古伊万里、太平洋渡り中米に!

佐賀新聞より

古伊万里、太平洋渡り中米に―新交易ルート浮上 

江戸前期に肥前地区で焼かれた古伊万里が、太平洋ルートでラテンアメリカに渡っていたことが西松浦郡有田町教委などの調査で分かった。メキシコで見つかっていた磁器片と同じタイプがフィリピンで初めて確認され、当時両国を植民地にしていたスペイン人が運んだことが裏付けられた。中国船やオランダ船による東南アジアやヨーロッパ諸国への輸出で知られる古伊万里の新たな貿易ルートが浮上した。
 同町教委文化財調査員の野上建紀さんが、フィリピン国立博物館などとの共同調査・研究で明らかにした。

 古伊万里が確認されたのは、スペインがフィリピン・マニラで1571年に築いた城塞(じょうさい)「イントラムロス」。城塞内の生活遺構から出土した古陶磁片100点を、野上さんが2004年3月に精査したところ、肥前産の磁器片5点を確認。昨年1-8月の本調査では約60点の肥前産を見つけた。放射状に文様を配置して芙蓉(ふよう)の花のように見える「芙蓉手」の染付皿が大半を占めた。

 メキシコでは首都・メキシコシティーで1970年代に地下鉄工事現場で有田焼の破片4点が出土し、日本人学者が確認している。野上さんも今年6-7月、首都のテンプロマイヨール周辺遺跡で、肥前産の芙蓉手染付皿などの磁器片10点を見つけた。

 このタイプの皿は、貿易を禁じた中国(清)の海禁令が出された時期(1656-1684年)に中国製品の代用品として作られた。当時日本は鎖国状態で、オランダ船と中国船だけが長崎への来航を許されていた。同じタイプの磁器片が台湾から出土することから、野上さんは「中国船が長崎から台湾経由でマニラまで古伊万里を運び、マニラのスペイン人に渡した」と結論づけた。

 スペインの貿易船は太平洋ルートでマニラから香辛料や絹をラテンアメリカに運び、そこから銀を持ち帰ったことは文献で知られている。野上さんは「その交易品に古伊万里があったことが分かった。今後、古伊万里がラテンアメリカの各地に広がっていたことも明らかになるはず」と話している。

 大橋康二九州陶磁文化館館長の話 古伊万里がスペイン船で運ばれた記録は見つかっておらず、考古学的な裏付けが取れた意義は大きい。ラテンアメリカにいたスペイン人も高級食器として中国磁器を使い、手に入らない場合は肥前産で代用したことがこれで分かった。わずか30年ほどだが中国磁器に代わり、古伊万里が世界に広く流通した事実を示す貴重な資料にもなる。

«
»
 

トラックバックURL

コメントを書き込む