トルコ軍艦 海底探査

現在、和歌山県串本沖でトルコ船籍の軍艦を探査中です。1日かけて約1km x 1km の海域をマルチビームで探査を行いました。データ処理を行えば3Dで復元が可能。このデータをもとにどこで目視確認を行うかを決める。潜水調査は12日から25日までの予定。

潜水チームはテキサスA&M大学のジャマル教授、トルコから2人、そして私の計4人。他に日本人の地元のダイバーも潜る予定。詳しい情報は時間があるときにアップデートします。(現在調査中でなかなか時間が取れません)

トルコの民間研究機関「トルコ海底考古学研究所」などの調査団は10日、トルコの木造軍艦「エルトゥールル号」が沈んだ串本町樫野沖の海域で、軍艦の遺品を確認するため、水中音波探知機とパソコンを使っての探査を行った。同日正午までに、船上からの遺品の確認はできなかった。
 水中音波探知機は、漁船に取り付けた探知機から海底に向かって扇形に音波を発信させ、海底や物体に当たった音波から、三次元の映像をつくり出す仕組み。漁船に積んだパソコンで瞬時に確認することができる。水深約20メートルでも、大きさ50センチ以上のはっきりとした形状の物体であれば、判別が可能だという。
 同日午前9時、調査団の研究者や計測器輸入販売会社の技術者ら7人が大島漁港で漁船に乗り込み、樫野沖に移動し、浅瀬から遺品の探査を始めた。
 研究者らはパソコンの画面をじっくり眺め、機関部やマストなどの遺品が沈んでいないかを確認していた。
 夕方までかけて、1キロ四方(水深5~30メートル)の海域で探査する。
 探査の結果で、金属に反応する磁気探知機を使っての探査を行うことも検討する。早ければ11日には、水中音波探知機で集めたデータを基に、実際にダイバーが潜って遺品の可能性がある場所を確認する。
 技術者は「遺品が沈んでいても、海藻が生えたり、腐ったりして形が変わることで、岩との区別がつきにくい。今後、ダイバーが潜って直接確認することで、判断できるだろう」と話した。
 エルトゥールル号は、オスマントルコ時代の軍艦で、1890年9月16日、帰国途中に暴風雨に遭い、串本町樫野沖で沈没した。

引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070110-00000004-agara-l30

2 Comments

  1. Randy

    わざわざ新しいお知らせをつくることもないので、コメントで日々の調査をお知らせしていきたいと思っています。

    土曜日からダイブ2日目だ!と思っていたら、私も含め潜水調査班全員が風邪でダウン...結局土曜日は今後の調査の綿密なミーティングなどに使い、日曜日は完全なお休みとなりました。なので今日は久しぶりに時間が取れそうです。これを利用して風を治します。

    ニュースなどでお伝えされているように、沖で発見されたドーナツ状のものは単なる岩だったようです。もっと岸に近い部分では遺物があちこちに氾濫しているようです。かなり海底地形が複雑で大きな岩の隙間に遺品が転がっています。岩と岩の間や下などにはまっており、これを性格に位置だしするのは難しそうです。しかし、マルチビームで作られた海底地形図があるので、これをもとに位置確認が出来そうです。高低差が何mもあり、流れも複雑ですが、きれいな海なので景色を眺めながら調査が楽しめそうです。

    遺物の殆どはばらばらであり、特に速球に引き上げることもないと考えられます。また、保存処理にかかる費用・時間を考えれば現状維持が最適です。町・県・国の予算や取り組みの結果により引き上げる遺物の選択を行っていきます。今回はあくまで事前調査なので、遺物の分布範囲、現状、どんなものがあるかの確認を行います。

    月曜日からは本格的にダイビングでの調査を始めますのでご期待ください!何か興味のある点があったらまたこちらでお知らせいたします。

  2. Randy

    今日は1月17日、雨。
    昨日とその前日磁器探査を行いました。磁器探査機を船の後ろにとりつけケーブルで引っ張る装置です。船に取り付けられないのは船の磁器に反応するかららしい。
    400mx150mの範囲を先日、そしてその北東と南西側を昨日調査しました。さて、結果ですが、特に反応はなかったそうです。エンジンの一部、もしくはフレームなどが残っていれば必ず分かるはずなので、この海域には大きな部材は無いことに...
    装置を引っ張る関係などによりあまり浅い場所では調査ができなので現在遺物が発見されている地点よりも深い場所を探査していました。なので、遺物は岸に近い場所に集中していると見られます。また、ばらばらになり沖に流される前にサルベージが行われたか、殆どは岸に向かって流れていったことになります。

    噂では戦時中に鉄を集めるためにサルベージが行われたとかいう情報がありますが、定かではありません。明治に船体などが引き上げられたのでしょうか?まだまだナゾがありますが、考古学、文献を元に事実の解明をしていきたいです。

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