキサス沖で沈没しました。新しい領土への探検は失敗に終わっていますが、Ｌａ　Ｓａｌｌｅはフランス、アメリカの歴史上、有名な人物として知られています。水深が浅かったため、ドライドック方式で発掘されました。発掘は終わりましたが、現在でもテキサスＡ＆Ｍの保存処理ラボで遺物の保存・研究が行われています。</p>
<p><font size="4">24. Port Royal</font>　　　<a href="http://nautarch.tamu.edu/portroyal"><font size="3">ポートロイヤル　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		１６９２年　６月７日　１１：４３分　<br />
	　　面積		１３ヘクタール<br />
	　　発掘		１９８１－１９９０<br />
	　　水深		２．７　ｍ</p>
<p>ジャマイカの港、ポート・ロイヤルは映画「パイレーツ　オブ　カリビアン」にも登場した有名な海賊の港でした。１６９２年の地震と津波により島の人口７－８０００人のうち５０００人ほどが亡くなったと言われています。建物の構造、道の作りなど当時のまま発見されました。また、沈没船も何隻か見つかっています。</p>
<p><font size="4">25. Mombasa Wreck</font>　　　<a href="http://www.diveturkey.com/inaturkey/mombasa.htm"><font size="3">モンバサ沈没船　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>　<br />
年代		１６８１年建造　　１６９７年沈没<br />
	　　水深		１８ｍ<br />
	　　発掘		１９７７－１９８０<br />
	　　船体		竜骨　３０ｍ</p>
<p>この船はポルトガルの占領下にあったインドのゴアで作られました。ポルトガルがインド洋の制海権を失いつつあった時代に作られ、ケニアのJesus砦の前で撃沈させられてしまいました。ケニアとINAの協力の下、船の一部が発掘されました。インドの職人とポルトガルの船大工の技術の融合を調べるため、最近新たに研究が進められています。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">１８世紀の難破船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">26.Great Basses Reef</font></p>
<p>年代		１８世紀<br />
	　　場所		スリランカ<br />
	　　調査		１９９３年</p>
<p>地中海に比べインド洋の沈没船の調査はあまり知られていません。スリランカの南に位置する紺の遺跡もあまりメジャーではないでしょう。しかし、この地域には無数の沈没船が存在しています。オーストラリア海洋博物館のGreen氏が調査を行い、オランダの船などを発見しています。</p>
<p><font size="4">27.Sadana Island</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/sadana.htm"><font size="3">紅海サダナ島　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>年代		１７６５年<br />
	　　水深		３０ｍ<br />
	　　発掘		１９９５－１９９８<br />
	　　船体		長さ５０ｍ	幅１８ｍ	９００トン</p>
<p>紅海にも無数の沈没船があることでしょう。その中の一つがこの遺跡です。オスマン帝国が力を振るっていた時代です。発掘された船には中国製の陶磁器などが積まれていました。また、壷などの中身や遺跡から花粉なども検出され調査されました。</p>
<p><font size="4">28.The Plantation Vessel</font></p>
<p>年代		１７８０－１８１０年<br />
	　　発掘		１９９２年<br />
	　　船体		長さ１３．４ｍ　　幅　５．１ｍ</p>
<p>ジョージア州で発掘された貨物船です。国家プロジェクトで川の流れを変えた後、泥の中から発見されました。積荷や遺物などはほとんどなく、捨てられた船だったのでしょう。１日に平均４匹のワニが遺跡の近くを訪れたそうです。</p>
<p><font size="4">29. Privateer Defence</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/defence/defence.htm"><font size="3">ディフェンス号　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>年代		１７７９年製造および沈没<br />
	　　発掘		１９７５年―１９８１年<br />
	　　船		大砲の数　１６　船員　１００人</p>
<p>アメリカ独立戦争時の船です。イギリス軍に追い詰められた船長が船の爆破を命じた。発掘の結果、予想以上の遺物の種類と数が発見され、爆破の命令が下された後、数分で船から船員をすべて移動させたと伺える。貴重品などを含めさまざまな遺物が残されたまま沈んだ。</p>
<p><font size="4">30.The Betsy</font></p>
<p>年代		１７７２年製造　　１７８１年沈没<br />
	　　水深		７ｍ<br />
	　　発掘		１９８２－１９８８年<br />
	　　船体		長さ　２３ｍ　　１７６トン</p>
<p>アメリカ独立戦争のヨークタウンの戦いの際に沈没した船のうちの一つ。視界が悪かったため、回りを囲み、水をフィルターを通して発掘を行った。ドライドックにしなかった理由は遺物の乾燥を防ぐためとこのほうが安上がりであるため。また、沈没船遺跡から花粉などを本格的・体系的に調査した最初の例でもある。</p>
<p><font size="4">31.The Ten Sail</font></p>
<p>年代		１７９４年　２月８日<br />
	　　船		HMS　Convert　他９隻<br />
	　　場所		ケイマン・アイランド</p>
<p>ダイビングの名所、ケイマン・アイランドで歴史的にもっとも有名な沈没船は個の１０隻でしょう。１９８０年代から調査の計画があり、９０年代に本格的な調査がおこなわれました。１９９４年にはエリザベス女王も遺跡を訪れました。</p>
<p></p>
<div align="center"><font size="6">近・現代の発掘された船</font></div>
<p></p>
<p><font size="4">32.Cleopatra’s Barge</font></p>
<p>年代		１８１６年製造　　１８２４年４月６日沈没<br />
	　　船名		Ha’aheo o Hawai’i<br />
	　　発掘		１９９５－２０００<br />
	　　船体		３０．５ｍ</p>
<p>マサチューセッツで大金持ちの船大工が製造。豪華絢爛に作られたヨットでした。その後、ハワイのカメハメハ２世が購入。ハワイ到着後沈没。しかし、カメハメハ２世はイギリスにいたが、船の沈没のニュースを聞く前に病死してしまった。</p>
<p><font size="4">33.A Horse Powered Ferry</font></p>
<p>年代		１８２０－４０年製造<br />
	　　水深		１５ｍ<br />
	　　船		船員　２－４人、馬２匹<br />
	　　船体		長さ　１８ｍ　幅　４．６ｍ</p>
<p>１９世紀初期のトレンディーな発明は“馬”をエンジンとして利用することであった。いろいろな思考錯誤があったようです。馬をぐるぐる歩かせる方法は馬が船酔いをするため失敗など。結局は、この発掘された船の方法（馬を固定させ、ベルトの上を歩かせ、そのベルトが軸と歯車で外輪を回す）が一番効率が良かったが、蒸気エンジンがすぐに一般的となり、水の上を歩く馬は、一部の人以外には忘れられた存在となった。</p>
<p><font size="4">34.Red River Wreck</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/redriver/index.html"><font size="3">レッドリバー　イメージ</font></a></body></p>
<p>年代		１８３８年　５月　沈没<br />
	　　発掘		２００１年から２００６年現在進行中<br />
	　　船		１６０トン　　船員　　２０人<br />
	　　船体		長さ　４２．７ｍ　幅　７．３ｍ</p>
<p>オクラホマ州唯一の調査された沈没船で、テキサスとの州境を流れるRed　Riverで沈没。透明度がほとんど０、そして川の流れが速い中、発掘を行っている。外輪ボイラーエンジンを搭載していた。豚のドラム缶詰めなども発掘された。</p>
<p><font size="4">35.The Denbigh</font>　　　</p>
<p>年代		１８６５年　５月に撃沈<br />
	　　発掘		１９９８－２００２<br />
	　　船		カルゴ　コットン　　船員　　２１人<br />
	　　船体		長さ　５５．５ｍ　　幅　６．７ｍ</p>
<p>アメリカ南北戦争時にアメリカとヨーロッパの間で密輸を行っていた船です。イギリスのエンバルゴは効果的でしたが、デンビーは１３往復もしたそうです。これは当時としてはかなりの記録です。サイドスキャンソナーで調査をしたそうですが、珍しく初日に発見したそうです。あまりにも簡単に発見できたので逆に興奮も冷めてしまったとか。</p>
<p><font size="4">36.The Lake Champlain Wrecks</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/LChamplain.htm"><font size="3">シャンプレン湖　イメージ</font></a></body></p>
<p>年代		１８-１９世紀<br />
	　　水深		１２２ｍ以下<br />
	　　湖の長さ	１０３ｋｍ<br />
	　　船の数		２５０隻作られました</p>
<p>Ｌａｋｅ　Ｃｈａｍｐｌａｉｎは日本人にとっては馴染みのない地名でしょう。この湖（川？）は南北に細長くカナダとアメリカを結ぶため、戦略的に重要な意味を持っていました。独立戦争、そして特に１８１３年のアメリカとイギリスの戦争のときに重要な戦いの舞台となり、数々の軍艦が沈み、そして、発掘されています。</p>
<p><font size="4">37.The Titanic</font></p>
<p>年代		１９１２年４月１２日沈没<br />
	　　水深		３７９８ｍ<br />
	　　船員		２２０７人　(内生存者　７０５人)<br />
	　　船体		長さ２６９ｍ</p>
<p>言わずと知れたタイタニック号です。バラード博士とフランスが合同調査を行い、発見しました。バス先生も潜水艦に乗ってタイタニックを見てきました(その時取った８ミリビデオなどを見せてもらいました)。どうでもいい話ですが、タイタニック号のそばで潜水艦の中で結婚式を挙げた人もいるとか…また、この船の石炭を買うことが出来ます。バラード博士は研究目的のためのみにタイタニックが使われることを願っていましたが、残念ながら有名になり、コマーシャリズムにのっとられたた例となってしまいました。</p>
<p><font size="4">38.Truk Lagoon</font></p>
<p>船名		札幌丸<br />
	　　年代		１９４４年４月沈没<br />
	　　用途		底引き網漁船から軍事輸送船に転換<br />
	　　トン数		３６１トン</p>
<p>トラック諸島には無数の旧日本軍の沈没船が眠っています。この中の一つ、札幌丸がグリーン博士によって調査されました。サイドスキャンによるサーヴェイ、そして撮影などが行われました。</p>
<p><font size="4">39.D-Day Craft</font>　　　<a href="http://ina.tamu.edu/neptune.htm"><font size="3">ノルマンディー　イメージ</font></a></body>
</p>
<p>年代		６月６日　１９４４<br />
	　　船の数		５５００隻<br />
	　　装甲車の数	３０，０００台<br />
	　　戦車の数	１２８台</p>
<p>６月６日、１９４４年はヨーロッパの歴史にとっては大きな意味を持って	います。ノルマンディー上陸作戦、ことＤ－Ｄａｙです。この船上跡地に	も水中考古学のメスが入ります。主に、サーヴェイが行われました。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>世界考古学会議中間会議大阪大会</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Nov 2005 05:57:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[世界考古学会議中間会議大阪大会が来年の１月に行われます。 今回はその宣伝です。ここに書かれているものはだいたいが世界考古学会議中間会議大阪大会のページを引用しています。詳しくは大会のサイトへどうぞ。 テーマ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>世界考古学会議中間会議大阪大会が来年の１月に行われます。<br />
今回はその宣伝です。ここに書かれているものはだいたいが世界考古学会議中間会議大阪大会のページを引用しています。詳しくは大会のサイトへどうぞ。<br />
テーマや趣旨などをご覧下さい。</p>
<p><a href="http://wacosaka.jp/Pages/mainj.html">http://wacosaka.jp/Pages/mainj.html<br />
  </a></p>
<p>テーマ：「共生」の考古学～過去との対話、遺産の継承～</p>
<p><a href="http://wacosaka.jp/Pages/acceptedspapers.html">http://wacosaka.jp/Pages/acceptedspapers.html<br />
</a></p>
<p><span id="more-219"></span></p>
<p>［趣旨］<br />
　集団間の「違い」に起因する紛争は、かつてない規模で繰り広げられた２０世紀を経た今もなお、止む気配がない。社会が複雑・多様化してますます違いが顕在化する２１世紀こそ、互いの個性を認め合い、共に生きる、共生の時代となるべきである。<br />
　こうした中、人類史上において民族、宗教、文化、地域を異にする集団どうしが接触することに対し、考古学者はどのようにアプローチすることができるのだろうか。また、解明の鍵を握る各種の文化遺産に対して、どのように我々は将来を見据え、向き合っていくべきなのだろうか。<br />
　「共生の考古学～過去と対話、遺産の継承～」は、人類史上における「共生」というテーマに考古学的手法によってアプローチするとともに、直接の証拠である文化遺産との共存を考察することで、人類の将来を展望するものである。</p>
<p>世界考古学会議について</p>
<p>　世界考古学会議（ＷＡＣ）は１９８７年に設立された世界最大の考古学の国際フォーラムである。４年に一度開催される本大会は、世界各地から数多くの研究者が参加し、研究報告や意見交換を行い（２００３年第５回ワシントン大会は７５ヶ国１２００名参加）、その成果は多数の書物として結実している。<br />
　本大会の間には、複数の中間会議が開かれるが、東アジアの開催は今回が初めてである。同時にＷＡＣ委員会も開催され、約３０ヶ国からの参加者が予定されている。</p>
<p>WAC中間会議大阪大会の研究発表では、以下の３つのテーマに関する様々なセッションを予定しています。</p>
<p>Theme 1 : 過去との対話<br />
過去における異なる集団の共存関係、集団と環境の関係にアプローチする。<br />
キーワード<br />
狩猟採集民と農耕民，中心と周辺，国家形成，戦争，移住者と在来集団，人間活動と環境変化など</p>
<p>Theme 2 :「差異」と「共生」<br />
過去から現在にいたる集団間・内の「差異」について、その歴史性や現代的課題にアプローチする。<br />
キーワード<br />
先住民族、ポストコロニアリズム、差別、ジェンダーなど</p>
<p>Theme 3 : 遺産の継承<br />
文化遺産・考古学と現代社会をめぐる諸問題に多角的にアプローチする。<br />
キーワード<br />
文化遺産、保存と活用、法律と制度、観光、教育、パブリック考古学、ナショナリズムなど</p>
<p>日　程<br />
1.9（月）  全日  WAC委員会<br />
1.10（火）  全日  WAC委員会<br />
1.11（水）  全日  エクスカーションA,B<br />
1.12（木）  午前  受付開始・開会式・基調講演<br />
  午後  研究発表<br />
  夜  ウェルカムパーティ<br />
1.13（金）  午前・午後  研究発表<br />
  夜  懇親会<br />
1.14（土）  午前・午後  研究発表<br />
  夜  フェアウェルパーティ<br />
1.15（日）  午前  研究発表・閉会式<br />
  午後  シンポジウム<br />
1.16（月）～    エクスカーションC,D・WAC委員会</p>
<p>こちらは水中考古学関連の発表、ポスターセッションです。</p>
<p>Warfares and violences in the past and present.</p>
<p>   Tomo Ishimura WWII Archaeology and Recovery of the Remains: A Case in Palau.</p>
<p>   Randall J. Sasaki The Legend Beyond &#8220;Kamikaze&#8221;.</p>
<p>Poster session</p>
<p>   Jun Kimura Feasibility of underwater cultural heritage management in Japan.</p>
<p>   Amer Khan Heritage Management and Significance of Port Arthur&#8217;s Maritime Infrastructure.</p>
<p>大会へ出席した後、簡単なレポートを書く予定です。お楽しみに？</p>
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		</item>
		<item>
		<title>水中考古学を定義する</title>
		<link>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/20050708145.html</link>
		<comments>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/20050708145.html#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 08 Jul 2005 14:13:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[日本では”水中考古学”という言葉が使われているが、多少定義する必要があると思う。水中考古学という定義が曖昧であるために理解されにくいところがあると思う。これはあくまで私、個人の定義であって他の人は別の定]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本では”水中考古学”という言葉が使われているが、多少定義する必要があると思う。水中考古学という定義が曖昧であるために理解されにくいところがあると思う。これはあくまで私、個人の定義であって他の人は別の定義の仕方があることを最初に理解していただきたい。しかし、ここで提唱する定義はアメリカやヨーロッパでのごく一般的な“水中考古学”の解釈なので、世界に通用する定義でもある。基本的なことは他の記事でも同じようなことを書いているがここであらためて述べてみることにした。</p>
<p><span id="more-145"></span></p>
<p>英語では一般的に”ＵｎｄｅｒＷａｔｅｒ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙ”とでも言おうか。日本で言う水中考古学はこの直訳であると思う。考古学の一分野であるため、考古学的手法を水中にも持ち込んで発掘をすることと言える。しかし、Ｕｎｄｅｒｗａｔｅｒ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙとはおかしなもので、水中に遺跡があればそれでいいのか？ということになってしまう。であれば洞窟の遺跡を掘れば洞窟考古学になり砂漠に遺跡があれば砂漠考古学というのであろうか？考古学の一分野として確立するには発掘技術だけの区分では何か物足りない気がする。水中には様々な遺跡が存在する。沈没船もあれば港、または過去には陸上だった遺跡が現在は水中にある場合もある。そのため、いくら技術的制約があるにしても研究の幅が広くなりすぎてしまう、弥生の遺跡を掘った後、近代の沈船も掘り、中世の港もサーヴェイをする、となると専門は何なのかと聞かれそうである。また、例えば、縄文の水中遺跡を勉強したいとしよう。何のために“水中”を発掘するのか？という疑問が起こるであろう。陸上に幾つも遺跡があるためわざわざ水中を掘る必要がないといわれてしまう。また、水深の浅い遺跡であればダムを作り普通の陸上のように発掘ができる。この場合、水中考古学者が発掘に必要なのか？なぜお金を掛けてまでする必要があるのかと。水中にあるものはほうっておけば保存されているのだから．．．(実際には違いますが)。そして、水中ではちゃんと記録が行えるのか？海外の水中考古学を見てもただ遺物を引き上げてるだけではないか？　（これはトレジャー・ハンターの活動が海外では活発であるための誤解でしかない）。これが、現在の一般の水中考古学の解釈に近いと思う。実際に私も昔は何となくこのように考えていたので無理もない。それには水中考古学の理解力のなさが原因であり、もっと一般に水中考古学とはなんであるかを知ってもらう必要がある。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/Pepperwreck.jpg" width="450" height="285" alt="" class="left" align="left" />ポルトガルのPepper-Wreck　（Photo From Dr.Castro INA)</p>
<p>水中考古学とは陸上だけにとらわれない海からの視点で考古学遺跡を解釈していこうとするものである。実は水中考古学の中には幾つか細分された分野がある。一つは“船・海事史”考古学である（Ｎａｕｔｉｃａｌ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙ）。これは沈没船、港、などを主な発掘対象とし、船の構造の変遷、人と海上生活の関係を学ぶ。そして海上交通が文化、歴史に与えた影響を研究する学問であり、とくに造船技術がメインである。このほかに似たものでは海洋考古学がある（Ｍａｒｉｔｉｍｅ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙ）。　これはＮａｕｔｉｃａｌ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙと似ているが、船だけではなく海岸沿いに生活していた人々の考古学も含むものであり、人と海（または湖や川）との関係を解釈していく。なぜ、そこに人が住んでいたのか、何のメリットがあったのか、どのような生活をしていたのか？などを研究する。ＮａｕｔｉｃａｌでもＭａｒｉｔｉｍｅでも水中には全くこだわっていないことを注目してもらいたい。船が山の上から出土すればＮａｕｔｉｃａｌ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙであり、なぜそこにあったのか、そしてその造船技術も、もちろん研究する。Ｔｅｘａｓ　Ａ＆Ｍの学生の中でも全くＳＣＵＢＡが出来ない人が多くいる。結局は水中にあるから遺跡を掘るのではなく、たまたま研究対象となる遺跡が水中にあることが多いためその発掘の手段のためＳＣＵＢＡやサーヴェイの技術などテクニカルな物事を学ぶのである。簡単にいえば研究対象が人と水とのつながり、お互いどのように影響し文化・歴史を形成していったのか、それを学ぶ学問である。つまり、水中考古学とは陸上だけに拘らず、目を大きく海に向け、遺跡形成の要因、歴史変遷を考え直す学問なのである。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/ships.jpg" width="450" height="360" alt="" class="left" align="left" />船の形の違いによっていろいろな研究が出来る。<a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/ja/article/research/20050608124.html">船の基本についてはこちらの記事をご覧ください</a></p>
<p>水中考古学の研究として貿易ルートの解明、そのメカニズムについてなどが一般的である。地上の発掘だけから貿易ルートの解明は難しい。もちろん実際にはこれほど単純ではないが,船には様々な物資が各地から集められ積まれて対岸についた後はまた各地に散らばる。これを図にしてみるとちょうど“木”のようにも見える。地上の遺跡を幾つ集めてもそれは木の枝や葉の部分でしかない。水中考古学（沈没船）は“木の幹”を発掘できる。 木の幹は一回の発掘で貿易のメカニズムの解明に大きな役割を果たす。例えば、縄文時代後期から様々な異文化の技術が日本にもたらされたが、そのメカニズム、誰が何をどのように、どうやって運んだか、またその量は？など具体的に解っていない。この謎を解く鍵は水中に眠る沈没船である。そして、これらの謎とともに“なぜ”日本に文化がもたらされたのかを説くことも可能ではなかろうか？</p>
<p>しかし、水中での発掘技術、遺跡を探すためのサーヴェイ、そして遺物の保存処理はやはり水中遺跡を保護していくためには欠かせない。遺物・遺跡が見えにくいため知らぬ間に破壊されていくことがある。それを防ぐにはサーヴェイが欠かせない。サーヴェイとは遺跡の有無の確認、分布調査、引き上げを伴わない事前調査をいう。<a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/ja/article/survey/2005032914.html">（サーヴェイについてはこちらＬＩＮＫ）<br />
  </a>これにも技術やテクノロジーのノウハウが必要である。サイド・スキャンソナー、マルチ・ビーム、磁気探査や水中ロボットを使って行う。これらは海洋学の専門技術も必要となる。　最近は発掘する必要がないものはそのままの状態で保存するのが基本である。わざわざ引き上げても遺跡を逆に傷つける結果となることがある。地上でもそうだが、埋まっていればある程度は安定している。例えば沈没船などを発掘するとその遺物の量、種類は膨大である。そして、それぞれに対して実測、記録を取る。一番重要なのは“なぜ”船に積まれたのかを考え、その歴史の流れの中での重要性を考える。また、“なぜ”その場所にその船があったのか、目的はなんだったのかなどなど解釈しなくてはならないことが多い。そのため実証主義よりは人類学的・歴史考古学の手法をとる。遺物一つ一つを細部まで研究することも重要だが、多くの場合予算の関係や時間的制約によりリサーチテーマを絞って研究が行われる。そのため発掘をする前になぜ発掘をするのかを吟味しなくてはならない。さらには遺跡の状況、人が今後遺跡に及ばす影響を正確に判断することが要求される。そして、発掘するほうが遺跡を保護できるのであれば、行う。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/Sonar.jpg" width="450" height="338" alt="" class="left" align="left" />水中を探査する機器にはいろいろある。用途に合わせて使い分けることが必要。</p>
<p>いざ発掘が決まったあとで、発掘のプランをしっかり立てることも重要である。グリッドの設置、記録方法を決めるなどなど。だいたいドレッジを使って発掘する。ようはバキュームであり、空気・水の流れをポンプなどで作り砂を吸い上げるのである。勘違いされるのは、これを直接砂につけ吸い上げると思われていることである。状況にもよるが、普通は手などで丁寧に発掘し、舞い上がった砂をポンプで吸い取るのである。砂を除去した後は記録をきちんと取る。細心の努力、そして出来るかぎり最新の技術をもって記録する。記録を残さないと言うことは遺跡の破壊と同じであり、盗掘である。<a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/ja/article/excavation/2005032912.html">（記録についてはこちらＬＩＮＫ）</a> そして、遺物を引き上げる。遺物は長い間水中に浸かっていたためボロボロである。大きな遺物などは引き上げるのには努力と前持った計画が必要である。水中の遺物は陸上と違い、保存処理が重要である。<a href="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/ja/article/conservation/">（保存処理についてはこちらＬＩＮＫ）<br />
  </a>遺物の性質が変わるためである。金属などは錆び付き、特に鉄は鉄分が抜けてしまう。このとき、周辺にある砂、貝殻、または他の遺物と結合して、コンクリーションというものをつくる。　見た目は石膏やコンクリートの塊のようにみえるが、これは鉄分と塩分が反応して出来るもので、中には鉄が残っていないことが多い。つまり、てんぷらの衣、または、せみの抜け殻のようなものしか残っていない。この遺物の抜け殻は保存処理の仕様がない。今のところ、型を取るなどが行われている。また、有機物は水分を含み、スポンジ状になる。これをそのまま乾かすと遺物が崩れるので糖アルコールやポリエチレングレコール、またはシリコン・オイルなどで遺物を室内で展示できる状態にする。遺物によってはこのプロセスに何十年も要する場合がある。これを考えると、水中考古学はやはり技術面にもこだわりをもって研究しなくてはならないといえる。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/nail.jpg" width="450" height="625" alt="" class="left" align="left" />フナクイムシなどに食われ、木はぼろぼろになってしまう。また、釘などは錆、コンクリーションを形成する。この上にボルトのように見えるのがコンクリーションであり、実は隣にあった数本の釘と一体化しており、もとの釘の大きさは1辺１ｃｍ未満の正方形の釘である。</p>
<p>これらを考えると、水中考古学とは（以前にも何度か書いているが）チームワークが大切である。それぞれ基本的な海からの視点を学び、考古学的考え方、そしてサーヴェイ、発掘、保存処理、遺物の実測、与えられた情報の解釈の方法、歴史的位置づけの考え方などを一通り学ぶ。その後で、自分に得意なもの、興味のあるものを見つけ、それを研究していく。そして、他の分野の研究をしている人にも水中考古学の考え方を教えるべきであろう。特にサーヴェイや保存処理などは技術的になるので、その分野の専門家と共に研究を行うことも考えるべきである。非常に学際的な分野であるといえるのではなかろうか？　</p>
<p>水中考古学とは“水中の発掘”をする考古学ではないことを理解していただけたと思います。歴史・文化人類学的思想を持ち込みながら人と海運の歴史を探る。もちろん遺物ありきの考古学である。そして、調べるものの多くは水中にある。そのため水中に潜ることが多い。研究のおおきな流れとしてはリサーチクエスチョン（研究課題）の吟味、サーヴェイ、そして発掘を行うのであればその後の保存処理と遺物の実測・記録。また、出版・展示などで一般の人々にも歴史の重要性を知ってもらうことが最も重要であることは言うまでもないだろう。一文で水中考古学を定義すると次のようになる。<strong>水中考古学とは人類と水（特に海）との関係を調べる考古学・歴史学の一分野であり、構造物や技術史にこだわらず、海が歴史・文化に与えたその影響力を解明していき、その目的のためにサーヴェイ・発掘・保存処理などの技術開発をも含めた総合的な学問である。　<br />
  </strong></p>
]]></content:encoded>
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		<title>船の基本</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Jun 2005 20:08:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[水中・海洋考古学、または海事史考古学が“得意”とする船について、簡単な解説をする。船を研究することは実は船を作った社会・文化を学ぶことなのであるが、それを理解するには船のデザインの基本を知っておかなくて]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>水中・海洋考古学、または海事史考古学が“得意”とする船について、簡単な解説をする。船を研究することは実は船を作った社会・文化を学ぶことなのであるが、それを理解するには船のデザインの基本を知っておかなくてはいけない。船とはなんであるか、そして船をデザインする上で何が重要なのかを書いてみる。船を知っている人にとっては当たり前のことだろうが、考古学者で船について詳しい人は珍しいようである。船は使い方、その目的によって形や構造が変わってくる。逆に言えば考古学発掘からその船のデザイン――なぜ船がそのように作られたか――を導きだすことができる。それさえわかれば、船の渡航目的、何を運んでいたのか、なぜ沈んだのかなどを解明する重要な手がかりとなる。まず、デザイン上の大きな違いを説明する。船の使用目的によって船の形は変わる。人が船を作るときにはいろいろなデザイン・構造があるが、その中から最善かと思われるものを選び作るのである。つまり、船の構造がわかれば船を作った文化がわかるのだ。それが海事史考古学の醍醐味だと思う。</p>
<p><span id="more-124"></span></p>
<p>	船とは何であるか？船の目的はただ一つ、水を隔てた二つの土地を結ぶものである。点Ａから点Ｂまで人やモノを運ぶ。安全に運べれば良い訳で、豪華な作りなどは必要ない。水の上は非常に効率の便利が良いところである。船は風や波の力、自然のエネルギーを利用する。船さえあれば労力（動物や人）を使う必要がなく、大量の荷物を運ぶことができる。そのため、古代・中世の都市は貿易の拠点として港や川沿いの町が発展して出来上がった。船は人と人をつなぎ、文化の伝播にも重要な役割を果たした。山を越えるよりもはるかに楽に効率よく点と点を結ぶハイウェイである海（または川や湖）を利用するための“乗り物で”ある。これが最も一般的な船であるが、中には戦うための船、つりのための船、そして、現代のクルーズ船のようにゆとりのある空間（？）を提供するサービス専用の船もある。<br />
	船をデザインする上で、使用目的だけでなく、どのような環境で航海を試みるか、また、舵の形式・マスト・オールなどの有無によっても船の形は変わる。ここでは特に海事史考古資料の一番多い商船と戦艦についてのみ話を進める。最初に船の目的、環境、舵やマストなどの違い、そしてその他の考慮に入れるべきものをまとめて解説する。また、これらの考慮をすべて考え、目的、環境、船を作る技術・資源、安全性も考えなくてはならない。<br />
	船に求めるものは何か、それを考えると、どれだけものを積むことが出来るかとどれだけスピードを出せるかが主な必要事項かと思う。一番荷物を運ぶのに効率が良い形は箱型である。箱には無理なくモノを詰める。正方形は特に良い。スピードを重視するのであれば長細い形が良い。長く大きな船はスピードが出る。（なぜなのかは数学や物理など説明が長くなるのでここでは詳しく説明しない）正面から来る波を巧く二つに“切る”ことができるため波の抵抗が少なく、効率よくスピードが出せる。ガレオン船や大航海時代の商船は箱型であり、近現代の駆逐艦や古代ギリシャの戦艦などは細長い形をしている。<br />
	船を使用する環境もまた船のデザインを左右する。航海、特に荒海に出る場合には重心が低く、その重心が安定しているほうが良い。これは船が大きく揺れた際、反動ですぐに起き上がることが出来るからである。そのため、断面図で見るとＶ字型の船が良い。Ｖ字型の船はしっかりとしたキール(竜骨)を持ち、コースを固定して安定した航海が可能である。しかし、Ｖ字型の船は浅い海には不向きである。船底が浅瀬に乗り上げてしまう可能性がある。そして、Ｖの形は荷物を入れるスペースが減ってしまい、あまり効率が良い商戦とは言いがたい。その反面、浅い場所(湖など)で利用する船は、平底で四角い船で充分である。底が平らな船は、どこへでも行くことができ、海岸まで乗り上げることができる。しかし、波が高かったりすると安定性がなく、またコースを取りにくい。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/rudder.jpg" width="500" height="400" alt="" class="left" align="left" />古代ギリシャの船と舵、大航海時代などの船と舵の形</p>
<p>	次に舵・マスト・オールなどについて解説する。舵は船の操作に必要不可欠な道具である。舵に流れる水が効率よく当たらないとうまくコントロールできない。うまくコントロールするには舵を自在に操る技術、また必要な時にはしっかりと固定する技術が必要である。ここでは３つのタイプ(古代ギリシャ・ガレオン船・中国ジャンク)の舵と船の構造を見てみよう。古代ギリシャでは船尾で舵を固定する代わりに左右に舵をつけていた。船の両側に水の流れがあればよいわけで、先頭は尖っているが船尾は丸みを帯びている。これは船尾で無駄な水の流れが起こらないようにするためでもある。ガレオン船などになると、逆に先頭は丸みを帯びているが、船尾は引き締まっている。これは先頭から流れる水を船尾一箇所に集める働きがある。ご存知であろうが、当時の舵は船尾に直接つけられていた。では、中国のジャンク船はどうかというと、その中間であるといえる。ジャンクは舵を船尾に取り付けてはいたものの、取り外し可能、また、つりおろすことも出来た。これは、舵を下ろして（キールのように）重心を多少下げて船を安定させることが出来るのである。つまり、ジャンクの舵の場合、船の形はあまり関係がないが、平底でも沖に出てしっかりとコースが取れる。もちろん浅瀬当たる前に舵を引き上げれることができる。このように工夫された中国の合理的技術（一石二鳥）の賜物である。これは中国が重たい舵を自在に操ることができる技術を保持していたことといえる。舵の形で船の形や使用目的がいろいろと変わるのは歴史的・文化的に非常に興味深いことであろう。マストやオールなども船の形に影響を及ぼす。マストが発達してくるのと時を同じくして、キールも発達してきた。マストの本数などによっては重心の置き方などが変わってくるだろうし、漕ぎ手がいればその場所の確保、そしてオールの角度なども関係してくる。古代ギリシャの軍艦などスピードを重視した船は漕ぎ手が多いほどパワーが出るが、どのように配置するかも問題である。一人でオールを一つ持つのか、３人でオール一つか？３人を横に並べると幅が広くなりすぎるし３段にすると高くなり安定性がなくなる、そして、１列に並べすぎると長細くなりすぎてしまい操作性を失い、またもろくなる。箱型に近いほうが頑丈ではある。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/Flat Bottom.jpg" width="500" height="309" alt="" class="left" align="left" />平底の船のモデル</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/V bottom.jpg" width="500" height="309" alt="" class="left" align="left" />V字形の船のモデル</p>
<p>	ここで見てきたように船はその目的、環境、技術などによって大きく変わる。また、安全性などもおおきデザイン上の課題であろう。湖などで短距離に使う船はそれほどたいした構造をつくる必要はないが、大西洋などを渡る場合は航海に耐えられる構造でなくてはならない。大きな船のほうが効率が良くまた早くモノを運べるが、それだけ大きな船を作る必要と技術があるのかを考えなくはならない。運ぶ商品が無いのに大きな船を作るような無駄な努力はしないであろう。ローマ時代にイタリアのネミ湖に１００ｍを越す巨大な遊船が作られた。これは湖でしかも動く必要がなかったためと、ローマの莫大な富と権力があったから可能であった。また、技術的制約もある。Ｖ字の特徴を持ち、また平底の特徴をも備える船が理想であるが、そのような形は徐々に発達して来た。船の断面図でワイングラスのような形がローマ時代に作られ、その後、真ん中が膨れた形などが大航海時代に作られるようになった。このように箱型に近く（運搬性能向上）そしてＶ字でもある（航海性能向上）形を作るには発達した造船技術が必要であった。重たい大砲なども上部に置くとなると、それも考慮に入れないといけない。船は重心が低いほうが安定するのだから。ヴァーサ号は上部が重すぎたためストックホルム港内で処女航海中沈没した。大きな船になるとそれだけ船の形なども複雑なカーブを作る必要がある。船を作る場合、技術的制約、またそれだけの経済力がなくてはならない。大きな船が作れるからと言って作るわけではない。それ相応の目的や技術、社会が存在して初めて船ができる。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/wineglass.jpg" width="500" height="309" alt="" class="left" align="left" />ワイングラスのような形はローマ時代に主流となる。船のカーブなど技術的制約がある</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/merchantship.jpg" width="500" height="309" alt="" class="left" align="left" />大航海時代の一般的な船の形</p>
<p>	ここでは船とはなんであるか、船の構造・デザインを重要で基本的なことを中心に解説した。このように船のデザインには様々な要素が織り込まれており、一言にＶ字型だ平底だなどといえない面を持っている。それぞれの形やデザインに特徴や当時の技術、そして人々の知恵とその船を選択した理由がある。それは技術的制約だけでなく、船の目的・環境・文化・経済や社会構造など様々な要素があってはじめて特定の船が作られた。船を研究することによってその船の構造、デザインの裏側にあった社会を見ることができる。船は産業革命前まで最前線の技術を持って作られた。それは、船が最大の木造建造物であったからである。社会・文化無しには船は作れない。ひとりでは船は作れない。そのため、船の構造には船を作った社会構造が反映されている。船を学び失われた文化社会の歴史を学ぶそれが海事史考古学者が船を研究する目的である。</p>
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		<title>鷹島海底遺跡体験レポート</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Apr 2005 08:37:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[長崎県鷹島町は１３世紀の元寇（蒙古襲来）の終焉の地として知られている。　ここでは船材などを始め様々な元寇関連の遺物が発掘されており、２００４年度の調査ではテキサスＡ＆Ｍ大学からも学生が参加した。ジョージ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>長崎県鷹島町は１３世紀の元寇（蒙古襲来）の終焉の地として知られている。　ここでは船材などを始め様々な元寇関連の遺物が発掘されており、２００４年度の調査ではテキサスＡ＆Ｍ大学からも学生が参加した。ジョージ・シュワルツさんが日本の水中考古学発掘の体験レポートを書いてれました。　</p>
<p><span id="more-98"></span></p>
<p>	２００４年の７月から８月にかけて日本の長崎県鷹島でクビライ・カーンの水軍が日本で大敗した際の水中遺跡の発掘調査、及び船材の実測調査をするという非常にユニークな機会が与えられました。テキサスＡ＆Ｍ大学で水中考古学を研究している私はこの発掘、そして船材の実測が１３世紀の東アジアの造船技術を解明するための貴重な手がかりとなるために非常に興味がありました。同じくテキサスＡ＆Ｍの学生で私の親友である佐々木Ｒａｎｄｙにプロジェクトに参加してみないかと誘われたのがきっかけでした。最初はただ単にこのような貴重な遺跡調査に関われるとあって嬉しかったが、実際に参加した後には遺物の歴史的価値感とその真価を高く評価するようになった。日本での発掘に参加できたことはとても良い経験であり、またいつか参加してみる予定です。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/george.jpg" width="450" height="498" alt="" class="left" align="left" />ジョージ海に飛び込む！</p>
<p>	鷹島での生活はとても規則正しいものでした。毎日、九州沖縄水中考古学のメンバーと国富株式会社のプロダイバーのメンバーが朝８時に集合しその日の準備を始めます。それぞれ一日二回（１ダイブ約３０－４５分）のダイブをこなしました。１２人ほどのダイバーがいたため、考古学作業が着々と進んでいきます。最初の２週間はドレッジを使い堆積したシルトを除去し、船材や他の遺物が出土する層まで掘り下げました。１－１．５ｍほどの砂・シルトを除去したときに船材が現れ、これらの遺物はすべて位置などを記録しました。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/excavation_0.jpg" width="450" height="677" alt="" class="left" align="left" />ドレッジを使った発掘の様子</p>
<p>	この他の作業として、船材の実測も行われました。元寇で使われた船の木材、今までに引き上げられた遺物などは現在、鷹島町の資料館及び埋蔵文化財センターに保管されています。実測は最初にアクリルの透明なシートに１：１で描かれる。その後、細部を追加しながら紙に書かれ、スキャンをしてデータベース保存されます。このデータベースには実測図の他にも特徴や寸法など様々な情報も記録されます。このデータは近い将来元寇の船の再現のための有力な道具として活用されるであることはまちがいありません。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/timber.jpg" width="450" height="299" alt="" class="left" align="left" />海底面から発掘される船材</p>
<p>	ここで林田健三先生（ＫＯＳＵＷＡ会長）に発掘に参加をさせていただいたことの感謝の念を申し上げたい。彼やＫＯＳＵＷＡのメンバーから様々なことを学びました。言葉の壁はあったものの、日本の水中考古学の技術を多く学ぶことが出来ました。鷹島での生活で日本の文化や研究内容などをほとんど知らないにも関わらず親切に接していただきました。この貴重な遺跡では今まで（そしてこれからも）驚くべき重要な資料を数多く引き上げられています。この情報はクビライ・カーンが１２８１年に使った船の実態を証明するのに貴重な資料です。この遺跡から中世東アジアの造船技術を学ぶことが出来、これからの水中考古学の発展に大いに貢献していける可能性を秘めています。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/takashima.jpg" width="450" height="299" alt="" class="left" align="left" />現在鷹島で保管されている木材</p>
<p>ジョージからの本文<br />
<a href="http://nautarch.tamu.edu/shiplab/01George/index.htm">To George&#8217;s Pageジョージのホームページ<br />
</a><br />
</body></p>
<p>	During the months of July and August 2004 I had the unique experience of participating in the recovery and recording of timbers from the obliterated fleet of Kubilia Khan at Takashima Island, Japan.  As a student of the nautical program at Texas A&#038;M, I was extremely interested in the past and present excavations of the timbers, as well as the recording and documentation of evidence that could help elucidate the shipbuilding practices of 13th century East Asia.  Randall Sasaki, a close friend and fellow student, invited me to join the project, which is the subject of a large portion of his nautical research at A&#038;M. I was excited to be able to partake in such an important undertaking at the time, but upon my return my appreciation of the project has increased exponentially.Working at this site in Japan was a wonderful experience that I fully intend to repeat.</p>
<p>	Our days on Takashima Island were systematic and efficient. Every morning the members of the Okinawa Society for Underwater Archaeology and the Kunitomi professional dive crew met at 8:00 am to prepare dive equipment for the day. We arrived at the site around 8:30, and began the first dive around 10 am. Each member of the team dived twice per day, approximately 30 minutes each. In this way, a considerable amount of work was completed. We had about 12 divers, which allowed for a fair amount of underwater archaeology every day. The first 2 weeks consisted primarily of dredging the site in order to reveal the timbers and other artifacts associated with the fleet. Approximately one and a half meters of sand/silt was removed before the timbers appeared. Subsequently, archaeological excavation and documentation began.</p>
<p>	Part of my time on Takashima Island was spent recording the timbers of the fleet, which were submerged in large vats at the conservation lab located near the museum which houses artifacts from the ongoing excavations. The recording of the timbers began with 1:1 drawings of the wood on clear plastic sheets. Next, the timbers were traced in detail on paper, then scanned into a computer and entered into a database, along with the measurements of the recorded components. The database stores extensive recordings of a variety of timbers, and will one day be a powerful tool for analyzing the construction of the Mongol ships.</p>
<p>     I owe a debt of gratitude to Kenzo Hiyashida, who graciously allowed me to participate in the excavation of the site, and learn from him and the crew involved in the project. Although communication with the participants was limited, I learned a great deal about the methods that were used by the Japanese team of archaeologists. The crew was extremely helpful and accommodating to a foreigner who knew little of their culture or scientific techniques.</p>
<p>	The recovery of the artifacts from this amazing archaeological site is an ongoing operation that has yielded a remarkable quantity of data that will bring to light the shipbuilding agenda of the era in which Kubilia Khan attempted to invade the island of Takashima in AD 1281. The evidence for ship construction gained from this project will contribute greatly to our knowledge of seafaring history of East Asia in the 13th century and is a promising objective for present and future nautical archaeologists.</p>
<p>     Thank You very much for your help in Takashima, George.<br />
and thanks also for writing this report.<br />
From Randy</p>
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		<item>
		<title>AIA Meeting (アメリカ考古学学会)</title>
		<link>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/2005040972.html</link>
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		<pubDate>Sat, 09 Apr 2005 10:52:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[この記事も以前のサイトにあってものでしたが、いまとなってはあまりタイムリーではないのでのせてませんでした。　読み返してやっぱりここにもう一度公表することにしました。　 １月７日ー９日にかけてボストンでAIA（ア]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この記事も以前のサイトにあってものでしたが、いまとなってはあまりタイムリーではないのでのせてませんでした。　読み返してやっぱりここにもう一度公表することにしました。　</p>
<p>１月７日ー９日にかけてボストンでAIA（アメリカ考古学会？）の総会が行われます。　AIAは１年に一回の総会があり、これが１０６回目です。　由緒ある学会でArchaeology　Magazineなどポピュラーな雑誌から専門誌など発行しています。 基本的には地中海の考古学がほとんどです。</p>
<p>今年のメインテーマはもちろん水中考古学です。　　欧米ではすでに一般化している水中考古学ですがやはり大きな考古学学会のメインテーマともなるとうれしい限りです。 私もこの学会で発表しました。 やはり水中考古学なのでTexas　A&#038;Mの卒業生が多いですが他にもいろいろな教授や院生などが参加。　その中でもお勧めのレクチャーをここでは紹介します。</p>
<p><span id="more-72"></span></p>
<p>今回初めてバラード先生とお会いすることができました。　バラード先生は例のタイタニックを発見した人です。　　最初先生はタイタニックを完全にモニュメント化して記念碑として残しておこうと考えていたそうですが他の企業などが船の場所を探し当てて今では（金持ち専用の）観光地化してるそうです。　バラード先生の子供が風邪をひいたそうでしかも奥さんも忙しいとのことで自分のプレゼンテーションが終わったらすぐに帰ってしまいました。　他にもフランスの大水中考古学者ポメイ先生やギリシャ政府の水中考古学最高責任者のデラポルタ先生、カナダのグ二エー先生などとゆっくり話をするこができました。　日本の水中考古学はどうなってるのか？という質問が多かったです。　これからいろいろな研究結果が出てくるから期待していてくださいと答えておきました。　やはりみな鷹島海底遺跡について話は聞いて興味があるものの情報があまり回ってこないと言ってました。　なぜか最近は与那国の海底遺跡（？）も知ってる人が増えているようです。<br />
    ここではすべてのレクチャーについてではなく深海考古学（Ｄｅｅｐ　Ｓｅａ　Ａｒｃｈａｅｏｌｏｇｙ）、キレニア号（Ｔｈｅ　Ｋｙｒｅｎｉａ　Ｓｈｉｐｗｒｅｃｋ）、そしてその他・まとめ、の三項目について参加した感想をざっとかいてみました。　</p>
<p>DEEP SEA ARCHAEOLOGY</p>
<p>　　　歴史文献を調べると幾つか沈没船の記録が出てきます。　その記録をまとめると８０％ほどが陸地の近く、１０％が水深の深い場所（１５０ｍ以上？）、そして残りの１０％は記録がないそうです。　深海に沈んだと見られるこれらの船は今でも海の底に眠っています。　ROVなどを安く借りれるなど技術の進歩によりこれから深海でもとレジャーハンティングが盛んになるようです。　考古学者が今まで見たことの無い未知の世界が失われつつあります。　</p>
<p>　　　深海では波の影響やサルベージなどを受けにくいため保存状況が良いといわれています。　また深海の砂は密度が水に近く船が沈むとそのまま砂の中に埋もれるそうです。　砂の中は酸素がないので有機物を破壊するバクテリアやフナクイムシなどが存在せず木材などが腐らずに残るそうです。　そのためスキューバで潜れる範囲では想像も出来ないほど遺物がそのまま残ってます。　深海考古学を実際に行っている先生方は現在はだいたいサーヴェイを中心に行っています。　マルチビームらサイドスキャンソナーなどを使って沈没船の位置を確認します。　そのあとでROVを送り沈没船の時代を確認します。　発掘は行いません。　このようにして現在深海にある船が次々と確認されています。　サーヴェイは比較的安く行えるので考古学的に発掘する価値のある船を見つけることが目的です。　</p>
<p>　　　すでに何年か前からインターネット２を調査に使っています。　インターネット２に機械を繋ぐことで自宅や学校などどこにでもオペレーシンセンターを作ることが出来ます。　機材と船と技術者だけを発掘現場に残してロボットのコントロールなどは別の場所から行えます。　深海で発掘に適していることは暗闇であることだといいます。　つまりいくらでも光を持ち込めるので、その光をコントロールできればいつでも同じ環境で写真撮影などが行えます。　地上だと太陽の影響で写真のコントラストが変わる場合がありますが、深海ではその必要はありません。　またモニターを見ながらコントロールするので仕事の時間は関係ありません。　交代で24時間作業を続けることが出来ます。　現在使われているロボットの手は触ったものの感触をオペレーションセンターで感じることができるそうです。　つまりロボットが石を触ればその感触が再現できるそうです。　また、ロボットの手はミリ単位で動かすことが出来ます。　遺物を引き上げ途中にオペレーターがコーヒーを飲みたくなったらその場に固定させることが出来、10分ー20分経っても位置は変わらないそうです。　人間の手に合わせて動かすことが出来るためブラシも使えます。　これらを考えると人間が発掘するよりもより正確に発掘することができます。　</p>
<p>　　　しかしこのようなオペレーションには莫大なお金がかかると思っている人が多いようです。　もちろんこれらのロボットなどを開発するのにはお金がかかりましたが、考古学だけでなく様々な分野でこれらの技術は使われています。　すでに深海で発掘するテクノロジーは存在します。　これらの機材は様々な団体が持っており貸し出しも行っています。　実際にバラード先生が出費する費用は作業員の給料と機材の輸送などだけだそうです。　もっと考古学者が海洋学などの専門家などに積極的にアプローチして行くべきだとの結論でした。</p>
<p>THE KYRENIA SHIP　</p>
<p>　　　　キレニア沈船はキプロス島で1960年代に調査された紀元前3世紀頃の船です。　キレニア号はキプロス島の人にはなじみが深いようで紙幣のデザインにもキレニア号が使われているそうです。　７５％ほどの船材が残っており現在でも分析が行われています。　キレニア号は発掘で得られた情報をもとに復元されました。　すべて当時の技術で完全に復元されました。　世界を回りました、日本にも立ち寄ったそうです。　キレニア号の復元されたものからレプリカが日本でも作られ現在福岡の博物館の裏庭に展示してあります。　復元された船を元に様々な実験が行われているようです。　舵の取り付ける位置、帆の大きさ、角度などなど。　また当時の主な航海ルートなどを実際にアンフォラなどのレプリカを積んで航海実験を行っています。　<br />
　　　木材などの分析もいまだに行われています。　加工痕、特にノミやのこぎりなどの跡などを正確に調べ、船を作った人それぞれの特徴を見出すことも出来ると言います。　また、キレニア号は何度か修理された船であることが加工痕の違いで何人もの全く別の人によって修理されたことがわかったそうです。　航海実験から向かい風に対して75度まで走行可能だとわかりました。　いろいろな風の方向、強さ、波など違った状況で船がどのような操作が可能かなども詳しくデータを取っているそうです。　これらのデータをもとに古代の貿易ルートの解明など役立ていくそうです。　　　</p>
<p>その他のレクチャー　まとめ</p>
<p>　　　　沈没船はいわゆるタイムカプセルのようなもので当時のそのままの状態で残っていることがすくなくありません。　それだけに発掘後の分析作業にはかなりの時間を要します。　他のレクチャーもいろいろと勉強になりました。　港のサーヴェイなども磁気探査機やマルチビームで行うことで港の枠組みの下部構造などが上部構造を動かさずに確認することができます。　また当時の海岸の再現や貿易ルートの解明とともになぜ港がその場所に作られたのかなど様々な研究がなされています。　何度も言ってるようですが日本の水中考古学もこれぐらいできれば良いと思います。　全体を通して感じたことは世界では海洋学や機械学などさまざまな分野の人々が協力して歴史の解明に力を入れている様子が伺えます。　学際交流がさかんなのでしょう。　これからもっといろいろな分野に水中考古学を売り込んで協力を得たいと考えています。　磁気探査、ソナー、マルチビームなどは一般的なテクノロジーであり、現在のコンピュータの情報処理量を考えると安く、正確に、しかも簡単に水中の様子を調べることができます。　これからサーヴェイを中心に日本の水中考古学を発達させていくことが必要かもしれません。　</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>「東アジアの水中考古学」に参加して．．．</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Apr 2005 21:53:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[この記事は２００４年１０月１８日に以前のサイトに掲載されたものです。　 １０月１7日に福岡国際ホールで行われたシンポジウムに行ってきました。その時の様子と私の意見を紹介します。　このようなアジアの水中考古学]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この記事は２００４年１０月１８日に以前のサイトに掲載されたものです。　<br />
１０月１7日に福岡国際ホールで行われたシンポジウムに行ってきました。その時の様子と私の意見を紹介します。　このようなアジアの水中考古学会議は初めての試みだそうです。　中国、台湾、韓国からＶＩＰの先生をお呼びして行われました。　３年半前にアジアの水中考古学をやってみようと心に決めたときは西洋と比べ情報量のなさ、専門家がほとんどいなかったことなどに驚きを感じましたがこうしてシンポジウムを行える体制が出来上がっているのでこれからどんどん発達していく学問となるでしょう。　　</p>
<p><span id="more-63"></span></p>
<p>また、水中考古学に理解を示している先生方が以外にも多かったことにも驚きでした。　日本には水中考古学を専門として生活を立てている人はいないと言えまずが、実は多くの人が何らかの形で水中考古学に関わっていることを再確認しました。中国、台湾、韓国や日本の先生の発表をそれぞれ解説するよりは全体の雰囲気・感想を紹介します。やはり、参加された皆さんは水中考古学に熱意を持った方々ということが伝わりました。　シンポジウムは大成功に終わりました。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9623.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" />九州大学名誉教授の西谷先生の挨拶からはじまり</p>
<p>　　　中国は現在一番研究熱心であるように感じられました。　国家のサポートも一番多いようで南海１号などの発掘により、考古学ダイバーの訓練など設備が整っています。　また、新しく建設されたセンターはハイテク技術を駆使しこれから急発展しそうな勢いがありました。　台湾は少ない予算ながらも徐々に研究体制を固めており、今後の発達に期待がもてそうです。　台湾は昔から海上交通の盛んな場所で小さな島々も多く幾つもの沈没船の発見がこれから相次ぐことだとおもいます。　韓国は新安沈船など、アジアの中で一番の実績を持つ国で、発掘技術だけでなく保存処理施設も整備され立派な博物館もあります。　今のところ韓国がアジアの水中考古の模範としてあげられるのではないでしょうか。　しかし、実績はあるものの、沈船それぞれの歴史的・考古学的価値、人類史上の位置づけをしっかりと確認していくべきでしょう。　日本は？というと東アジア水中考古学未発展国の座は確定し、また民間レベルでの理解力・サポートのない国であることは参加したすべての人の意見でありました。　（北朝鮮がまだ水中考古学を始めていないようなので下には下がいます！日本がんばれ！！）　しかし、長くから水中考古学を行っているのは日本であり、もし国家レベルでの協力が得られれば他の国々よりも急速に発展するはずである。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9642.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" /></p>
<p>　　　　　さて、いまさらではあるが、このようにどこの国が進んでいるなどという話はあまり意味がないことだと思う。　水中遺跡、特に沈船の研究は国際間のつながりが重要視される。　遺跡の性格上研究者はインターナショナルでなくてはならない。　例えば次の沈船が発掘された場合はどうなるであろう。　インドネシアに住む中国南部からの移民が中国式のジャンクを作るが、木材はほとんどすべてタイとインドからの輸入木であった。　この船を台湾の商人に売却。　その商人がベトナムとマレーシアで品物を積み、日本へ向かう途中韓国湾岸で沈没した。　果たしてこの場合どこの国の船と言えるのだろうか？　実際に新安沈船は中国南部で作られ博多へ向かう途中韓国で沈没した船である。　この船は韓国人によって発掘されたが、日本流通史にとって重要であるし、また中国の船を知る上でも重要である。　実際に発掘した韓国には歴史的価値はそこで沈没したことであろうか？　さらには鷹島海底遺跡は蒙古襲来遺物が引き上げられているが、これもまた日本の遺物と言うよりは中国、韓国、およびモンゴルの遺跡である。　沈船の発掘には多国籍の研究者の共同作業がもっとも望ましく、お互いの情報を常に交換し、相互の発展に協力することが最重要である。　今回のシンポジウムでは参加したすべての先生方の間に連帯感、同じ仲間である意識が再確認された良い機会であったと思う。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9630.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" />韓国の先生も熱弁！</p>
<p>　　　　　報告・討論の中で特に中心的なテーマであったのが発掘、引き上げ技術、またサーヴェイの方法論であった。　私としてはもっと保存技術について、またそれぞれの遺跡、遺物の歴史的重要性、そしてそれをどのようにして一般民間レベルに情報を提供していくかをもっと討論してほしかった。　水中考古学は発掘・保存処理・出版を一つの大きな流れとして確立させたいのが私の考えである。　シンポジウムを見学に来た人には水中考古学の発掘にはやたらとお金が掛かるものだと印象を与えたかもしれない。　しかし、それは氷山の一角であり、保存処理・遺物整理・展示・出版にはもっと莫大な費用が掛かるのである。　そして保存処理と遺物整理が一番重要であると私は考えるのであるが討論はもっぱら発掘についてであった。　それはやはりまだ実績がないため仕方のないことなのかもしれない。　西洋の沈船研究では発掘方法などはあまり議題にあがらず歴史的重要性、社会的側面が主なテーマである。　しかし、調査件数が西洋とアジアでは２－３桁違うので今アジアの水中考古学にそれだけのテーマを求めるの無理な話であると思われる。　６０－７０年代前半には地中海でも同じように発掘技術などが研究の議題であった。　だからこれから実績があがってきたときにもっとそれらのことが討論できれば良いと思う。　今はまだアジアでは未発達の学問がこれからどんどん伸びていってほしい。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9647.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" />鷹島で遺物などを見学</p>
<p>　　　　　シンポジウムで多少議題にあがったがその後先生方との話し合い（２次会など）で印象に残ったことは水中考古学は国際的であると同時に多岐に及ぶ分野からの協力を得なけらば決して成功はしない学問であると改めて認識した。　他の先生や一般の人々も似たような考え方をもっている人が増えてきていることは良いことだと思う。　総合・統合的研究の必要性については私は前々から伝えている（水中考古学概説）のでここでの説明は控えめにする。　沈没船調査はサーヴェイには地質学的・海洋学的知識、そして機械が使えなくてはならないこと、そして遺物の保存技術はもちろん遺物の種類も多いため科学的分析が必要不可欠である。　そして、その分析にも考古学者が人任せではなく自ら進んで学び、そして他の学問の専門家を水中考古学の一分野（スペシャリスト）として招きいれる必要がある。　水中考古学とは一つの遺跡の正確を完全に把握し、歴史的価値を探るために様々な分野と提携し研究する学問であると私は考える。　遺跡の絶対数が地上に比べ少ないが地上では残ることのない遺物が発見される可能性もあるためなおさら研究は幅広く行う必要がある。　それには地方自治体の発掘ではなく国単位で水中遺産の保護に取り組んでいくべきであるのは参加した人の大多数の意見であると思う。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9661.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" />バスに乗ってＬｅｔ’ｓ　Ｇｏ！</p>
<p>　　　　　大成功に終わったシンポジウムであったが問題点などはなかったか？　ちょと細かい点ではあるが西洋の発掘事例を紹介したときなど多少事実と異なる点があったが、どちらかと言えば間違いよりは”誇張”であったように感じる。　大きな船をそのまま引き上げるか否かの問題で西洋の事例を２件ほど挙げていた。　西洋ではどれも視界も良く、海流の流れもないような所での作業であったと紹介していたが、メリーローズ号の発掘は視界が”０ｃｍ”に近い状態であったし、またヴァーサ号の引き上げも６０年代であったため、超巨大事業であった。中国、韓国など視界が悪く海流も強いという条件のもとがんばって作業しているが、世界どこでも同じである。　アジアも西洋も条件は同じであり、アジアで発掘件数が少ないのは、費用の問題と一般民間での水中考古学の対する認識の浅さでだと考える。　地中海のように穏やかな海は珍しいが、西洋の他の地域で発掘された事例を混同していたようである。　これとは別にその他には一般参加者からの質問・応答がなかったのが残念ではあった。　いろいろと質問しようと期待をしていたので．．．　いや、私のようなでしゃばりな人から質問をされると討論が長くなった可能性があるので良かったのでは？　一般の参加者の意見を取り入れることは大切であり討論は必要である。　私の意見ではこのシンポジウムの大成功の意義は大きいと思う。　もっとこのようなイベントが頻繁に行われること、そしてマスコミなどで取り上げられるべきであろう。　水中考古学を一般レベルに浸透させるために日々努力をしているのだが、他の人々にもこの学問を宣伝していただきたい。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/DSC_9668.jpg" width="360" height="239" alt="" class="left" align="left" />現場も見てきました　</p>
<p>　　　　　シンポジウムと平行して日本に来た先生方が鷹島遺跡を訪れました。　これもまた良い結果が得られたと思います。　日本の水中考古学はまだまだ未発達であるがこのシンポジウムを機会に大きく発展していってほしいと願います。　他にシンポジウムに参加された方はどう考えたのでしょうか？　掲示板、またはＥ－メールなどで話し合ってみてもおもしろいのでは？　また近いうちにこのような集いが出来れば良いと思います。　このシンポジウムがアジアの水中考古学の歴史に新たな１ページを刻んだことは間違いないでしょうか？　みんなの意見ですが水中考古学を民間レベル、地方自治体レベルで進めていくのには限界があり、やはり鷹島遺跡を国指定遺産とすること、そして水中考古学を国家レベルで進めていくことが今後の目標となるのではないでしょうか？　　最後になりますが、本当に良い企画だったと思います。　関係者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです、ごくろうさまでした。　すばらしい企画をありがとうございました。　またやりましょう！</p>
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		<title>Nautical Archaeology</title>
		<link>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/2005040256.html</link>
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		<pubDate>Sat, 02 Apr 2005 00:42:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[２００４年の初めに作った私のサイトです。　 大まかな水中考古学の基礎・概要がわかります。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>２００４年の初めに作った私のサイトです。　<br />
大まかな水中考古学の基礎・概要がわかります。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>沈没船学史</title>
		<link>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/article/research/2005033020.html</link>
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		<pubDate>Wed, 30 Mar 2005 04:53:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Randall Sasaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[研究・学術]]></category>

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		<description><![CDATA[船の考古学が一般にも認識され学問として体系的に学ばれている欧米に比べ、アジアや日本では知名度も低くあまり込み入った解説はできないため、まず簡単にではあるが船の考古学の学史をここではざっと紹介してみよう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>船の考古学が一般にも認識され学問として体系的に学ばれている欧米に比べ、アジアや日本では知名度も低くあまり込み入った解説はできないため、まず簡単にではあるが船の考古学の学史をここではざっと紹介してみよう。　細かな遺跡の名前や誰が発掘したなどではなく大まかな流れをここではつかんでほしい。　大きな流れとしては　１．サルベージから考古学へ　２．体系的学問としての発達――古代の船の構造の解明　３．ウル・ブルン、メリー・ローズ、その他の大事業の成功　４．これからの船の考古学</p>
<p><span id="more-20"></span></p>
<p>１．サルベージから考古学へ　（１９６０－７０）</p>
<p>　　　　　沈没船は昔から様々な形で発掘されてきた、それはサルベージから始まり、１９４０年代以降のスキューバの開発によってますます本格化されてた。それ以前にもアンチキセラ沈没船など地中海では発掘(盗掘？)がされてきていた。　しかし、実際に考古学者が海へ潜り発掘を担当することは無かった。考古学者がボートや地上から指示を出してダイバーの持ってくる遺物を調査したり、おおまかな遺物の分布図などが作られた。　主に遺物回収を目的としたものであった。　北欧、とくにデンマークなどではすでに水中ではなく地上から１８９０年代ですでに船そのものが発掘され、ニーダム、ゴクスタッド、オスベルグなどバイキング時代の船が研究されていた。　またエジプトでもクフ王のピラミッドの下から巨大な船が見つかり５０００年前の船大工の技術に世界は驚いた。　船を考古学者が実際に潜り調査する必要があった。</p>
<p>　　　　　最初に考古学者が自ら水中に潜り発掘を行ったのはアメリカのジョージ・バスだと言われている。　１９６０年、ピーター・スロックモートンがトルコのスポンジ・ダイバーの情報に基づき沈没船を発見した。　彼はこの船を是非発掘してみたいと考えアメリカのペンシルバニア大学を訪れた。　彼はそこでジョージと出会い、沈没船を考古学的手段を用いて発掘してみようと意気投合した。　ジョージはスキューバの経験が無かったが、とりあえずライセンスを取り、トルコへ飛んだ。 トルコのケープ・ゲラドニヤではグリッドが設置され、正確な遺物の位置の記録など地上と同じように発掘がおこなわれた。　船はほとんど残ってはいなかったものの様々な遺物が発見され、紀元前１２００年ごろのものと判明した。　特に重要な遺物は銅のインゴットが大量にみつかり、当時の貿易ルートとそのメカニズムの解明に一石を投じた。<br />
　　　　</p>
<p>　　　　　１９６０年代半ば、一人のダイバーによってキプロス島で古代の沈没船（３００BC）が発見された。　この船はキレニアと言う町のそばで見つかったため、キレニア号と呼ばれマイケル・カツゼフによって発掘された。　３００個近いアンフォラ（古代の商船で使われた大きな壺）が見つかり、また船の大部分も残っていた。　すべての遺物、船体は正確に記録され、引き上げられ、リチャード・ステフィー先生によって船体の解明が行われた。　その後、キレニア号は考古学資料に基づき完全に復元され、すべて昔の道具などを使って船のレプリカ　（キレニアII）が作られた。　このキレニアIIで航海実験などがおこなわれた。　</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/steffy44.jpg" width="400" height="242" alt="" class="left" align="left" />キレニア号の船体(海底実測図を簡略化したもの）From R. Steffy 1994 Woodenshipbuilding and the Interpretation of Shipwrecks P.44</p>
<p>　　　　６０年代初めスウェーデンでは軍艦ヴァーサ号が発掘された。　この軍艦は１７世紀にスウェーデン国王の威信を見せるために建造されたが、約３０分でストックホルム湾内で沈没した　(この軍艦建造のため国家は赤字となった)。　ヴァーサ号は湾内で発見され、引き上げられれた。　船体の保存状況は良く、ほとんど丸ごと残っていた。木材はそのまま乾燥させることは出来ないので、船内と船外にシャワーホースを取り付けポリエチレングレコール（PEG）を噴射し続けた。　保存処理が完全に終わるには実に２０年も要するとはこの時だれが予想したであろうか？　しかし、今ではヴァーサ号を囲んで博物館が完成し北欧では入場客が一番多い博物館となった。</p>
<p>２．体系的学問としての発達――古代の船の構造の解明　（１９７０－８０）</p>
<p>　　　　　古代の船は現在の船と根本的に構造が違うことが解ってきた。　現在の船は骨組みから作るのが普通でその周りに外板を取り付ける。　骨組みが船の形を決め、また船大工はこの枠組みをまず考えてから船を作る。　キレニア号や他の古代の船はこの枠組みが外板を取り付けた後からはめ込まれたことが解った。　つまり、外板同士が取り付けられ、それを支えるために枠組みが付けられた。　船大工は枠組みではなく外板のカーブ、組み合わせを元に船の形を考え出す。　では、いったいいつ外板構造から骨組み構造の船へとかわったのであろうか？</p>
<p>　　　　　１９７０年代に入りローマ・ギリシャ時代の多数の船が発掘されているが、紀元前の船に比べフレームと外板の接合が重視されてきたことがわかった。　竜骨とフレームが接合されていなかったキレニア号であるが、紀元後３世紀の船には竜骨とフレームの接合が重視されてきた。　外板を接合するときにはほぞを掘り外板同士を接合していた。　７世紀のヤシ・アダ沈没船では外板の接合面も弱く、またフレームも弱かった。　ほぞは船体の下部にのみ存在し、上部はフレームに外板を取り付ける構造であった。　この船は外板が主体の構造からフレーム主体の構造への過渡期であると考えられる。　サン・ジェルヴァィ沈没船は竜骨とフレームが完全に接合されていたが、外板同士でのほぞの使用が確認されている。１１世紀のセルチ・リマナ沈没船は完全にフレーム主体で作られた船であった。　(近年イスラエルで発掘されたタンテゥラ沈没船は７-８世紀の船ではほぼフレームが主体であった)</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/MT.jpg" width="400" height="253" alt="" class="left" align="left" />ほぞを利用した外板の接合方法 Randall 2003</p>
<p>　　　　　他の地域でも様々な船が発掘された。　大航海時代のポルトガル、スペインのナウ、カラベル、ガレオン船の構造などが少しずつ解明されていき、人々の船の上での生活や貿易品と多分化交流のメカニズムなどが研究された。　オーストラリアで発掘されたオランダ東インド会社のヴァタヴィア号(１７世紀)など歴史上登場する有名な船が発掘された。　北欧でもスカルデレブで何隻かの船(１１-１２世紀)が重なり合って見つかり、その発掘は話題を呼んだ。　ケープ・ゲラドニア、キレニア、ヴァーサ号などに続き、これらの船の発掘により、沈没船の考古学は一躍注目を浴びるようになった。とくに１９７０年代後半に入ると、中国の泉州で宋時代の船、韓国の新安で明代の船などアジアでも沈没船が発掘された。１９７６年には世界で始めてテキサスA&#038;M大学で海洋考古学を専門で学べる大学院の学科が設立された。　ただ珍しいからと注目を浴びるということも少なからずあったが次第に考古学者から認められてきた。　特にコインなどで沈没船の年代が正確にわかることがあるので、土器、おもにアンフォラなどの変遷をより正確に知ることが出来、地上の考古学とともにに大きく発展していった。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/serce_0.jpg" width="400" height="262" alt="" class="left" align="left" />セルチ・リマナでの発掘 From INA http://ina.tamu.edu/</p>
<p>３．ウル・ブルン、メリー・ローズ、その他の大事業の成功　（１９８０－９５）</p>
<p>　　　　　１９８０年代に入るとサーヴェイ機器の発達により世界各地で沈没船が発見され、また一般市民団体、企業、国家などからも支援を受け大規模な発掘が行われるようになった。　特にイギリスのメリーローズ号はイギリス王室も資金などの面でも協力し、実際にチャールズ皇太子は発掘現場にも頻繁に足を運び水中考古学を支援した。　メリー・ローズ号は１５０９年に完成したヘンリー８世の軍艦でイギリスが始めて本格的に海軍に力を注ぐようになったきっかけを作った船である。　そのため、この軍艦はイギリス海軍草創期のシンボル的存在であった。　そして発掘はイギリスに新しい考古学の発展に貢献した。　発掘現場の海底の透視度が悪く、流れも急なところだった。何も見えない水中で立体的構造物を正確に実測するために新たにDSM　(ダイレクト・サーヴェイ法)などが開発され(これについては発掘作業のページで解説します)発掘技術も進歩した。　まだ、現在でもメリー・ローズ号の保存処理、調査、また小規模ではあるが発掘も行われている。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/maryrose.jpg" width="400" height="272" alt="" class="left" align="left" />メリー・ローズの保存処理  From Mary Rose Trust http://www.maryrose.org/</p>
<p>　　　　　ウル・ブルンはトルコでジョージ・バスとジャマル・プラック(テキサスA&#038;M大学)によって発掘された。　これは世界最古の沈没船で紀元前１３００年ごろのものである。　この沈没船にはエジプトやシリアから様々な財宝や貴重品が積まれており一躍注目のまととなった。　遺物は西アジア、エジプト、アフリカ南部、ヨーロッパ各地の特産物などもあり、この時代の貿易関係の広さを再確認することとなった。　ケープ・ゲラドニアでも見たように銅のインゴットが１０トンあり、また鈴のインゴットも１トンあった。　銅と鈴を使って青銅を作ったのであろう。　（青銅を作るには銅と鈴の比率は１０：１である）　船は２－３％ほどしか残っていなかったものの、竜骨がまだ未発達であったこと、また、フレームが見つからなかった。　大きなほぞと木材を組み合わせることで船体の構造を維持した。</p>
<p><img src="http://www.nauticalarchaeologyjp.com/wp-content/uploads/uluburun.jpg" width="400" height="268" alt="" class="left" align="left" />ウル・ブルンで発掘されたビーズ From INA http://ina.tamu.edu/</p>
<p>　　　　　この他にも世界各地で沈没船が発掘されフランス、イギリス、北欧諸国、ポルトガル、オーストラリアなどで体系的に国家が中心となり水中考古学を勧めていく動きができてきた。　テキサスA&#038;M以外でも世界で幾つかの大学が水中考古学を教え始めた。　博物館なども充実し、一般にも海洋考古学、水中考古学が浸透し始めた。　ジョージ・バスが１９６０年にトルコのボドルムを訪れたとき、彼の乗っていた車がその町に始めて訪れた車であった。今ではボドルムの海洋博物館はトルコで人気No.1の博物館となり、町もその地方では最大の都市となった。　また、保存処理が終わったヴァ―サ号も博物館が建てられ、現在では北欧で入場者数一番の博物館となった。　韓国の新安沖で発見された明の商船や他の船の発掘により韓国でも水中考古学が盛んになりつつあり、また木浦市にある海洋博物館の展示内容も充実している。　このように歴史の解明だけでなく、船の考古学は地域の活性化や経済的効果、そして若い世代の海、歴史への関心を高めることにも貢献している。</p>
<p>４．これからの船の考古学　　（１９９５から現在）</p>
<p>　　　　最前線で活躍していたジョージ・バスやリチャード・ステフィー先生などが引退し、新しい世代の水中考古学者が先頭に立ち発掘を始めるようになってきた。　メリー・ローズ、ウル・ブルン、新安沈没船など大事業が成功に終わり、徐々に船の構造や遺物の整理からいろいろな情報が提供されてきている。　ただし、その影で今後の発掘に気がかりな点が一つ見え始めている。　それは、今まで水中考古学を支持してきた国家や一般市民団体などの感覚がこれらの成功のため麻痺している状態にあるといえる。テキサスA&#038;Mが発掘したトルコのテクタシュ・ブルヌやパブチ・ブルヌは良い例である。　ウル・ブルン発掘の後、新しい沈没船が発掘されるとマスコミなどが騒ぎ立てた。　しかし、ウル・ブルンのように“宝物や金銀財宝”が見つかるわけではなく、小さな民間の商船であった。　考古学的にはその当時の貿易についての貴重な資料となった。　また、パブチ・ブルヌは現在保存処理中であるが古代ギリシャの船の構造に一石を投じることとなるのは間違いない。　ただし、マスコミや一般市民は“つまらない”発掘であったとの解釈をしてしまった。　このように実際の考古学の価値はあるものの過去の大規模な成功と比べられてしまうという状態になった。</p>
<p>　　　　　現実問題として、大規模な発掘が行われる可能性は低い、それよりも欧米でそのような沈没船が見つかる可能性は低い。　地中海ではすでに３０００隻近い沈没船が何らかの形で調査されており、これらの資料整理をしながら、沈没船の分布調査、そして考古学的に必要ならば発掘をするという方針を取り出している。　考古学的にはこれが良い状態であり、　今後、歴史、文学、民俗学などの分野と近づき、船、海洋文化の歴史を解明していくというより大きな学問へと発達している。　欧米で学んだ学者らはインド洋など他の地域に研究対象を広げつつある。　アジアではトレジャー・ハンターなどによって幾つもの沈没船が失われているが、学術的研究を進めていく動きも最近は活発と成っている。　</p>
<p>　　　　　日本での水中考古学の時代はこれからである。　九州などでは多少水中での発掘調査が進められ、遺物の整理、研究も今後少しずつ一般に提供されていく。　日本人の学生はここ２－３年、世界の大学で水中考古学を学び始め勉学に励んでいる。これらの学生が海外で経験をつみ日本へ帰国し、その際に水中考古学の方法論、論理を持ち帰ってくるであろう。そして現在、日本で活躍している考古学者と協力し合い日本の水中考古学は新たなる一歩を踏み初めることになる。</p>
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