沈没船を研究することについて…

先日、お隣韓国で沈没船事故があり多くの方が亡くなり、また、いまだに行方不明者も多くいます。韓国だけでなく日本を含め世界では船を運行する者、海に関連する仕事をする人にとって大きなショックとなったのではないでしょうか?悲しい事件ではありますが、このような事故が二度と起きないよう様々な安全上の対策が必要であることを痛感させられる事故です。我々水中考古学者、特に過去の沈没船を研究の対象としている人にとっても複雑な気持ちで見つめる事件となりました。すぐ近くでは数隻の過去の沈没船(高麗時代など)が発見されている海の難所でありますし、日本ともゆかりの深い新安沈没船もそれほど遠くない海域で発見されています。

過去の沈没船を研究する人にとって忘れてはならないことは過去の事故をまのあたりにしているということです。我々が研究しているのは、考古学ではありますが、歴史の1ページを生々しく映し出すこともあります。もちろん、その事故現場で命を落とした人もいます。それが数百・千年前であれ、それは変わらない事実であると自覚しています。沈没船の研究を行う前には世界各地において文化・風習は違えど、様々な儀式を行います。日本ではお供え物をしたり供養をしたりしますし、韓国でも過去の霊に対して敬意を払ってから発掘作業を行っていました。西洋でもいろいろな儀式などを行っています。

考古学者はその事故現場から発見された遺物ひとつひとつに対して過去に人が使用したものであることを理解し、十分敬意を払います。重要なのは、過去の歴史を教えてくれるだけではありません。いままでは、あまりこの点についてはこのサイト上では書いていませんでした。もっと書くべきであったと思い反省しています。また、トレジャーハンターなど引き揚げた遺物を売買して自分達だけの利益とする人がいることは考古学的観点のみでなく、人道的立場からも個人的に理解できません。海に沈んでいる過去の遺物はできる限り保護されるべきであると私は考えています。

沈没船の研究を通して一つ言えることは、人間は同じ過ちを何度も繰り返すということです。文献・考古学資料の両方からわかることですが、船の沈む原因の多くは人為的ミス、特に危険回避に十分責任を感じていなかったことが多いような気がします。ロイド社やオランダ東インド会社の資料などを見てもわかりますが、嵐などで沈没することは珍しい例です。沈没事故の90%は岸に近いエリアで起こっています~主に衝突、浅瀬に乗り上げる、積み荷のバランスが悪い、利益を求めたがゆえの積みすぎなどなど。今回の事故も歴史上に幾度となく起こった事故とあまり変わりがないように思います。どうして人は同じミスによる災害を繰り返すのでしょうか?

沈没船の考古学を災害考古学として捉え、実際にその観点から研究を行っている専門家もいます。あまり自分の気持ちを巧く表現できたかわかりませんが、少しでも伝われば幸いです。災害を扱う研究者として歴史や考古学を通して多くの人に災害について知ってもらいたい、何とか次の災害を防ぎたい…そう切実に願う考古学者も多くいると思います。

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