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水中考古学関連のニュースや関連記事を掲載します。
ギリシャで古代の船が復元
以前に紀元前4世紀の沈没船キレニア号を復元したことがありますが、最近になり、ギリシャで再度古代の船の復元を行うそうです。原材料、道具などすべて当時あったものだけを使って復元を行うそうです。キレニア号の資料の他、最近の発掘例なども復元の資料として使っています。紀元前13世紀の沈没船、ウルブルンから得られた考古学資料も使います。出来る限り当時の 設計方法を忠実に再現しようと試みています。 ベテランの伝統船大工がこんな作り方では船が作れるはず無いだろう!と最初は言っていたそうですが、作り始めるにつれだんだん船の構造哲学が理解できたそうです。現在の“伝統船作り”とは作り方は全く違い、実際に復元してみるまでなかなか理解しにくい構造だそうです。
水中考古学を学ぼう!
さて、東京海洋大学では今年の4月からARIUAの理事長の林田憲三先生が水中考古学について教えています。参考までに授業の内容が書いてあるSyllabusをご覧ください。
長崎帆船まつり
考古学ではないですが、帆船のレプリカや現代の帆船を見ることによって船の構造や、マストの仕組みなどが観察できます。帆船を知らずして船の考古学資料を語ることはできません。長崎周辺の人は覘いてみてはいかがでしょうか?
27日から長崎帆船まつり 日ロ韓から8隻集合 打ち上げ花火も予定 日本、ロシア、韓国の帆船が長崎市の長崎港に集う「2006 長崎帆船まつり」が、27日から5月1日まで開かれる。全長100メートルを超す大型帆船をはじめ8隻の帆船が船内公開や体験クルーズ、白い帆を一斉に広げるセイルドリルなどで帆船の魅力を伝える。
長崎市などで組織する実行委員会主催で、日蘭交流400周年を記念して2000年に始まり、長崎開港記念日(4月27日)前後に毎年催されている人気イベントの1つ。今年は25万人の人出を見込んでいる。
日本最大の帆船「日本丸」「海王丸」(ともに全長約110メートル)に、ロシアから「パラダ」「ナジェジュダ」(ともに全長約109メートル)が加わり、全長100メートル超の大型帆船4隻が初めて同時入港する。
日本初の蒸気帆船を復元した「観光丸」と、中国の木造船を復元した「飛帆(フェイファン)」による約1時間の体験クルーズ(28―30日、有料)などのほか、29、30両日は午後8時50分から打ち上げ花火で夜空を彩る。
長崎の農水産品を集めた「新鮮市」や熱気球の浮上実演など多彩なイベントも予定している。実行委=095(829)1314。 =2006/04/22付 西日本新聞朝刊= 2006年04月22日00時08分
古代 韓日交流
古代の日韓交流について、くすのき製の木棺についての記事を見つけました。くすのきは丸き船に使うのに優れているとされています。これだけ大きな木材を運んだのですから、当時、大型船があったのかも知れません。また、現在考えられている以上に交流が盛んだったのではないでしょうか?
慶南7号墳で発見 日本にみられるクスノキ製木棺
古代 韓日交流の鍵
一昨年、慶尚南道昌寧郡の松 洞古墳群(7号墳)からクスノキ製の木棺が発見された。長さ3・3㍍、幅0・8㍍の木棺であり、これほどのクスノキは、韓半島では自生しない。わずかに済州島にみられるが、日本列島のようには巨木にならない。
木棺は船のように湾曲し、かなりの大きさのクスノキをくり抜いたものである。古墳は植民地期に盗掘されていたが、幸い残された土器や副葬品などから、この地域の首長クラスの墳墓で、500年前後に造営されたとみられている。
昌寧は、伽耶諸国の一国、比 国であり、『日本書紀』にも倭が関連した国(比自)として現れる。文献などにより6世紀中頃には新羅に服したとされるが、この度の発掘調査によって、古墳の築造法や出土遺物から新羅の強い影響が確認され、古墳の性格をめぐって今後の調査結果がまたれる。
最も興味をひかれるのは、クスノキ製の木棺の来歴である。これほど保存状態のよい舟形木棺の出土例はなく、その材質と形態から、倭との関係が一部で取りざたされていた。
偶然にも発掘を担当した国立昌原文化財研究所と早稲田大学朝鮮文化研究所とは共同研究を進めていることもあって、発掘直後に木棺を古墳内で直接みる機会に恵まれた。
その時、私の脳裏をかすめたのは、なぜ韓半島で発見される木棺は、ことごとく韓半島で自生しない木材が利用されているのかという疑問である。1971年に発見された百済の武寧王陵も、王と王妃の棺は日本からもたらされたコウヤマキであることが後に明らかにされた。
百済最後の都があった扶余の陵山里古墳群(王陵地区)でも、5基の古墳から出土した木棺片は、韓半島には自生しないコウヤマキであった。一方、新羅の都・慶州にある98号墳や金冠塚の棺材も、最近の調査でクスノキ製であることが判明している。
ところで、日本の前方後円墳もまた多くがクスノキを木棺に利用していたことが明らかにされている。
クスノキは腐食しにくく、棺材に適しているのである。それゆえ、韓半島の百済、新羅、伽耶の国々の諸王たちは、わざわざ日本列島の棺材をもとめたということになるのではないか。
一見、埒外のような推定に思われるかも知れぬが、実は中国古代では、そのようなことは当然であった。後漢時代の『潜夫論』によると、漢の都・洛陽の人々は、梓やクスノキなどの棺材を、数千㌔隔てた江南地方から運び込ませていたのである。
これまで韓半島南部の豊富な鉄が、6世紀頃まで日本列島にもたらされていたことが注目されていたが、その代価については諸説あって不明とされてきた。生口(奴隷)説、コメ説、塩説など、どれもが説得力に欠けていた。
日本の棺材こそは、まさに鉄の代価になりえたのではなかろうか。御世の国に旅たつ王者たちにとって、中国同様の良質な棺材を求めることは切実であったはずである。
このたび伽耶の一国、比自国から出土したクスノキ製の木棺は、古代韓半島と日本列島の交流を解き明かす大きな鍵となるにちがいない。
■□ プロフィール
李成市(い・そんし)
1952年名古屋市に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科修了。文学博士。横浜国立大学助教授、早稲田大学文学部助教授を経て現在、早稲田大学文学学術院教授。早稲田大学朝鮮文化研究所長。
(2006.4.19 民団新聞)
ルイジアナで蒸気船(川船)発掘
ルイジアナ州のShreveport周辺の川底には11件の沈没船が確認されています。また、町を流れるRed Riverだけでも360件ほどの船の沈没記録があるそうです。南北戦争時の潜水艦などもあるそうです。
その中でとくにケンタッキー号の発掘が今年の夏に予定されているそうです。この船は蒸気船で川での交通を目的に作られました。1865年の6月に沈没し、200人以上もの犠牲者が出たそうです。当時の船の技術は知られていない部分が多く、完全に発掘されれば貴重な情報となります。しかし、発掘にはお金が掛かること、また、犠牲者の遺骨などが残っているため、どこまで発掘を行うかが検討されています。一部を引き上げ、残りはこれ以上川の流れの影響を受けないように埋めるなど検討されています。
この件に関してNewsが3つあります。興味のある人は英語のNewsをご覧下さい。
http://www.shreveporttimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=200660415004
http://www.shreveporttimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=200660415003
http://www.shreveporttimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=200660415005