元寇

アニメ アンゴルモア 対馬の元寇を描く

珍しく、アニメの紹介です。

対馬の元寇をテーマに書かれた漫画、『アンゴルモア』のアニメ化。7月から放送されています。

詳しくは、こちらのリンク先で

基本、深夜~明け方にかけて放送中です。録画して見る、ビデオレンタルが基本になるのかなと思います。が、そんな中、夜8時から放送している局があります!そう、対馬です!やっぱり地元では視聴率稼げるんだろうな。いや、内容は、やはり戦闘が多いので子供向けではありません。

応援よろしくお願いします!また、対馬にもぜひ!

  • サンテレビ
    7月10日より毎週火曜24:30~
    リピート放送 7月13日より毎週金曜24:30~
  • TOKYO MX
    7月11日より毎週水曜25:05~
  • KBS京都
    7月11日より毎週水曜25:05~
  • テレビ愛知
    7月12日より毎週木曜26:05~
    (初回放送は26:10スタート)
  • TVQ九州放送
    7月12日より毎週木曜27:00~
    (初回放送は27:05スタート)
  • BS11
    7月13日より毎週金曜25:00~
  • 対馬市CATV
    7月14日より毎週土曜20:00~
  • NBC長崎放送
    7月15日より毎週日曜25:20~
    (初回放送のみ25:50スタート)
  • RCC中国放送
    7月18日より毎週水曜25:25~

 

元寇の小説などは多くありましたが、対馬の合戦のみに的を絞った漫画は記憶にありません…まあ、エンターテインメントとして漫画ですので、史実ではないことや、時代錯誤は見られます。ですが、歴史に興味を持ってもらうには良いきっかけだと思います。対馬に行ってみたい!と思ってもらえればうれしいです。

 

九州国立博物館で『大ベトナム展』

4月16日から、九州国立博物館で『大ベトナム展』が開催されます!6月9日までですので、短い期間ですので、九州在住の方、もしくは九州に来れられ方はぜひ見にいかれてみてはいかがでしょうか?

このサイトでも紹介しているベトナムの元寇~白藤江の戦いの考古学プロジェクト~も紹介・展示されております。今、注目を浴びつつあるベトナムの考古学・歴史を知る良い機会です。また、常設展では日本の元寇の遺跡である鷹島海底遺跡の展示もあり、日本では数少ない水中遺跡から引き揚げられた遺跡を見ることのできる博物館です。

この機会お見逃しなく!

甦る元寇の船~神風の正体に迫る~

昨年、福岡のRKB毎日放送で「甦る元寇の船~神風の正体に迫る~」という番組が放映されました。九州限定の番組でしたので、関西や関東にお住いの方は残念ながら見ることができませんでした...ですが、番組を見れなかった方(見逃した方)に朗報です!

このたび、「甦る元寇の船~神風の正体に迫る~」が、第54回科学技術映像祭で科学技術教養部門・文部科学大臣賞を受賞しまた!日本で作られたドキュメンタリー番組の中からみごとに準優勝にあたる賞にえらばれました!水中考古学という部門がそれだけ注目を集めて、また、認知されたことを意味します。メディアだけでなく、学術的な意義も評価された番組と言えます。

その受賞を記念して、この度上映会が東京でおこなわれます!科学技術映像祭・入選作品発表会なので、元寇以外の様々なドキュメンタリーが放映されるそうです。

日 時 4月19日(金) 11:30~(46分)
会 場 科学技術館・サイエンスホール(千代田区北の丸公園2-1)

参加費は無料だそうですので、気楽にご参加ください!

RKBは今後も元寇や水中考古学の番組を作っていきたいと考えているそうで、この受賞が良いきっかけとなりそうです。他の放送局も水中考古に関してすばらしい番組を作ってくださることを期待しています。番組制作者の方々おめでとうございます!

鷹島神崎遺跡国史跡指定記念シンポジウムーいよいよ来襲(来週)です!

鷹島海底遺跡での沈没船の発見、そして、去年の国の遺跡の指定をうけ、その記念としてシンポジウムが行われます。

下記は松浦市のホームページからの引用です。お近くの方はぜひご参加ください。遠くの方もぜひどうそ!

平成23年10月に琉球大学の池田榮史教授を中心とする研究グループが、鷹島海底遺跡の範囲で鷹島町神崎免の海岸から約200m、水深20mから25mの海底面を約1m掘り下げた地点から730年前の1281年(弘安4年)の蒙古襲来時に沈没した元の軍船を発見されました。
 これまで、鷹島海底遺跡からは、船の部材や碇・イカリ石などの船舶に関する遺物、鉄製冑・「てつはう」(読みは、てっぽう)などの武器・武具類などは出土していましたが、船体そのものの発見はありまえせんでした。元の軍船の実態は『蒙古襲来絵詞』が有名ですが、その実物が海底で発見されたことは世界的にも大変貴重な資料です。
 このような中で、平成24年3月27日に海底遺跡としては日本で初めてとなる国史跡に鷹島海底遺跡の一部が「鷹島神崎遺跡」として指定されました。
 この国指定を記念して、鷹島神崎遺跡を国内外に知らせ、その保護の重要性を広く発信するため中国・韓国・日本の研究者を招聘してシンポジウムを開催いたします。
 入場は無料です。是非ご来場ください。

日時  平成25年1月26日(土) 午前10時~午後4時20分
会場  長崎県松浦市鷹島町里免1102番地1
      鷹島スポーツ・文化交流センター

ベトナム白藤江の戦い(1288年)考古学調査報告01

しばらくこのサイトのアップデートをお休みさせていただいておりましたが、また再開したいと思います。よろしくお願いします。さて、というのも、ベトナムに考古学調査で調査団長として出かけていたため、時間が取れない状態でした。これからその調査について少しここでは紹介いたします。つい最近、長崎県鷹島で発見された元寇の船が発見されたことが話題に上がりましたね。実は1288年、文永・弘安の役(元寇)から数年後、モンゴル皇帝フビライはベトナムに攻め込んでいます。なんと、ここでもモンゴル軍は壊滅的ダメージを受け侵略に失敗していたのです...この戦いは白藤江の戦いと呼ばれ、この時のベトナム軍の勝利は今でも語り継がれています。まずは歴史背景、調査に至ったいきさつ、調査の目的・方法、結果、調査の様子などを紹介しますが、何回かに分けて書いていきたいと考えています。

歴史背景:
第2次日本遠征に失敗したクビライですが、懲りずに3時遠征を計画していました。しかし、民衆や部下からの反対意見が多かったので遠征を取りやめたのです。しかし、その後、ベトナムへと矛先を向けたのです。当時は北部ベトナムは陳朝大越国が支配し、南部はチャンパー王国が支配ていました。モンゴル帝国はこれ以前からベトナムやチャンパーに政治・軍事的圧力を掛けていましたが、ベトナムの人民はなかなかモンゴルの思うようには動いてくれず、クビライは再度軍事介入を試みます。1288年に海軍と陸軍を送り込んだクビライですが、思っていた以上に手際よく首都タンロン(現在のハノイ)を攻略しました。しかし、ベトナム人民は焦土・ゲリラ作戦と補給部隊を打つ方法をもってモンゴル軍と対抗しました。なれない土地と食料供給を絶たれたモンゴル軍はあえなく撤退を余儀なくされます。

帰路につくモンゴルを迎え撃ったのは将軍陳興道でした。彼はモンゴル軍を白藤江の河口で待ち伏せしていたのでした。歴史文献では詳しい戦いの様子は分かりませんし、神話などで語り継がれている話なども信憑性に欠くものもありますが、モンゴルと陳軍の戦いは大体次のように起こったとされています。河を下り海に近づくモンゴル艦隊の前に少数のベトナムの船が現れました。その船を追うモンゴル軍ですが、なんと、気がつくと艦隊の前に無数の木の杭が現れていました。

アーティストが描いた戦いの様子。見にくいかもしれませんが、小さな木の杭がいっぱい描かれています。

実はベトナム軍はあらかじめ木の杭を要所要所に打ち込んでいたのでした。このデルタ河口であるため船で通過するのは難しい場所でした。しかも、干満の差が非常に大きい地域でもあり、それを利用して陳軍はモンゴル軍を「おとり」を使い水位が下がりだす時間にモンゴル艦隊を罠にはめたと言われています。また、別の資料では小型の船団を逃れる元軍が杭に阻められたとか、または、木の杭に船が「刺さった」などいろいろと伝えられています。すでに士気を失い身動きが取れなくなったモンゴル艦隊に隠れていた陳軍が一斉に攻撃を仕掛けたと伝えられており、また、上流から火船を放ったとも言われています。

この戦いでベトナムは勝利し、モンゴル軍は船を400隻失ったと言われています。この400隻が当時サルベージされたのか、それとも沈没したままなのか?疑問はいっぱいです。また、どのような船が沈んだのか?日本侵攻を考えて造船された船もベトナム船に組み込まれたとも言われています。さて、この白藤江の戦いで勝利した将軍陳興道はベトナムの英雄として現在でも親しみを持って崇拝されています。将軍陳興道を奉るお寺など各地にあり、また、多くの町に必ず陳興道にちなんだ道や地域の名前などを見ることが出来ます。左の写真は現地の陳興道のお祭りの準備をしているところ。紙で作った(モンゴルの?)馬などもあります。国の独立を死守した英雄は今でもベトナム人の心に生き続けています。

 

考古学調査の歴史

英雄陳興道信仰は特に白藤江河口で強く、クアンニン省の 南西部には様々な伝承が伝わり、また、直接に戦いに関連 した地名なども伝えられている。1950-60年代に白藤 江で大掛かりな護岸工事が実施され堤防が築かれました。堤防工事の最中になんと無数の木の杭が発見されたのでした。ベトナムの考古学者が調査をしたところ、この木の杭は13世紀のものであることが判明し、いくつかは発掘され各地の博物館などに送られましたが、木の杭のいくつかは現在でも現地保存がされています。その後、近隣地域も調査が進み、木の杭が8-10km²のエリア内の様々な場所から発見されています。ちなみに、この地域( クアンニン省クアンイェン)をグーグルマップなどでお確かめください。

この地域は堤防が築かれて以降、埋立地となり人々が住むようになったので、現在の地形をそのまま13世紀に当てはめることはできません。戦いのあった時代にはデルタ地帯であったと考えられ、幾つかの島が点在していた地形であると考えられています。その島が点在し、細い水路を通って海に出ようとしたモンゴル軍を陳軍が木の杭により動きを阻止したと考えられています。現在では地域の人々が歴史的価値のある遺物(遺構?)であると理解しているため、発見されればすぐに報告され保護されます。しかし、木の杭の正確な分布図などもなく、また、多くの杭はすでに失われているものと考えられています。また、木の杭以外のモンゴル軍の痕跡は数個の陶磁器片以外に何も発見されていません。写真は木の杭が田んぼからでているところです。ただし、1本1本すべて炭素年代できるわけではないので、これは別の時代の木の杭である可能性ももちろんあります。

木の杭が出土しているエリアは非常に大きく、また遺物も殆どでていません。しかし、歴史的意義を考えると見逃すごとができない遺跡となっています。この遺跡に2008年からベトナム・日本・アメリカ・オーストラリア・フランス・カナダ人などから構成される研究チームが発足して現在に至るわけです。しかも、水中考古学者が中心となり調査を進めており、海外の水中考古学者がベトナムで調査を行うのは初めてではないでしょうか?ベトナムもこの遺跡の調査を契機に水中考古学の発展を模索しています。この調査が始まった経緯とは?

次回お楽しみに!