寛永通宝ベトナムで流通?

非常に興味深いニュースです。鎖国中であった江戸時代でも実は知られざる国際交流があったのでは?

寛永通宝ベトナムで流通? 17世紀の「古寛永」盛んな交易示す 長崎貿易銭31枚も
 【ハノイ15日共同】ベトナム北部で出土したつぼから約3万枚の古銭が見つかり、日本の江戸時代初期の寛永通宝1枚と、長崎の商人が江戸時代に輸出用に使っていた長崎貿易銭31枚が含まれていたことが、15日までの桜木晋一・下関市立大教授(日本貨幣史)らの研究グループによる調査で明らかになった。

 江戸時代初期から末期まで200年以上鋳造が続いた寛永通宝は、鋳造時期や特徴などから1636年以降に発行された初期の「古寛永」と1668年以降に発行された「新寛永」に大別される。

 桜木教授らによると、海外では中国で20カ所以上の出土例があり、ベトナムでもこれまでに新寛永が中部ホイアンなどで見つかっているが、古寛永が見つかったのは初めてという。同教授は「江戸時代の日本の貨幣がベトナムで流通していたことを示す貴重な史料」としている。

 1800年代初期のものとみられるつぼは昨年出土し、ハノイの骨董(こっとう)品市場に出され、史料価値が高いと判断した同研究グループが鑑定を開始。古銭約3万枚のうち3000枚を分析した結果、約60%は18世紀ベトナムの貨幣だった。それ以外では北宋銭や唐時代の開元通宝など、中国の貨幣が多数を占めた。

 研究グループの菊池誠一・昭和女子大助教授(ベトナム考古学)は「銭貨を通じた両国の交流を解明していく手掛かりとなる」と話している。

■寛永通宝
 江戸時代の代表的な貨幣。表側に「寛永通宝」の4文字が上下右左の順に刻印され、1636(寛永13)年から正貨として鋳造された。4文銭と1文銭の2種類があり、材質は時代に応じ青銅、鉄、真ちゅうなどがあった。特に元禄年間に大量鋳造が進んで全国に流通し、中世からの永楽通宝など渡来銭の廃棄を実現した。明治維新後も1文銭が1厘として通用したが、造幣局発行の貨幣が出回るようになり、市場から姿を消した。
=2006/08/16付 西日本新聞朝刊=

2006年08月16日00時29分

引用元:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/20060816/20060816_001.shtml

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