水中考古学の薦め

人間の新しい環境に乗り出していく好奇心と挑戦心が物質的にあらわれたもの、それが“ふね”です。考古学は水中であれ地上であれ基本とすることは全く同じです。過去を愛する人、遺物を将来のために守っていく心を持った人の集まりが水中考古学を発展させていくことでしょう。トレジャー・ハンティングや水中考古学まがいのものが日本では認知されてきていますが、考古学の目的は遺跡・遺物の保護です。過去を大切にすること、それが第一原則です。今こそ日本人の海への関心を高めるべきです。地上の重力に魂を束縛された人間の心を解放し、水中遺跡の関心を高めていく。それが私の使命だと考えています。

2005年4月2日 Randall Sasaki

丸木舟の復元

京都の舞鶴湾口の浦入遺跡から発見された丸木舟を元に復元作業を行っています。舟の復元は思ったよりもいろいろな場所で行われています。


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クフ王の「太陽の船」 保存状態の悪化が深刻

「太陽の船」として知られる、古代エジプト古王国時代のクフ王(2589 – 2566 BC)の船の保存状態の悪化が進行し、再度保存処理が必要であると、the International Conference on Heritage of the Naqada and Qus region, Egypt 2007の議長、ハニ・ハンナ氏が報告しています。クフ王の船は、1954年にエジプトのギザにあるクフ王のピラミッドの側のピットから発見され、ピラミッドの横に建てられた博物館に保管されています。全長43.63m、幅5.66mと大きく、世界最古の木造船の一つです。ハンナ氏によると、温度、湿度、光による劣化に加え、虫やカビによる悪化が進行しているようです。また、ひどいことに、博物館の内側をペンキで塗った際に付着したと思われるペンキの痕も船に見られるとのことです。

1200個以上の部品に分解された状態で発見されたクフ王の船ですが、構造は大変複雑で、ほぞと縄を使って巧みに組み上げられています。工法についてはSteffy先生のWooden Ship Building and the Interpretation of Shipwrecksに詳しく書いてあります。また、クフ王の「太陽の船」は1987年に早稲田大学ピラミッド調査隊によってもう一隻発見されており、現在、発掘、復元に向けての研究が進められているようです。早稲田大学のクフ王第二の船調査プロジェクトによると、1隻目の船に関しても再検討を行い、部材に記載されたヒエラティック文字に着目し、現在の復元像とは異なる復元像に到達したと報告しています。

近い将来、第二の「太陽の船」も発掘されると思いますが、4500年という長い年月を経た貴重な遺物を数十年足らずで破壊してしまわないように、保存処理や保存環境をしっかりと整えていく必要がありますね。

クフ王第二の船調査プロジェクト
古代エジプトクフ王ピラミッド「第2の船」の保存修復に関する研究

バラード博士がメキシコ湾で調査

タイタニックなどで有名なバラード博士が今度はメキシコ湾で調査を行います。今度は沈没船ではなく、水没した遺跡、住居跡などを探索するそうです。海面の上昇などにより水没した遺跡は数多く存在する可能性があります。水中ロボット、原子力潜水艦、ダイバーなどを使い探索を行います。特にこの地方のある岩塩を探すことも行うそうです。当時塩を採掘していた可能性もあるので、遺跡が底にある可能性もあるとのこと。

今回の調査はバラードさんは船に乗らずコネチカット州から指揮をとります。通信設備が整っているため、海上に出ることなく現場で何が起こっているか把握できるそうです。またテレビなどでもすぐに放送できます。今回のプロジェクトは約30万ドルの費用で行います。(バラードさんにしてみれば少ない金額ですね...)何か重大な発見があればもっと大きなプロジェクトとして次につなげていくそうです。


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メキシコでマニラガレオンからの遺物発見

メキシコの考古学者がバハ・カリフォルニアの海岸から中国製陶磁器などを発見し、初期ガレオン船の遺物が流されたものと判断しています。

1560年代から太平洋間(マニラーアカプルコ)を往復したスペインの貿易船は天候などにより北に流されてカリフォルニア地方に行き着くことがあったそうです。この航海に使われた船は一般にマニラガレオンとして呼ばれています。発見されたのは中国製の遺物数点で、この地方は海岸の砂の移動が多いのでまとまった遺物は発見されないでしょうが、近辺の磁気探査により反応があれば沈没船の可能性が濃厚になります。

日本の貿易陶磁器研究者などにとっては期待が持たれる発見だと思います。船の年代などはまだ分かりませんが、伊万里からの遺物も遠くメキシコで発見されています。伊万里焼がまとまってメキシコの沈没船から発見されれば日本国内でも海洋考古学が盛んになるきっかけになるのでは?期待しています。

古伊万里、太平洋渡り中米に!


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アラビア半島の水没遺跡

アラビア半島の海岸に遺跡が点在していますが、もっとたくさんの遺跡があったのではないかといわれています。30年ほど前に沈没した町などもあるそうで、この地方では海面の上昇や侵食などいろいろな条件があるので、かなりの遺跡が水没している可能性があるとしています。これらの遺跡を発見しなければその歴史は書かれることがなく存在していなかったことになります。これらの水没した遺跡を発見・発掘することに大きな意義があると伝えています。今後、アラビア半島でもおおきな海洋・水中考古学の動きがあるのでしょうか?


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Dwarka神殿 またまたインドからのニュース

このサイトで何度か紹介したグジャラト地方で発掘が行われている水没した神殿のアップデートです。the Archaeological Survey of India (ASI)「インド考古学サーヴェイ機関」の the Underwater Archaeology Wing (UAW) 「水中考古学部」の Alok Tripathiさんが中心に調査をすすめており、水没した遺跡と丘の遺跡を同時に調査しているそうです。

主に中世の遺物と構造物が発見されており、インド神話のマハバラータではクリシュナの都市として知られています。また一説によると「エリュトラ海案内記」(The Periplus of the Erythraean Sea)に書かれたBarka島とも言われています。

1981年からS.R.Rao教授のもと水中での発掘が行われ、それ以降成果をあげてきました。今年から再調査が開始されており、今後の結果に期待がもたれます。現在までに水没した遺構の調査、コインなどが発見されています。


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インドとイタリアが文化交流促進。水中文化財も視野に。

インドの水中・海事考古学が勢いを見せています。イタリアと教育や芸術、文化財保護に関する文化交流の促進を締結したそうですが、水中文化財の保護もそのなかに含まれるようです。両政府はユネスコ水中文化財保護条約に則してこうした試みを実現させていくようです。考古学者も多く水中・海事考古学に携わる研究者も多いインドですが、外国との積極的な協力も進めいるようです。

インドとポルトガルの海洋学者の合同調査

1988年にゴア近海から沈没船が発見されていますが、今回、そこから2kmと離れていない地点から蒸気船が発見されました。古い鉄砲やアフリカやヨーロッパなどの交易品があり、歴史資料などと照らし合わせどの沈没船か探す作業が行われています。

また、他の沈没船も探すために地域を探査することが決まっています。ポルトガルの船も多数あるため、南アフリカのチームやポルトガルの文献資料の整理も進められています。さて、1988年に発見された沈没船ですが、17世紀のものと考えられており、象牙、中国陶器、かまどや鉄砲など発見されています。残念ながらそれほど調査は進んでおらず船体の確認は行われていません。


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トルコ発のニュース

トルコからのニュースで、串本町でのプロジェクトの他、

クロードさんの紹介、
http://www.turkishdailynews.com.tr/article.php?enewsid=65669

アンカラ大学水中考古学研究センターによるトルコイズミルの
Liman Tepe遺跡の調査、
http://www.turkishdailynews.com.tr/article.php?enewsid=65952

が発信されています。
Liman Tepeに関しては、青銅器時代の防波堤の跡が確認されているようです。海上交易の要所として栄えた都市であり、陸上での発掘も行われているようですが、1992年から水中調査も実施されているとのことです。木材と鉄を使用したアンカーの他、沈没船も確認されており今後の発掘調査の進展が期待されているようです。

串本沖 トルコ軍艦探査プロジェクト

2007年1月に行われた和歌山県串本沖の1890年に沈没したトルコ軍艦の事前調査に参加したときの様子などをまとめました。


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