水中考古学と東海大学

去る2013年5月、鷹島海底遺跡の特定に寄与した茂在寅男氏が逝去された。当時の長崎県北松浦郡鷹島町沖で、元寇関連遺跡特定のため、初めての組織的な調査が行われたのは昭和55年のことである。東海大学海洋学部教授に在籍されていた茂在氏は、同調査において中心的な役割を果たされた。当時の調査手法には、考古学的見地から疑問の余地も投げかけられたが、昭和50年代の一連の調査が、その後の鷹島海底遺跡解明の動きの端となったのは事実である。東海大学には、文学部に考古学専攻があり、西表島では水没した貝塚で海洋学部と共同での調査が実施されている。また、同大学の海洋学部の海洋文明学科はアジア水中考古学研究所の調査などに参加している。東海大学の海洋資源学科の探査機器が、琉球大学との共同調査において、元軍船の発見に寄与したことは記憶に新しい。あえて付言をすれば、上述の東海大学と水中考古学の40年に及ぶ関わりは、一貫した研究体制や支援の下での出来事というよりは、水中遺跡の研究価値を見出した個々人の慧眼によるところが大きいようである。

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