南シナ海と海洋考古学

海洋考古学沈没船遺跡が中国の南シナ海政策と語られることが近年では珍しくありません。中国とフィリピンのスカボロー礁での衝突と水中遺跡調査については、数年前にウォールストリートジャーナルの記事に取り上げられています。2009年フランス極東学院の学術会議でも、パラセル諸島(西沙諸島)での中国の水中考古学調査の背景への質疑がありました。アジア海域史は、Sinocentric system、華夷秩序の理解無しでは成り立ちません。中国を社会的・政治的・文化的に世界の中心にすえるという考え方は、華夷秩序を打ち立てた時代から九段線を主張する現在まで本質的には変わりないように見えます。この概念では南シナ海は周縁であり、周縁者は中国宮廷へ朝貢を行う立場です。一方で、東南アジア島嶼・半島部に囲まれる南シナ海はその海域を中心に独自のネットワークを築き上げてきました。古代から海域を往来し、ネットワーク維持を担っていたのは、東南アジアの航海民でした。中国の文物が古くから、海域ネットワークで遠くインド洋やアフリカまで運ばれていたのは間違いありません。様々な古代の沈没船遺跡からは、中国の陶磁器が多量に出土します。しかしながら、これらが必ずしも中国の商人が運んだものとは限りませんし、中国の船が使用されていたとの証拠でもありません。実際に南シナ海では、東南アジア在来の沈没船が多く発見されています。歴史の政治利用は、その解釈への影響という点で、一層の注意が必要です。

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