お知らせ

重巡洋艦インディアナポリス号撃沈~発見なるか?

皆さんは、アメリカの重巡洋艦インディアナポリス号撃沈の事実をしっていますか?太平洋戦争の末期に起こった「事件」なのです。実は、この船は極秘任務として原子力爆弾をテニアン島に運び終えたその直後に日本の潜水艦伊58号によって沈められました。また、救助に5日間以上かかったため、乗組員1200人ほどのうち、助かったものは300人ほどだったそうです。沈没した地点が、ちょうど人食いサメが多く集まる海域だったそうで、「多くの人がサメに食われた」と言われています。映画ジョーズとも関連があるそうですが、私が英語を見たのが随分前だったので…実際には、数日間におよぶ救命ボートの上の生活による衰弱死だそうです。

その後、原爆が投下され、終戦を迎えます。アメリカの終戦を伝える当時の記事などを見ると、横に『インディアナポリス撃沈』の記事が見られます(もちろん英語ですよ!)。終戦の記事で隠れてしまっていますが、太平洋戦争最後にしてアメリカ海軍最大級の参事として知られています。また、実際に原爆を運んでいた船が潜水艦によって沈められたわけです…もし、数日前に攻撃されていたら、世界の歴史はどのように変わっていたのでしょうか?

インディアナポリスの沈没地点は、実ははっきりしていません。幾度か探査が行われているようです。実は、つい最近、新しい情報があがってきたようです。インディアナポリス号と最後に近くを航行していた船のログなどを突き止めたそうで、そこから新しい位置を割り出したそうです。まだ発見されていませんが、かなり近い点まで絞られているようです。

発見されると大きなニュースとなることでしょう。ちなみに、インディアナポリスを攻撃した伊58号と思われる潜水艦も見つかっています。他の伊号潜水艦(伊402号)などと共にアメリカ軍によって破棄されています。それらの位置は探査機材などにより特定されています。数年前に伊402号の発見のニュースがありましたね。近くに多くの塊があるので、その中の一つが伊58号になります。

インディアナポリスが発見されたなら、今一度伊58号を追うことも必要かもしれません。ただし、我々がこの戦争から学ぶべきこともしっかりと考えるべきでしょう。核兵器を積んでいた船、その船を撃沈した潜水艦。どちらも歴史的に重要な証拠です。海の上でも開発が行われる今日この頃で、実際に水中の戦争遺跡などが開発によって壊されるケースも起こっています。間違っても破壊されないよう周知し、メモリアルとして保護されるべきでしょう。

メアリーローズ号 ついに全貌が明らかに!

イギリスを代表する水中考古学遺跡と言えば、ヘンリー8世のメアリーローズ号ですね。

80年代に発掘が行われ、保存処理が数年前にやっと完成。一部公開をしながら乾燥させておりました。そして、完全中阿地での公開にいたりました。

当時はコンピューターを使っての記録方法など画期的でした。また。イギリス皇室が自らファンドを立ち上げ調査を実施。なんと、チャールズ皇太子も水中で発掘を行いました。特にヨーロッパなどでは皇太子や大統領などが水中遺跡の視察を実際に水中で行うことは稀なことではありません。余談ですが、プーチンさんも潜水艇に乗ったり自ら潜ったりしています。

保存処理には30年ほどかかった計算になりますが、やっと生の目で当時の軍艦を見ることができるようになりました。あまりに昔から有名なので、まだ発掘処理してたの?と思った方もいるかもしれません。発掘を担当した先生方などもだいぶ高齢になておられますし、すでに亡くなられた方もいます。一つの沈没船を完全な形で公開まで漕ぎ着けるのは大変な作業です。

とはいうものの、最近の技術や化学の発達により、保存処理作業も少しは楽になってきております。その話はまた別の機会にでも…

と、またまた最後に余談ですが、メアリーローズ号の発掘を記念して記念切手が過去に発売されたようです。その際、切手をデザインする方に発掘担当者から写真を渡したそうです。その中に皇太子の写真もあったそうです。実際にその写真が切手になったそうですが、何かの手違いかわかりませんが、切手には皇太子の名前もなかったそうです。切手の説明は、「ダイバーが水中で作業をしている様子」とのみ書かれていたそうです。マスクをしてますから、誰だかわからなかったのでしょう。一国の皇太子が「a diver」として記念切手になった珍しい例だそうです…未確認情報ですので、情報の扱いにはご注意ください!

 

 

毎月連載 水中考古学へのいざない

井上たかひこさんが毎月連載記事を書いている産経WEST

昨日も最新記事が載りました。7月は北海道江差に沈む幕末の軍艦「開陽丸」の調査事業について。長崎の元寇遺跡である鷹島海底遺跡も有名ですが、実はこちらの軍艦の発掘が日本の水中考古学の幕開けとなった調査なんです。

北海道に旅行に行かれる際には、ぜひ立ち寄ってみたいですね。

詳しくは、井上さんの書かれた記事へ…

南シナ海と海洋考古学

海洋考古学沈没船遺跡が中国の南シナ海政策と語られることが近年では珍しくありません。中国とフィリピンのスカボロー礁での衝突と水中遺跡調査については、数年前にウォールストリートジャーナルの記事に取り上げられています。2009年フランス極東学院の学術会議でも、パラセル諸島(西沙諸島)での中国の水中考古学調査の背景への質疑がありました。アジア海域史は、Sinocentric system、華夷秩序の理解無しでは成り立ちません。中国を社会的・政治的・文化的に世界の中心にすえるという考え方は、華夷秩序を打ち立てた時代から九段線を主張する現在まで本質的には変わりないように見えます。この概念では南シナ海は周縁であり、周縁者は中国宮廷へ朝貢を行う立場です。一方で、東南アジア島嶼・半島部に囲まれる南シナ海はその海域を中心に独自のネットワークを築き上げてきました。古代から海域を往来し、ネットワーク維持を担っていたのは、東南アジアの航海民でした。中国の文物が古くから、海域ネットワークで遠くインド洋やアフリカまで運ばれていたのは間違いありません。様々な古代の沈没船遺跡からは、中国の陶磁器が多量に出土します。しかしながら、これらが必ずしも中国の商人が運んだものとは限りませんし、中国の船が使用されていたとの証拠でもありません。実際に南シナ海では、東南アジア在来の沈没船が多く発見されています。歴史の政治利用は、その解釈への影響という点で、一層の注意が必要です。

水中遺跡関連のニュース

そろそろ夏本番です!

夏になると、なぜか水中考古学のニュースや記事などが湧いて出てきます。

 

1 7月9日の日本経済新聞

眠る水中遺跡 呼び覚ませ 
元寇船、平安期の瓦、オランダ商船…日本各地で探査広がる

2 また、産経新聞では、毎月一度水中遺跡に関するコラムが読めます。

井上たかひこさんが書いており、毎月一つの遺跡に絞ってかかれているようです。

 

3 月刊文化財は水中考古学特集を組んでおります。

1冊丸ごと水中考古学です。少し専門的かもしれませんが、様々な角度から日本の現状や世界の水中遺跡保護体制について書かれています。数年前の季刊考古学(123号)のように、水中考古を目指す人には必読の書となることでしょう。

 

4 月刊ダイバーも引き続き連載が続いていますね。

 

このほかにも、探せばいろいろと水中考古学の関する情報は出ています。最近、各地の調査などで忙しくしており、こちらのサイトをなかなかアップデートする時間もなかったので…お詫び申し上げます。フェイスブックやツイッターなどフォローしていただけると頻繁に情報を発信しておりますので、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

オイルマネー、グリーンピースと大英博物館

ちょっと面白いニュースなんですが、昨日出てたニュースで追記です。

最初はこちらのニュース~グリーンピースがとあるプロテスト活動を行っているそうですが、ちょっと面白い。

現在、かの大英博物館で水中考古学を大々的にテーマとした特別展を開催しています。エジプトなどで発見された水没した遺跡の展示です。日本でも数年前に横浜で開催されましたね。

ところが、これにグリーンピースがデモを開始。実は、この展示、イギリスのオイル会社(BP)が全面バックアップしています。地球温暖化を推し進める会社が、水没した遺跡の展示をするのはおかしいだろ!という理論でしょうか?BPをこのまま放っておくと、世界の多くの都市が海に沈んでしまうだろ!ということだそうです…

そのデモのスローガンが、Sinking Cities 『沈みつつある都市』です。これは、博物館の展示のスローガン Sunken Cities 『水没した都市』にちなんだもの。実際にニューオリンズなど沈みつつある町の写真などを掲げているそうです。

完全なるこじつけ、ほとんど洒落。オイル会社が良い・悪いは別として、世界の海から海洋資源を得る会社は、海の遺跡の保護にも積極的です。日本を除く多くの国では、パイプラインなど外洋の開発においても、モノを建設する際には水中遺跡の有無を調べるために事前探査を行っています。もちろん、原因者が負担しています。オイル会社のおかげで多くの水中遺跡が発見されているのは事実です。

ですので、オイル会社が水中遺跡の展示のスポンサーになるのは理に適っているのですが。違う視点からものを見ると面白いですね。

 

 

スリランカと中国のお話

今月8日、北京の人民大会堂でスリランカのウィクラマシンハ首相と中国の習近平国家主席はと会見したそうです。

日本のメディアではあまり大きくは報道しておりませんが…。海外のニュース記事からは、いくつか面白い点がみられます。面白いといっても、考古学者(特に水中・海事)に興味がある人が読めばですが。

スリランカと中国は(またインドも同じく)、近年になり海洋国家として経済・文化など海洋・海事・(海軍)に関する活動を活発にしてきています。その中で、特に両国の海洋政策について話し合われたようです。その中で、海洋事業(研究など)を一緒に進めていこうと話がありますが、その中の一つに、水中考古学が出てきます。

英語の勉強をしたい方は、是非読んで、どこに書かれているか探してみてください。さて、ぱっと流して読んでしまうと、それだけのニュースなのですが、よく考えてみると、2カ国のトップが合ったときに、「水中考古学の分野で協力しようよ!」と言っているわけです。しかも、スリランカという小さな島国で、決して経済的に恵まれた国ではありません。

このように、水中考古学は2国間の最高レベルでの話し合いにも出てくる話題なのです。20年前だと考えられなかったことですが、世界的に水中考古学が国際レベルで話し合われているわけです。詳しい内容は分かりませんが、何か良い研究に結びつくことを期待しています。

日本語のニュース

伊400号から遺物を回収!

伊400号は、旧日本軍の大型潜水艦で、艦内に折り畳み型の飛行機を搭載したことで有名です。その400号は終戦のあと、アメリカ軍がハワイ沖に沈めました…数年前、調査の結果、伊400号を発見したのはちょっとした話題になりましたね。

発見の時の映像

さて、今回は、その伊号潜水艦から遺物を引き揚げたとのことでニュースになっています。

博物館などに展示して多くの人に歴史を知ってもらうために活用するそうです。

今回の引き揚げ(ベル)のビデオも視聴できます

普通、戦争遺跡からの遺物の引き上げなどは戦争のメモリアルとして現地保存するため引き上げは行いません。ですが、この潜水艦は戦果も上げられずに終戦を迎えました。アメリカ軍に回収された後に沈められてますので、遺物を揚げても(法的に)問題なしということになります。

これを機会に、戦争の正しい理解(平和に貢献するため)が必要ですね。

 

 

水中考古学の「範囲」…オイルと環境アセス

さて、水中・海洋考古学は、どんな学問なんでしょうか?

たぶん、多くの人は、水中に特化した考古学で沈没船の構造の歴史変遷や、積荷の研究などかなり専門的で幅の狭い分野だというイメージがあるのではないでしょうか?

しかし、実際には水中に存在する遺跡を対象として様々な研究が行わえており、学際的・多角的な分野なのです。沈没船が環境に及ぼす影響、そして、沈没船によって作られた生物環境が、その後の人間の活動によってどのように変かしていったのかも研究しています。考古学というより、環境・生物学ですね。

沈没船は、海の底、特に深海において、一つの小さな生態系を作り出す時があります。何もない深海に、ポツンと有機物や金属などあれば、さまざまなバクテリアや生物たちがそこで生きていくことができます。しかし、人間の活動がその生態系を破壊してしまう恐れもあります。

2010年、メキシコ湾でオイルのプラットフォーム事故により大量の油が海に流出した事件がありました。このとき、近くにあった沈没船にも影響があったのではないかと言われています。直接・間接的に、数百件の水中遺跡に影響を及ぼしたと言われています。実際に、調査は進められており、結果はいろいろと上がってきています。生物への影響はもちろん、沈没船の鉄製品の錆が以前にもまして劣化が進んでいるとか…

人間の行動は、生物環境に影響を及ぼしますが、考古学(遺跡)への影響も大きいようです。特に、あまり普段は気が付かない水中に眠る人類の痕跡もさまざま影響を我々から受けているようです。特に海外では、環境アセスというとき、考古学や歴史的景観も含まれており、海の底も例外はありません。

水中考古学は、奥が深い。

アメリカ海洋エネルギー庁のページ

レポート

水中考古学とエルトゥールル号遺物の保存処理

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少し前ですが、2016年2月の読売新聞に、東海大学海洋学部の学生が和歌山県串本町で1890年に同町大島沖で沈没したオスマン帝国海軍海軍エルトゥールル号の遺物の保存処理に携わるという記事がありました。エルトゥールル号プロジェクトは、パブリシティや地域へのアウトリーチをとても重視したプロジェクトで、地元串本町、和歌山県内の観光系のプログラムを持つ大学、さらに小中高校との交流がこれまでもメディアにたびたび取り上げられてきました。国外研究者による国内の遺跡での学術調査で、コミュニティアーケオロージを実践した貴重な事例だとも言えます。一方で、考古学を学ぶ大学生が同プロジェクトに参加したのは、2007年のプロジェクト開始以来、今回の東海大学の水中考古学を学ぶ学生が初めてのことだと思われます。10年近く継続して行われているエルトゥールル号プロジェクトは、これまで国内の考古学機関からは、それ程にはサポートを受けたことがありません。これには色々な要因がありますが、やはり沈没船遺跡、その年代が19世紀後半ということも、水中遺跡としての認知が進まない理由の一つとも考えられます。水中遺跡の代表的な例に沈没船が含まれますが、日本の水中考古学史上では、むしろ湖底遺跡や海底の遺物の散布地などが、水中遺跡調査の事例として取り上げられます。一方で、その学史上では1974年から調査が開始された、箱館戦争で沈んだ旧幕府軍艦開陽丸の水中発掘調査が欠くことができません。19世紀後半の沈没船の数例の調査の一つとしては、他にいろは丸があげられます。日本・トルコ外交史上重要な意味を持つエルトゥールル号、発掘調査、保存処理、活用というプロセスがプロジェクト開始以来着実に進行しています。調査団の船舶考古学研究所の(INA)紀要(英文)では、調査の誌上報告がされています。特に金属・木製品からなる約8,130点もの遺物の保存処理は、3万点以上の遺物が引き揚げられた開陽丸以来の大規模な海揚がり遺物の保存処理作業となります。開陽丸遺物の保存処理では、当時の様々な試行錯誤がその課題とともに報告されていますが、水中考古学発調査によって引き揚げられた遺物の保存処理に実績のある船舶考古学研究所のエルトゥールル号プロジェクトで現在用いられている保存処理作業は、遺物の調査発掘から公開・活用までが求められる日本の水中考古学にとっても得られるところが多いのではないでしょうか。

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