水中考古学の薦め

人間の新しい環境に乗り出していく好奇心と挑戦心が物質的にあらわれたもの、それが“ふね”です。考古学は水中であれ地上であれ基本とすることは全く同じです。過去を愛する人、遺物を将来のために守っていく心を持った人の集まりが水中考古学を発展させていくことでしょう。トレジャー・ハンティングや水中考古学まがいのものが日本では認知されてきていますが、考古学の目的は遺跡・遺物の保護です。過去を大切にすること、それが第一原則です。今こそ日本人の海への関心を高めるべきです。地上の重力に魂を束縛された人間の心を解放し、水中遺跡の関心を高めていく。それが私の使命だと考えています。

2005年4月2日 Randall Sasaki

第1回 海洋考古学セミナー 成功!

9月2日、京大会館で海洋考古学セミナーが行われました。多くの学生、研究者、社会人などの参加がありました。水中考古学の基礎、東アジアの船舶、考古学のオープンソース化の意義などの講演がありました。今後もこのようなセミナーなどを開催し、より多くの方々が海洋考古学を正確に理解していける機会を作っていきたいと考えています。

バラード博士による新たな試み

タイタニックの発見で有名なロバート・バラード博士がソロモン諸島で故ケネディ大統領が乗り込んでいたと考えられる魚雷艇を発見したそうです。

韓国の外洋貿易船 Part2

朝鮮日報より

遠洋貿易に使用された高麗時代の船が初めて発掘された。これまで4隻の高麗船が発掘されたことがあるが、すべて沿岸航海用の船だった。

 国立海洋遺物展示館の金聖範(キム・ソンボム)館長は28日、「中国山東省蓬莱市にある蓬莱水城の港内で、14世紀後半の高麗貨物船2隻が昨年発掘され、これを中国が最近の学術大会で公開した」と発表した。

 「蓬莱3・4号船」と命名された2隻の船のうち、3号船の保存状態が比較的良好であり、残存部分の長さは17.1メートル(推定全長23から28メートル)、幅は6.2メートルある。また、船内には高麗青磁など10点余りの生活用品が残されていた。

 ソウル大造船海洋工学科の崔恒洵(チェ・ハンスン)教授は「平坦な底面を長い木製の釘を使って堅固につなぐなど、中国とは異なる高麗船の特徴がよく現れている。最大で160トン程度の貨物を載せることが可能だっただろう」と語った。

 また、船に貨物が残っていないことについて、崔教授は「貨物を下ろした後、港内に繋留して修理をしている最中に浸水したものとみられる」と推測した。

慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

朝鮮日報

中央日報でも少し詳しく伝えています。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79337&servcode=400&sectcode=400

高麗末期に韓国・中国間で活発な国際交易が行われていたことを表す高麗時代の大型船2隻が初めて公開された。 文化財庁国立海洋遺物展示館は28日、「高麗末の14世紀半ばまたは後半、中国山東半島の最北端にある蓬莱市の海岸で沈没した高麗船2隻が中国文化財当局によって昨年発掘されたが、最近、韓国の学者らに公開された」とし、「韓国研究陣が22-24日に蓬莱市で開かれた国際船舶学術討論会でこうした事実を確認した」と発表した。 その間、韓国でも高麗時代の船4隻が発掘されているが、当代東アジアの国際貿易を見せる高麗時代の船が発見されたのは今回が初めて。

◆歴代最大の高麗船=今回の船は「ポンレ3号」「ポンレ4号」という名前が付けられた。 ボンレ3号は現在残っている部分が長さ17.2メートル、幅6.2メートル。 高麗船特有の平らな底(8つの木材を左右3列につなぎ合わせた)の形をしている。 中国船は主に一つの龍骨(船首から船尾まで貫く材料)で構成され、船底がとがっている。またボンレ3号は板材を連結するのに木の釘を使用し、鉄の釘を使っていた中国船と製造技法でも違いがある。 キム・サンボム海洋遺物展示館長は「船の前後など消失した部分を復元した場合、全長23-28メートルになると推定される」とし「今まで発見された高麗船の中では最も大きな規模」と述べた。 ポンレ4号は長さ4メートル80センチ、幅1メートル96センチが残っている。

◆高麗青磁も発見=ボンレ3号からは高麗象嵌青磁2点も出てきた。 陶器・皿などの土器も発掘された。 海洋遺物展示館のハンソンウック専門委員は「今回の高麗青磁は文様・形態などから見て14世紀末のものに間違いない」とし、「これもボンレ3号が高麗末に建造されたという点を立証している」と述べた。 ボンレ3号は高麗末に盛んだった韓中交易を表す貴重な資料と評価される。 船が発見された蓬莱市は、古代から中国-韓国-日本をつなぐ‘海上シルクロード’の中心港の役割をしていた。

パク・ジョンホ記者

韓国の船 中国で発見!

韓国のYonhap Newsから伝えられた情報で、まだ詳しいことはわかりませんが、後にもっと詳しいNewsが手に入ると思います。

山東省蓬莱で14世紀の韓国製の船が発見されたそうです。韓国の船と中国の船が見つかったそうです。当時の韓国と中国の海洋のつながりを知る貴重な手がかりとなることでしょう。

韓国の船が海外で発掘されることはこれが初めてで、韓国が海を通したつながりに(鎖国を始める以前に)積極的に乗り出していたことが分かります。


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東南アジアの沈没船

[ 問題 ]

東南アジアで発掘された船を幾つか挙げてみました。この中でタイで発掘された沈没船はどれでしょう?

  1. Bakau沈没船
  2. Pattaya沈没船
  3. Butuan沈没船
  4. Bukit Jakas沈没船
  5. Phu Quoc沈没船


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エーゲ海で大噴火

National Geographic より

ギリシャ、エーゲ海に浮かぶセラ島近海で大規模な海底地質調査が行われたそうです。ギリシャとアメリカの調査隊がナショナル・ジオグラフィックの協力を得て、サントリニ火山のあるセラ島周辺の海底地形を調べました。その結果、火山による地層が30mの深さもあり、30km離れた地点でも深い堆積が確認されたそうです。西暦1883年に噴火したインドネシアのクラカタオとの対比などで相当の津波が予想され、周辺の人々に影響を与えたことでしょう。ギリシャ神話の神々の戦いやいわゆるアトランティスの伝説などはこの事件に由来しているのではないかと言われています。エーゲ海で約3600年前に起きたサントリニ火山島での噴火がクレタ島で栄えたミノア文明の滅亡のきっかけを作ったと考えられています。


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スペインのガレオン船発見

サウス・カロライナ州で500年前のスペインのガレオン船が発見されたようです。州の考古学者のチームが発見し、9月には詳細なサーヴェイを行うそうです。スペイン人、Lucas Vazquez de Ayllonの船、Chorrucaだと考えられています。1523年に大西洋から太平洋に抜けるルートの開拓にアメリカの海岸を探ることをスペイン王チャールズ1世に命を受けました。

Lucas Vazquez de Ayllonは1526年には植民地を作るため600人を連れてカロライナを訪れましたが、黒人奴隷が脱走しアメリカ原住民と共に反乱を起こしました。また、疫病の発生により、150人が殖民を諦めて本国に戻りました。今回発見された船はそのときのものと考えられています。


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古伊万里、太平洋渡り中米に!

佐賀新聞より

古伊万里、太平洋渡り中米に―新交易ルート浮上 

江戸前期に肥前地区で焼かれた古伊万里が、太平洋ルートでラテンアメリカに渡っていたことが西松浦郡有田町教委などの調査で分かった。メキシコで見つかっていた磁器片と同じタイプがフィリピンで初めて確認され、当時両国を植民地にしていたスペイン人が運んだことが裏付けられた。中国船やオランダ船による東南アジアやヨーロッパ諸国への輸出で知られる古伊万里の新たな貿易ルートが浮上した。
 同町教委文化財調査員の野上建紀さんが、フィリピン国立博物館などとの共同調査・研究で明らかにした。

 古伊万里が確認されたのは、スペインがフィリピン・マニラで1571年に築いた城塞(じょうさい)「イントラムロス」。城塞内の生活遺構から出土した古陶磁片100点を、野上さんが2004年3月に精査したところ、肥前産の磁器片5点を確認。昨年1-8月の本調査では約60点の肥前産を見つけた。放射状に文様を配置して芙蓉(ふよう)の花のように見える「芙蓉手」の染付皿が大半を占めた。

 メキシコでは首都・メキシコシティーで1970年代に地下鉄工事現場で有田焼の破片4点が出土し、日本人学者が確認している。野上さんも今年6-7月、首都のテンプロマイヨール周辺遺跡で、肥前産の芙蓉手染付皿などの磁器片10点を見つけた。

 このタイプの皿は、貿易を禁じた中国(清)の海禁令が出された時期(1656-1684年)に中国製品の代用品として作られた。当時日本は鎖国状態で、オランダ船と中国船だけが長崎への来航を許されていた。同じタイプの磁器片が台湾から出土することから、野上さんは「中国船が長崎から台湾経由でマニラまで古伊万里を運び、マニラのスペイン人に渡した」と結論づけた。

 スペインの貿易船は太平洋ルートでマニラから香辛料や絹をラテンアメリカに運び、そこから銀を持ち帰ったことは文献で知られている。野上さんは「その交易品に古伊万里があったことが分かった。今後、古伊万里がラテンアメリカの各地に広がっていたことも明らかになるはず」と話している。

 大橋康二九州陶磁文化館館長の話 古伊万里がスペイン船で運ばれた記録は見つかっておらず、考古学的な裏付けが取れた意義は大きい。ラテンアメリカにいたスペイン人も高級食器として中国磁器を使い、手に入らない場合は肥前産で代用したことがこれで分かった。わずか30年ほどだが中国磁器に代わり、古伊万里が世界に広く流通した事実を示す貴重な資料にもなる。

丸木舟を井戸にリサイクル

西日本新聞社から

滋賀県守山市の弘前遺跡で、古墳時代中期から後期(5−6世紀)の丸木舟をリサイクルして造った6世紀後半の井戸枠が見つかり、滋賀県文化財保護協会が17日、発表した。

 これまでにも石川県や大阪府、兵庫県などで古墳時代の舟を井戸枠に転用した例が見つかっており、同協会は「弘前遺跡の人々は琵琶湖の湖上交通を通じて各地の集落と交流し、舟を再利用する文化や技術を学んだのでは」と話している。

 同協会によると、井戸枠に使われたのは半円形の板材で、長さ1・5−1・6メートル、幅0・6−0・7メートル、高さ0・4−0・5メートル。組み合わせるとU字形をした丸木舟(推定全長5−6メートル)の約3分の1が復元できた。1本の針葉樹をくりぬいて造ったらしい。

2006年08月17日17時32分

寛永通宝ベトナムで流通?

非常に興味深いニュースです。鎖国中であった江戸時代でも実は知られざる国際交流があったのでは?

寛永通宝ベトナムで流通? 17世紀の「古寛永」盛んな交易示す 長崎貿易銭31枚も
 【ハノイ15日共同】ベトナム北部で出土したつぼから約3万枚の古銭が見つかり、日本の江戸時代初期の寛永通宝1枚と、長崎の商人が江戸時代に輸出用に使っていた長崎貿易銭31枚が含まれていたことが、15日までの桜木晋一・下関市立大教授(日本貨幣史)らの研究グループによる調査で明らかになった。

 江戸時代初期から末期まで200年以上鋳造が続いた寛永通宝は、鋳造時期や特徴などから1636年以降に発行された初期の「古寛永」と1668年以降に発行された「新寛永」に大別される。

 桜木教授らによると、海外では中国で20カ所以上の出土例があり、ベトナムでもこれまでに新寛永が中部ホイアンなどで見つかっているが、古寛永が見つかったのは初めてという。同教授は「江戸時代の日本の貨幣がベトナムで流通していたことを示す貴重な史料」としている。

 1800年代初期のものとみられるつぼは昨年出土し、ハノイの骨董(こっとう)品市場に出され、史料価値が高いと判断した同研究グループが鑑定を開始。古銭約3万枚のうち3000枚を分析した結果、約60%は18世紀ベトナムの貨幣だった。それ以外では北宋銭や唐時代の開元通宝など、中国の貨幣が多数を占めた。

 研究グループの菊池誠一・昭和女子大助教授(ベトナム考古学)は「銭貨を通じた両国の交流を解明していく手掛かりとなる」と話している。

■寛永通宝
 江戸時代の代表的な貨幣。表側に「寛永通宝」の4文字が上下右左の順に刻印され、1636(寛永13)年から正貨として鋳造された。4文銭と1文銭の2種類があり、材質は時代に応じ青銅、鉄、真ちゅうなどがあった。特に元禄年間に大量鋳造が進んで全国に流通し、中世からの永楽通宝など渡来銭の廃棄を実現した。明治維新後も1文銭が1厘として通用したが、造幣局発行の貨幣が出回るようになり、市場から姿を消した。
=2006/08/16付 西日本新聞朝刊=

2006年08月16日00時29分