舟形木製品出土

いろいろな新聞で記事が出回っているようです。古墳時代の船型木材が出土したそうです。この発見はエジプト古代王朝の葬儀に使われた船を思い出させます。それだけ古代の日本では船と密接な関係にあったのでしょう。海と深いつながりがあったこらこそ船を葬儀の道具として使ったと考えています。外販などの接合方法など興味ありますが、短い記事だとたいしたことがわかりませんね。しかし、葬儀用の船の場合、実際に使われた船とは異なっている可能性も否めません。いずれにせよ船の考古学に貢献できるおおきな発見だと思います。このニュースで思いつくのは、発掘報告書などを見ると、他の遺跡でも特定できてない木材がいくつか出土しており、時折、船材(?)と記述されています。これらの不特定木材を総括的に分析する必要があると思います。また、船の考古学を知らない考古学者が多いため、見るべき部分を見逃している可能性が多いのではないでしょうか?この発見も実際に水に浸かったことがあるか、木材を乾燥させてから作ったか、接合方法、フレームなどの跡、などなど”船の考古学”の専門家が見るべ気ではないでしょうか?船を文献などから研究している先生はいますが、考古学はまた違った見解を持っていることもあります。

クスノキ製の部材(長さ2・1メートル、幅78センチ、厚さ25センチ)は復元長が約4メートル。 ということですが、楠木は船材として一般的に使われています。幅は舷側版としてよいでしょうが、ずいぶん厚みがあるようです。どのように接合されていたか興味があります。

広陵町三吉の前方後円墳、巣山古墳(4世紀末―5世紀初)の周濠(しゅうごう)から、木棺の蓋(ふた)や船形木製品、木偶(もくぐう)などの木製品が多数出土したと同町教育委員会が22日、発表した。すべて人為的に破壊されいるため「破砕祭祀(さいし)」を行ったとみられ、町教委は遺体を古墳に運ぶ船形の葬送儀礼用の道具と推定している。これまで古墳に遺体を埋葬する以前ことは、ほとんど分かっておらず、古代の葬送儀礼を知る手がかりとして注目される。

 史跡整備のために実施された第5次調査で、古墳北東隅の周濠底から出土。遺物は総数50点以上で、大型の木製品だけでも約20点に及ぶ。

 出土遺物は3月4、5日の両日、広陵町南郷の町役場敷地内町文化財保存センターで一般公開される。時間は4日が午後1時30分から、5日は午前10時から。両日とも午後3時まで。問い合わせは町教委文化財保存センター、電話0745(55)1001。
(奈良新聞)

奈良県広陵町の国特別史跡・巣山古墳(4世紀後半)の周濠(しゅうごう)から、表面に文様が刻まれ、朱が塗られた前例のない形状の大型木製品が出土したと、同町教委が22日、発表した。

 木製品は船の形に復元できることから、埋葬前に遺体を仮安置する「殯(もがり)」の場から古墳まで遺体を運んだ<霊柩(れいきゅう)船>の一部と専門家はみている。古代の葬送儀礼を解明する上で極めて重要な発見と言える。

 出土した木製品のうち、船の側板の形をしたスギ製の部材は、長さ3・7メートル、幅45センチ、厚さ5センチ。一部が欠けているが、復元すると長さは8・2メートルに達する。魔よけを意味する三重の円と帯状の文様が刻まれていた。棺の蓋(ふた)形をしたクスノキ製の部材(長さ2・1メートル、幅78センチ、厚さ25センチ)は復元長が約4メートル。表面に直線と弧を組み合わせた「直弧文」と三重の円が刻まれ、一部に朱色の顔料が残っていた。

 これらを組み合わせると、先端が反り上がったゴンドラ形の船に棺を載せたような形になり、中国の史書「隋書倭国伝」(7世紀)にある「貴人は、三年外に殯し、葬に及べば、屍(しかばね)を船上に置きて、陸地にて之を牽(ひ)く」という記述と合致する。

 巣山古墳は全長約220メートルの前方後円墳で、被葬者は大王(天皇)級の有力者とされる。出土品は3月4、5日に町文化財保存センターで一般公開される。

 河上邦彦・神戸山手大教授(考古学)の話「葬送用の棺として殯の場に安置し、古墳まで運んだ後に破砕して周濠に捨てたのではないか。葬送儀礼の流れが、初めて明らかになった」
(読売新聞) – 2月22日22時13分更新

引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060223-00000000-nara-l29

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