7. 金属の処理 (電解還元法・ER)

みなさまのご要望にお答えするべく水中遺跡から発掘された金属製品の保存処理方法を紹介します。特に日本では水中遺跡からの金属片の処理に関してはあまり論文などもないので専門家の方々でも参考になると思います。今回は電解還元法(Electrolytic Reduction)---ER法について説明します。基本として理解することは、遺物の中で水素を発生させ遺物中に溶け込んだ化合物と水素が結合し遺物の外へ排出されることである。

前回のアップデートではERを行う前までのプロセスを解説したので、それを読んでいない方にはそちらを先に読むことをお勧めします。

前回のアップデートではこの錆の塊であるコンクリーションについて解説した。今回は、鉄製品をコンクリーションから取り出した後の保存処理の説明をする。

電気還元法(ER)は設備が簡単で、費用もそれほどかからず、また、金属全般で使えるため、保存処理をするものにとって有効な手段であるといえる。遺物の金属が還元する作用と、発生する水素が遺物表面の錆を除去する物理的効果の二つの効果がある。ERを使う場合、その方法だけでなく、電気還元の原理も理解する必要がある。それにより電気分解法がなぜ使われるかを理解し保存処理を効果的に進めることができる。錆についてのメカニズムやER法を用いるまでの事前プロセスは前回のアップデートで紹介した。ここではER法に必要な設備、方法、その他必要な知識を詳しく解説する。金属製の水中遺物の保存法に関しては日本ではほとんど事例がないのでここでは込み入った説明なども丁寧にしてみることにした。保存処理の専門家でも水中の金属遺物についてはとくに有効な方法を模索中であるそうなのでこのマニュアルを頼りに日本でも利用できる方法の確立を目指してほしい。

簡単にERのセットアップを説明する。遺物をアルカリ電解液の中に入れ、周囲をスチールなどで囲う。遺物にマイナス電流(陰極)、そしてスチールにプラス(陽極)の微電流を流す。遺物の中で水素が発生し、ナトリウム化合物と結合する。そして、そのままプラスへと引き付けられるため、遺物の中から化合物が抜け出ることになる。電解液の中に溶け込んだナトリウムの量が増えなくなるまで続ける。電解液の化合物の量が増えないということは遺物から錆の原因となるナトリウムなどの化合物が内側から抜け出たことを意味し、保存処理の完成である。

設備

電流を供給するボックス。電圧などをコントロールする必要がある。

直流電流をコントロールする設備が必要となる。遺物に一定の電流を長期間(遺物によっては数ヶ月)流し続ける必要がある。遺物から電解液に溶け込む化合物が電流の流れに影響を及ぼすため、電流・電圧・抵抗などをコントロールできるものが必要である。ただし、精密なコントロールをそこまで必要としない。リップル(波及)電流が0.5%程のもので良い。この設備は多少機械に強い人であればバッテリーチャジャーなどから作ることができる。(variable autotransformerをInput Alternating サーキットに取り付けるなど)

遺物に電源を提供するシステムはそれほど大掛かりな設備を必要としない。ここでは自分で電流供給する設備を組み立てているところ。

ERに使うコードは一般的な被覆銅線で対応できる。大きな遺物などはより強い電流を流す必要があるため、より安全性の高いコードを使うことを薦める。使用しているコードが暖かくなった場合、発火する可能性があるためより安全なコードに変える。

遺物などに電流を流すために簡単な方法としてクリップを使う。ステンレススチールのクリップ(Muller clip)などが良い。遺物のサイズが大きい場合(例えば大砲など)においてしっかりと掴み、電流を流すためには他の方法も臨機応変に考えなくてはならない。ステンレススチールを使う目的は電解液で反応しないためである。銅のクリップの場合、遺物ではなくクリップが反応してしまう。クリップだけでなく銅のコードも注意する。被覆銅線であっても一部傷がついている場合もあるので、シリコンなどで修復するか電解液に触れないように位置を変える。(もちろん鉄は使えない。電気を通す最も還元されにくい物質を使うことが望ましい) ステンレススチールでも時にはめっきされているものがあるので注意すること。カドミウム・亜鉛のめっきなどが一般であるが、この場合塩酸に浸しめっきを剥がせば使うことが出来る。

遺物を囲み陽極の役目を果たすスチールはもちろん錆つかず電解液と反応しないもの、そして柔軟性のあるものが良い。マイルドスチールなどが使い勝手が良い。例えばスチール缶などを使うことも可能である。この場合、スチール缶自体が電解液と遺物を入れる容器となるため、費用の削減にもなる。ステンレススチールが得に良いとされているが、値段が高く、また種類によっては電解質に反応するものもあるので実験を行うことを薦める。

電解液と遺物を入れる容器は錆がつかなく、また電流を通さないものであれば基本的には何でも良い。(陽極自体を容器として使う場合は別)特にプラスチックなら注意を特に払う必要はない。PVCパイプやガラスなども一般的に使われる。さて、陽極を容器として使う方法には幾つかの利点がある。大きな遺物を保存する場合、なるべく遺物の形に合わせ、一回りほど大きな容器を使用することが望ましい。容器を特別に作る必要もある。そしてこの作った容器に合わせてスチールで内側を囲む必要があり、無駄が多い。スチールで容器を作ったほうが安く済む場合が多い。容器に直接電流を流すので感電すると思うかもしれない。しかし、ERに使用する電流は3Vから最大で32Vまでであり、ほとんどの場合3-6Vを使う。人体は約32V以下の電流はほとんど通すことがないため“ビリッ”と感じることはない。

電解質に溶け込んだ塩化物の量を調べるための設備も欠かせない要素のひとつである。硝酸第2水銀を使った滴定検査(容量分析)が比較的簡単で正確な塩素化合物の量を知ることが出来る。この他にも様々な方法で電解液に溶け込んだ化合物の量を測ることができる。テキサスA&Mでは硝酸第2水銀を使った滴定検査を使用しているが、日本の大学や研究所などによっては別の方法が効果的であることもある。例えば、薬品の値段なども国によって違う場合もあり、また、大学によっては設備も違うので一番安価で簡単に済む方法を模索することを薦める。近年では簡単な残留塩素テスターやデジタル方式のものもあるようでいろいろと探してみるのも良いだろう。電解液中の塩化物の濃度をチェックし、化合物の量が一定になりだしたら電解液を新しいものに変える。これを繰り返し、電解液に化合物が溶け出さなくなるまでERを繰り返しおこなう。

セットアップ

セットアップは以下のことを考慮に入れる必要がある。

1. 遺物の大きさと現状

2. 保存処理を行わなければならない遺物の数

3. 直流電流のパワー(どれだけコードをつなげられるか)

4. 容器の数、大きさなど

理想とする設置方法はひとつの容器にひとつの遺物、そして遺物の形に合わせてスチールが囲んであることであり、ひとつの遺物にひとつのパワーサプライを要する。遺物のすべての表面からスチールまでの距離はどこでも同じであることが良く、距離はスチールと遺物の接触を避ける必要がある。この方法では遺物にかかる電圧を調整できるのと、電解液に溶け込んだ塩素の量も遺物ひとつであるため保存処理が完了したかすぐにわかる。この方法は遺物の数が多いとパワーサプライを多く使うため効率が悪くなる。特に重要な遺物、遺物の数が少ない場合や大きな遺物には適した方法といえる。

次に、ひとつの容器に幾つかの遺物をいれ、それぞれの遺物の周りにスチールを個別に囲み、パワーサプライは遺物ひとつにつきひとつである。この際、別の遺物とスチールの距離同士が近いと電流の流れに支障をきたし、保存処理が巧くいかない場合もある。又、すべての遺物から同時に塩素がとけるため、その遺物の処理が終わったのか明確に調べることが出来ない。しかし、電解液を節約できるのと、遺物にかかる電流は個別にコントロールできる利点がある。

さて、最後にひとつのパワーサプライで多数の遺物を処理する方法であるが、スチールを容器の周り、そして容器の底にも取り付ける。遺物の位置が近すぎたり電流が巧く流れずに一つの遺物だけに電流が集中したり、しなっかったりの問題が生じるために遺物の位置を頻繁に変えてきちんとすべての遺物から水素が発生しているかをしらべる。底に取りつけたスチールは電解液の対流を促す。この方法は遺物にかかる電流をそれぞれにコントロールすることは出来ない。しかし、一度にたくさんの遺物を処理することができ、またパワーサプライもひとつで済むので最も経済的な方法である。小さな同じ形、大きさ、状態の遺物をまとめて行うのには良い方法である。現状の極端に異なる遺物や大きさが統一されていない場合は同じ状況の遺物を探して処理するか、別のセットアップの方法で行う。

遺物をERで処理している様子。プラスチック容器の内側をスチールで囲み、真ん中に遺物を取り付ける金属の棒を通す。

セットアップの方法も細かい違いがいろいろとある。テキサスA&Mではプラスチック容器の真ん中に真ちゅうのバーを置き、ここからクリップを下げて遺物をはさむ。容器の周りをスチールの網で囲むが、スチールは容器よりも高く、はみ出るものを使う。このはみ出た場所に電極をつなぐ。それぞれの保存処理施設、大学、研究所などで容易に入手できるものを使い、特にひとつの方法にこだわることはない。遺物保存の際に何を行ったかをきちんと記録しておき、常により有効で確実な方法を模索することが重要である。

電解液

鉄の保存に使われる電解液は炭酸ナトリウム(Na2CO3)と水酸化ナトリウム(NaOH)である。

まず、炭酸ナトリウムであるが、約5-10%(pH11.5前後)の電解液がだいたいの遺物において使用する一般的な電解液の濃度である。比較的入手しやすく、水酸化ナトリウムに比べ熱を発生しないため使いやすい。水酸化ナトリウムは電気を通しやすいので2%-5%の濃度で使用する。水酸化ナトリウム発熱の危険性、および入手しにくい場合がある。ERは時として数ヶ月間電流を流し続ける。この間、水酸化ナトリウムは悪臭を放ち、また吸い込むと多少毒性のある蒸気が発生する。皮膚と電解液の接触も極力避けるべきであり、慣れていないと扱いにくい薬品である。安全設備の整った環境で保存処理を行う必要がある。  

5%の炭酸ナトリウムと2%の水酸化ナトリウムを比べた実験の結果、炭酸ナトリウムのほうが遺物の処理にかかる時間が短かった。しかし、使用した水の成分によっては水の中の化合物が遺物の表面に付着、反応してしまう可能性があることが明らかになった。これにより遺物内部のナトリウムは表面から抜け出せなくなる。しかし、電解液のナトリウムの濃度が一定となるため、注意しないと保存処理が完了したものと勘違いする可能性もある。これを防ぐためにはグルコン酸ナトリウムを電解液に足すことで多少防げる。しかし、完全に防ぐには蒸留水、もしくは脱イオン水を使用する。ただし、遺物の表面に何も付着物が見受けられなければ水道水で処理を始めても良い。このほかに、炭酸ナトリウムを使用した場合、スチールに化合物が付着しやすく定期的にスチールを変えることが必要となる。水酸化ナトリウムの場合、化合物が付着することなく電解液中に解けた状態にあるため、遺物表面およびスチールへの付着は少ない。また、炭酸ナトリウムはpHが水酸化ナトリウムに比べ低くなるため、還元する能力は低いといえる。特に海中に長期間あった遺物は水酸化ナトリウムで処理する必要があるが、それ以外の鉄製品はより安全な炭酸ナトリウムで処理可能である。

電解液に使う水には特別に注意する必要がない。普通、海水から引き上げられた遺物の場合、遺物中の化合物の量が水道水に含まれる化合物よりも比率が高いため、すぐ水に抜け出る。淡水から引き上げられた遺物の場合、マイナスイオン水などを使う必要がある。また、積極的に雨水を使うことを推薦する。保存処理において一番消費するのが水であり、この資源を無駄にするかしないかで保存処理研究所の費用が相当異なってくる。さて、遺物中の化合物が抜け出し、水道水よりも化合物の含まれる量がだいたい同じぐらいになってきたら蒸留水やマイナスイオン水を使い遺物から化合物が完全に抜け出るのを待つ。

電流密度

電流をどれだけ掛けるかがERを成功させる上で重要な問題となってくる。“遺物表面の面積に対して何アンペア”というのが基本であり、様々な保存処理の専門家が別々の主張を行ってきたが、遺物の状態によっても電流を変える必要があり、一概に“これ”という値を探すのは難しい。1平方cmにつき0.001-0.05Ampほどの電流が水素の発生を抑えながら保存処理を行う場合であり、0.1Amp以下では水素の発生が促されるため遺物表面のコンクリーションの除去も可能である。

遺物の形や状態により表面の面積が分かりにくい場合があるが、水素の発生する様子や遺物の色の変化、化合物の出てくる割合を見ながら調節する。電流密度が強すぎると必要以上に遺物の表面を剥がしてしまう可能性があるので気をつけること。正確に電流密度・抵抗などを調べることも可能だが、もっと簡単で確実に決める方法もある。

ER中の大砲から水素が発生している様子

遺物をセットアップしたあと、多少高めのセットアップで電流を流す。このとき、遺物から水素が発生することを確認する。しばらく放置しても水素が発生しない場合は遺物に電流が流れていないためでありセットアップや遺物とクリップの接触を確認する。水素がブクブクト沸きあがってきたらボルテージ・アンペアなどを調節し泡が時々出てくる程度にする。この状態では遺物の保存処理は進むが表面のコンクリーションを剥がす効果はない。泡の発生するスピードなどによりじっくりと遺物を処理するか物理的クリーニング効果も行うか目で見ながら確認することが出来る。ほとんどの遺物の場合、最初に多少高めの値で物理クリーニングを行い、その後設定を下げ、じっくり処理を行うのが効果的だといわれている。

野外でのER法

ERを行う際、水素の発生などに伴い悪臭が発生するためきちんとした換気設備を必要とする。しかし、大きな遺物などを処理する場合、室内での保存よりも野外で行うほうが安全で効果的である。電源設備を室内に設ける必要はあるが、それ以外は野ざらしでも遺物に影響はない。容器も軽くふたをかぶせておけば多少の雨水が混じる程度なので問題はない。多少開けた場所であればどこでも保存処理を行うことが出来る。

野外での大きな遺物の処理。遺物の大きさに合わせて容器を作る必要がある。

ERを成功させるために

ここではERを成功させるために注意しておく必要のある幾つかの事項について触れてみる。実際に保存処理を始めればそれほど難しいことはなく、また常に遺物の状態が確認できるため失敗することもそれほどないといえる。   

第一に陽極について。スチールなどで遺物の周りを囲むわけだが、このとき遺物表面からの距離が一定であればあるほど良い。大きな遺物で形が複雑になれば難しい。陽極から遺物までの距離が変われば流れる電流も違ってくるので一定の処理が出来なくなる。遺物の形が複雑な場合は時々遺物の位置を変える必要があり、また、そうでなくとも遺物の上面(水面に近い面)は陽極から遠くなるため時々ひっくり返す。

処理にかかる時間であるが、遺物の状況、鍛造か鋳造、電流密度などのセットアップによって変わってくる。例えば遺物の状態が比較的安定している長さ2mほどの鍛造された大砲であればERだけで250日ほどかかる。また、同じ大きさの遺物でも状態によっては500日近く必要としたケースもある。

処理の時間を短くしたい場合、電解液の量が多ければ多いほどよい。また、電解液を変える作業もERの処理時間を遅くする。化合物が遺物から発生するのは最初は早いが後に遅くなる。50-100ppm以下になると特に遺物から染み出るのが遅くなるといわれている。

さて、次回のアップデートではERが終了した後の処理について解説する。また、ER以外の方法についても軽く触れてみる。

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