水中考古学の薦め

人間の新しい環境に乗り出していく好奇心と挑戦心が物質的にあらわれたもの、それが“ふね”です。考古学は水中であれ地上であれ基本とすることは全く同じです。過去を愛する人、遺物を将来のために守っていく心を持った人の集まりが水中考古学を発展させていくことでしょう。トレジャー・ハンティングや水中考古学まがいのものが日本では認知されてきていますが、考古学の目的は遺跡・遺物の保護です。過去を大切にすること、それが第一原則です。今こそ日本人の海への関心を高めるべきです。地上の重力に魂を束縛された人間の心を解放し、水中遺跡の関心を高めていく。それが私の使命だと考えています。

2005年4月2日 Randall Sasaki

白藤江の戦い 考古学調査ブログ No.2

調査ブログの第2回目はどうしてこのプロジェクトがはじまったのか?についてです。「どうして水中考古学を始めようと思ったんですか?」などという質問は良く聞かれますが、いつも応答には困ってしまいます...答えは「たまたま、偶然」もしく、「自分でも良く分からない」からなのです。この白藤江プロジェクトも同じように「どうしてベトナムで調査をはじめたんですか?」と聞かれますが、これも「偶然」です。しかし、どのように始まったかはお答えできます。「Why」ではなく「How」ということですね...国際プロジェクトがどのように始まるかみなさん興味があるのではないでしょうか?というわけで、紹介させていただきます。今回は2009年に行われた第1次調査が始まるまでの道のり。先日行われたのは第3次調査です。

今から数年前のことになりますが、ある日突然ベトナムの考古学者のロンさんから写真付でEメールが私の元に寄せられました。メールの内容は「知り合いが6m以上もある大きなアンカー(椗)を漁師から買ったんだけど、このアンカーがモンゴル襲来のときのものであるか調べて欲しい」とのことでした。ロンさんはハノイ考古学研究所を近年退職したばかりであるが、モンゴル襲来に前々から興味があったとのこと。椗は2本あり、ハノイ近くの紅河から引き揚げられたらしい。また、ロンさんは鷹島海底遺跡で発見された大きな椗について調べており、大きさなどが似ていることから私のメールアドレスを調べコンタクトを取ってとのこと。写真を開くと確かに大きな椗が写っていた。椗は木製だがストックを取り付ける位置に丸い孔が開いており、そこに鉄の棒状のストックを装着したものと考えられる。縄などで椗の部位が固定されているが、保存状態が良さそうだ。形からするともっと新しい時代の椗だと思われた。

アンカーを保管しているディンさん

 

椗の部位を結合するロープ部分のアップ

爪の先に鉄がはめ込まれています。これは鷹島の椗と似ています。

実はお恥ずかしい話だが、自分もあまり元軍のベトナム侵攻については詳しくなかった。歴史の本でざっと読む程度であまり詳しく調べたこともない。考古学調査の可能性については興味があったが、はたしてどうやって研究を始めるのか?ベトナムには水中考古学を研究している人がいなさそうだし、サルベージも行われている。そのようなフィールドにどうやって入っていくのか?しかし、このメールを契機になんとなく調査できるきっかけとなるのではないかと思いとりあえず返信。「興味深い写真をありがとう!これだけでは良く分からないけどもっと詳しく調べることは可能ですか?」すると、翌日直ぐに返信があり、「是非ベトナムに椗を見に来てくれないか?」とのこと。こんなに簡単に物事が進むのか?となんとなく疑ったが当時私の研究所でプレジデントに就任していたデルガド博士と相談をした。

デルガドさんは以前からベトナムで調査を行いたいと思っていたそうだが、なかなかチャンスが無かった。そこで、たまたま転がり込んできたロンさんからの招待メール、これをも逃すわけには行かない!と直ぐに調査費用の調達が始まった。確か、ロンさんからのメールが来たのが11月ごろだったと思うが、翌年の5月にはハノイの空港に到着していた。

このときの椗の調査に私はオーストラリアの大学で学んでいた木村淳氏を誘った。木村君とは鷹島での調査やサン・フランシスコ号(1609年御宿で座礁したマニラガレオン)の調査でも度々一緒に活動をしている同士である。また、この時にフランスからクロード氏も同行した。クロード氏は画家ヘンリー・マチスの孫にあたり、マチス財団の代表取締役である。彼は若いころからダイビングに興味があり、あのクストーの右腕として潜っていたそうである。また、沈没船の学術調査の魅力に惹かれ、水中考古学の発展に貢献してきた人物である。

さて、この2本の椗について。結論を先に述べると、13世紀のモンゴルのものではなく、18-19世紀ごろの現地のものであると判明。炭素年代、樹種同定、縄の結び方、ストックの位置、形などから判断された。鷹島出土の椗に似ている部分もあるが、それは中国南部系統の椗全般に共通していることであり、元寇とのかかわりは全く無しであると断定。詳しくロンさんに話を聞くと、ある別の研究者がモンゴルの椗であると判断したが、ロンさんはその説に疑いをもち、私にコンタクトを取ったそうである。ちなみに、この椗についての詳細はInternational Journal of Nautical Archaeologyに論文を発表したので、興味のある人は是非読んでみてください。

 

アンカーその1

アンカーその2

 

さて、この椗がモンゴルのものでないにしても、ここで引き下がるわけにはいかない...とのことで、実際に白藤江の戦いの現場に行こう!とその場で計画。実際にクアンニン省に赴き、現地の学芸員(?)と連絡を取り現場を視察した。「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、実際に現地に行くまではその遺跡の真の可能性を知ることは出来ない。基本的にはだだっ広い田んぼが広がる地域であるが、よく見るとあちらこちらに木の杭が突き出ているのだ。しかも、保存状況が良い。開発も殆どされていない。つまり、沈没船があるとすれば、田んぼの下に眠っており、水位が非常に高いため、遺物の保存状況は相当期待が持てる。これはなんとか大掛かりな調査ができないものかと考え始めた。沈没船の考古学であるが、水に潜る必要もそれほど無く、また、戦場の復元も出来るポテンシャルがあった。

このようなちょっと沼のような使われてない田んぼの中に...

700年前の戦いで使われた木の杭が出てる

ハノイの帰った我々はなんとかこの地で調査ができないかとベトナム人のパートナーを探し始めた。ロンさんに相談やベトナムの考古学に詳しい日本人研究者などにメールを送り事情を説明した。と、一人の研究者が候補に挙がった。ハノイ考古学研究所のリエン博士である。彼女は以前にも白藤江の発掘に参加していたそうである。早速、リエン博士とコンタクトを取り、アメリカへ戻る日の前日彼女に合うことが出来た。彼女は調査の可能性に協力的であり、一緒に調査をしてみたいと、とても良い返事をいただいた。彼女は、数年ユネスコで仕事をしており、考古学の仕事から離れていたが、ちょうど研究所への復帰をしたそうである。本人も多少驚いていたようだったが快くプロジェクトの参加協力を受け入れてくれた。ただし、ベトナムからは資金は出ないから自分達で調達してくれとのこと。まあ、それはもちろん最初から承知していたこと。それでは、これからいろいろとお世話になりますが、よろしくお願いいたします!と言い、アメリカへ帰国する準備をするためホテルに戻った。

ベトナム到着した時点では椗の調査に向けていろいろと考えていたが、帰りの飛行機ではすでに次のプロジェクトの企画を考えていた。いや、つい半年ちょっと前までベトナムで調査をするなど考えもしなかった...アメリカへ帰り、早速メンバー集め。広い範囲の調査になるので、多くのメンバーが必要だ。最初は木の杭の出土位置の確認、当時の地形の復元の可能性、伝承などを記録し史実と照らし合わせるなど作業はいろいろある。特に英雄陳興道は現在でも有名な歴史的国民的ヒーローとして色々な場所に祭られている。このプロジェクトに興味のありそうな人を募集してみた。他の大学院で水中考古学を学んでいる生徒を中心にと思い、イギリスやオーストラリアの大学などに話を持ちかけた。さて、調査資金であるが、これもなかなか難しい。いろいろな研究所や財団など幾つか候補があったが、充分な資金を出せるだけの「アジアの水中考古学」を行うためのの特別な団体は存在しない。そこで、いちかばちか、ナショナル・ジオグラフィック社に調査のための資金協力を要請した。ナショナル・ジオグラフィックといえば、アメリカの科学雑誌の大手である。黄色い表紙で有名な雑誌やテレビ番組などもある。ものは試しで、なんと無事に資金をゲットすることが出来たのだ!今思うといろいろと面倒なプロセスではあった。調査方法や意義はもちろんだが、調査の日程や資金の見積もりなど細かく記載しなければならなかった。ホテルの値段や食事の費用、レンタカーの値段...調査費用はドルで計算するのも最初は少し戸惑った...当時は1ドルで16,000ベトナム・ドンほど。おかげで「0―ゼロ」がたくさん並ぶ計算がやや面倒。ハノイで泊まったホテルの値段を元に一人一泊25ドルほどを予想したが、結局二人一部屋で10ドルと、ハノイと地方の物価の違いもあるし、学ぶことが多かった。

陳興道をたたえるお寺。今度の調査では伝承などの記録も重要となる

 

さて、メンバーもフランス、アメリカ、オーストラリア、日本など様々な国から10人ほど集まった。さらには、ナショナル・ジオグラフィック社からもカメラマンを同行させてくれとの要請。これはありがたいのかな?こうして、第一次調査の準備が整ったので、出陣!

第一次調査の様子・結果などは次回をお楽しみに!

2011~2012…

2012年も、早いもので気がついたら成人の日もすぎて、すっかり正月の気分もなくなりました。みなさまはいかがお過ごしでしょうか?

最初にお知らせですが、私がラジオで水中考古学について生トークいたします!

詳細はこちら

1月12日 J-wave (81.3FM) — 8:30-9:00 AM (LIVE)  http://www.j-wave.co.jp/original/tmr/index.htm

1月14日 FM Yokohama (84.7FM) — 10-10:30 AM (LIVE) http://www4.fmyokohama.co.jp/future/future_new.html

 

 

ラジオ生放送で水中考古学について聴ける機会はそれほどないので、是非お楽しみに!

さて、ラジオを聴くにあたって少し事前のお知らせとして一言書かせていただきます。ちょうど少し1年を振り返ることと、今後の動向について考えて見る時期でもあるますので、水中考古学を知るには良いのではないでしょうか?ツイッターで去年の暮れから1年の水中考古学ニュース・トップ10のカウントダウンをしましたが、ツイッターを使っていない方のためにも少しおさらいを。

10位:世代の交代が顕著な1年であったこと。水中考古学の大御所の先生方がお亡くなりになったり、引退なさったりと、悲しいとしではありましたが、日本人初の博士号の取得した木村氏の活躍などがあげられます。

9位:ヴァーサ号の引き上げから50年など節目の年!これも、世代交代と関連しています。メキシコの水中考古学誕生から30年などもこの部類のニュースに入ります。

8位:海賊船の発掘ブーム?黒ヒゲの沈没船はもちろんのこと、ヘンリー・モーガンの船の発見、キャプテン・キッドの沈没船が海底ミュージアム化されるなどいろいろです。ワンピース人気で水中考古学も人気上昇?

7位:私の宣伝のようでもありますが、「沈没船が教える世界史」が成毛眞氏などのレビューの影響などもあり、売れ行きが良かったこと。実は、一般向けの水中考古学の本は今までに日本でほとんどなかった。井上たかひこ氏も一般向けに本を出しています。

6位:水中文化遺産の保護の取り組みが強まっています!スペインもそうですが、アルバニア、フィリピン、インドネシアなどでも、本格的に水中文化遺産の保護に向けて進んでいます。

5位:マニラでアジア・太平洋地域水中文化遺産保護会議が行われました!この地域でこれだけ大きな会議が行われたことは初めて。改めて地域全体で水中文化遺産の保護の重要性が高まっていることを確認することが出来ました。

4位:スミソニアン博物館がインドネシアで本格発掘!トレジャーハンターが引き揚げた跡を再発掘するそうです。インドネシアのBelitung沈没船は今後も話題を呼びそうです。もともと、9世紀の中国とインド洋を結んだ物的証拠である沈没船の発掘ですから、歴史的価値は相当のものです。

3位:アジア水中考古学研究所が進めている日本の水中遺跡データベース化事業が最終段階に!水中遺跡のデータベース化は非常に重要な作業です。地味に見えるかもしれませんが、このような下積みがなければ大きな成果や発見はありえないのです。世界でもデータベースを作った国とその取り組みに遅れた国では違いが見えてきます。

2位:鷹島海底遺跡から元寇沈没船発見!そして、鷹島海底遺跡が国指定遺跡になるとのこと。このニュースが誰もが「水中考古学ニュース」のトップになるだろうと予想していたことでしょう。ですので、あえて、ここは2番にしてみました。というのも、今までの発掘やサーヴェイの実績があったからこその発見です。すでに、椗など大きな木材も多く引き揚げられています。また、世界的に見て、沈没船の発見はそれほど珍しくない事例。発見された沈没船の保存状況を見る限り、同等、もしくはこれ以上の残りの良い沈没船は海に面した市町村どこでも発見できる可能性があります。また、沈没船を探すために使用された機材や方法もあくまで日本国内では珍しい新たな試みであることは間違いないですが、他国の考古学調査では良く行われている方法です。今まで発見できなかったのも日本の水中考古学事情が未発達であったためで、「やっと」ここまで来れたかというのが正直な感想です。調査を続ければもっと保存状態の良い船が見つかるはずですので、騒がず、あせらず、じっくりと研究を進めていくことが望ましいでしょう。

1位:日本国内で「水中考古学」という言葉を耳にする機会が2011年には非常に多かったこと。今までにないほどにテレビやニュースなどで水中考古学が話題となっていました。だいたい1月に1-2回はテレビでも関連した話題が取り上げられていました。今年はもっと水中考古学関連の話題が見られることでしょう。

ざっと、2011年のニュースをまとめてみました。水中考古学にとって重要なのは一般の人にもこの学問を知ってもらうことです。というのも、世界のほとんどすべての水中遺跡は偶然、一般の人に発見されているからです。考古学者が発見するのはいたって例外なのです。ダイバー、護岸工事に関わる人、漁師などが発見するケースがほとんどです。つまり、今後の日本で水中考古学を発達させるには一般の理解を広めることが先決であるのです。遺跡がなければ成果はあげられませんし、沈没船の研究には数十年かかるのが普通です。これらの調査は税金で行われることが多いので、やはり、みんなで共有の財産なんだと思っていたがかないと、調査する意味もなくなってしまいます。そう考えると、2011年は非常に良い年であったと考えられます。鷹島での発見という大きなニュースと、水中考古学が一般にも浸透し始めたこと。地道な水中遺跡のデータベース作成など。やっと世界の水中考古学の調査と肩を並べられるほどになってきたのではないかと感じられます。2011年の成果は今後の発達に意義のあることが多かったのではないでしょうか?

2012年はどうなるのでしょうか?ニュースやテレビ・ラジオなどいろいろと話題になりそうですが、成果についてしっかりと提示していく必要があるでしょう。水中考古学ってどんな学問か理解している人が増えているでしょうから、実際に「こんなこともこの学問から分かったのか!」といニュースが多く出てくるとよいでしょうね。日本国内ではまだ難しいかもしれませんが、海外などで多くの事例を紹介していく予定です。

 

 

 

水中考古学の勝利!

Belitung沈没船といえば、インドネシアで発見された9世紀のアラブ・インドの船で、搭載されていた遺物から中国とインド洋を結んだ重要な資料として知られています。ただ、問題はトレジャーハンターによって発掘されたこと。以前、スミソニアン博物館でその遺物を展示する予定がありましたが、商業目的で発掘(盗掘)された遺物を科学的な博物館で展示して良いのかと話題になったのは記憶に新しいかもしれません(このサイトをよく読んでいる人であれば...)。結局のところ、スミソニアンは展示をキャンセルしました。

すると、ここで一転。先日発表されたニュースではなんと、この沈没船の再発掘が行われるとのこと。トレジャーハンターが堀り残した船体や金銭的価値の低いと思われてその場に残された遺物をきちんとした考古学的発掘をおこなう計画を発表しました。その発掘には出来る限り現地の考古学者を使い、地域の水中考古学の発展に貢献するそうです。ユネスコの水中文化遺産のワークショップなどに参加した研究者などを対象にメンバーを集めたりするそうです。

今までスミソニアンがここまで本格的に東南アジアの水中考古学に関与したことは初めて。インドネシアもつい最近トレジャーハンターをシャットアウトする方向を示したばかりです。これを契機に地域の水中文化遺産保護の基礎が固められるのではないでしょうか?考古学者が中心となり沈没船を発掘する取り組みが東南アジアでは主流になってきたことの証でしょう。

ただ、気になるのが次にトレジャーハンターが向かう先はどこになるのでしょうか?今までの水中考古学VSトレジャーハンターの歴史をみると、水中文化遺産保護の取り組みが遅れている地域にトレジャーハンターが集まる傾向があるようです。つまり、アジアでは日本、ミャンマー、北朝鮮などということになりますね。日本も今回のニュースの動きを真剣に見極め、今後どのように水中文化遺産の保護に取り組んでいくか考えるべきではないでしょうか?

水中考古学が評価され、世界各地で貴重な発掘が行われています。これからもどんどんすばらしい発見があることでしょう。これから10年先、東南アジアの水中考古学の発展は眼が離せそうもありません。

アジア太平洋地域水中文化遺産会議

さて、先月マニラでアジア太平洋地域水中文化遺産会議が行われました。私も鷹島海底遺跡で以前に研究した内容、ベトナム白藤江での調査など発表で参加いたしました。

アジア太平洋ということで、アフリカ東海岸から南米(太平洋側)の国々と非常に大きなエリアではありますが、多くの学者が参加されていました。聞いたところによるとこの会議には実はもっと多くの人が応募したそうですが、多くの人は拒否されたようです。トレジャーハンターや研究者として疑問のある人は参加できないという少し厳しい会議でした。日本人も東京海洋大学からの先生方を始め数名参加されていました。また、日本を研究する「海外」の研究者もいました。

さて、この会議、第1回ということですが、大盛況のようでした。多くの国の、特に若手の研究者が水中文化遺産の保護、そして水中遺跡の研究など様々なテーマで発表を行い、ディスカッションを行っていました。これがアジアの水中考古学の最前線だなと感じました。やはり、韓国はものすごい進んでいますね。新しく保存処理施設(海洋文化遺産センター)を作るようです。国が水中考古学を支援している様子が伺えます。また、インドの研究者も一丸となり研究を進めています。遺跡の現地保存方法の模索や、アンカーの研究などいろいろです。また、東アフリカからの研究者による鄭和の船のサーヴェイの発表の後に一番最初に発表者に真剣に話し込みに行ったのは中国からの先生でした...これは、典型と言うか、やっぱりね、と思いました。マニラ・ガレオン船の研究もどんどん進んでいるようですね。メキシコも国が水中考古学を推し進めて30年がたちます。

また、東南アジアも活発な調査が進められています。少し以前まではトレジャーハンターらが独占していた感じがありましたが、最近は若手の学者が水中考古学を盛り上げています。インドネシアは今年からトレジャーハンターに発掘許可を出すことを辞めたそうですね。フィリピンも遺物の売買は禁止。もちろん、カンボジアはユネスコ水中文化遺産保護法を可決していますから、きちんと水中文化遺産は国の法律で守られています。これから東南アジアの水中考古学はどんどん延びていくのではないでしょうか?沈没船も頻繁に発見され、調査が進んでいます。タイも昔からこの分野は先進国です。

この会議、全体を通してユネスコが上から押している感が少しありましたが、研究者同士のつながりが持てたことにより、ユネスコ主体でなく地域の研究者を中心とした新しい水中文化遺産の方向性を自ら作り出す契機となるかもしれません。また、やはり日本からの参加者が少ない印象でしたね。今回参加した国の中でトップクラスの経済力と考古学のすばらしい成果があるにも関わらず、この分野での存在感はいまいちでした。(予断ですが、リビアやイランなど独裁政治的な国のほうがユネスコ水中文化遺産保護に関しては承認が早かったですね...)水中考古学と言う分野は国が後押しをしないとなかなか発達しないものだと感じました。韓国と比べると、隣なのにどうしてここまで違うのかといつも思います。まあ、でも日本の水中考古学はこれからです!

この会議のプロシーディングスですが、こちらからご覧に慣れます。少し見にくい(使いにくい)サイトですが、すべての発表内容がPDFでダウンロードできるのは良いことですね。このような会議がこれからドンドン行われることを期待いたします。

 

 

 

 

 

 

ベトナム白藤江の戦い(1288年)考古学調査報告01

しばらくこのサイトのアップデートをお休みさせていただいておりましたが、また再開したいと思います。よろしくお願いします。さて、というのも、ベトナムに考古学調査で調査団長として出かけていたため、時間が取れない状態でした。これからその調査について少しここでは紹介いたします。つい最近、長崎県鷹島で発見された元寇の船が発見されたことが話題に上がりましたね。実は1288年、文永・弘安の役(元寇)から数年後、モンゴル皇帝フビライはベトナムに攻め込んでいます。なんと、ここでもモンゴル軍は壊滅的ダメージを受け侵略に失敗していたのです...この戦いは白藤江の戦いと呼ばれ、この時のベトナム軍の勝利は今でも語り継がれています。まずは歴史背景、調査に至ったいきさつ、調査の目的・方法、結果、調査の様子などを紹介しますが、何回かに分けて書いていきたいと考えています。

歴史背景:
第2次日本遠征に失敗したクビライですが、懲りずに3時遠征を計画していました。しかし、民衆や部下からの反対意見が多かったので遠征を取りやめたのです。しかし、その後、ベトナムへと矛先を向けたのです。当時は北部ベトナムは陳朝大越国が支配し、南部はチャンパー王国が支配ていました。モンゴル帝国はこれ以前からベトナムやチャンパーに政治・軍事的圧力を掛けていましたが、ベトナムの人民はなかなかモンゴルの思うようには動いてくれず、クビライは再度軍事介入を試みます。1288年に海軍と陸軍を送り込んだクビライですが、思っていた以上に手際よく首都タンロン(現在のハノイ)を攻略しました。しかし、ベトナム人民は焦土・ゲリラ作戦と補給部隊を打つ方法をもってモンゴル軍と対抗しました。なれない土地と食料供給を絶たれたモンゴル軍はあえなく撤退を余儀なくされます。

帰路につくモンゴルを迎え撃ったのは将軍陳興道でした。彼はモンゴル軍を白藤江の河口で待ち伏せしていたのでした。歴史文献では詳しい戦いの様子は分かりませんし、神話などで語り継がれている話なども信憑性に欠くものもありますが、モンゴルと陳軍の戦いは大体次のように起こったとされています。河を下り海に近づくモンゴル艦隊の前に少数のベトナムの船が現れました。その船を追うモンゴル軍ですが、なんと、気がつくと艦隊の前に無数の木の杭が現れていました。

アーティストが描いた戦いの様子。見にくいかもしれませんが、小さな木の杭がいっぱい描かれています。

実はベトナム軍はあらかじめ木の杭を要所要所に打ち込んでいたのでした。このデルタ河口であるため船で通過するのは難しい場所でした。しかも、干満の差が非常に大きい地域でもあり、それを利用して陳軍はモンゴル軍を「おとり」を使い水位が下がりだす時間にモンゴル艦隊を罠にはめたと言われています。また、別の資料では小型の船団を逃れる元軍が杭に阻められたとか、または、木の杭に船が「刺さった」などいろいろと伝えられています。すでに士気を失い身動きが取れなくなったモンゴル艦隊に隠れていた陳軍が一斉に攻撃を仕掛けたと伝えられており、また、上流から火船を放ったとも言われています。

この戦いでベトナムは勝利し、モンゴル軍は船を400隻失ったと言われています。この400隻が当時サルベージされたのか、それとも沈没したままなのか?疑問はいっぱいです。また、どのような船が沈んだのか?日本侵攻を考えて造船された船もベトナム船に組み込まれたとも言われています。さて、この白藤江の戦いで勝利した将軍陳興道はベトナムの英雄として現在でも親しみを持って崇拝されています。将軍陳興道を奉るお寺など各地にあり、また、多くの町に必ず陳興道にちなんだ道や地域の名前などを見ることが出来ます。左の写真は現地の陳興道のお祭りの準備をしているところ。紙で作った(モンゴルの?)馬などもあります。国の独立を死守した英雄は今でもベトナム人の心に生き続けています。

 

考古学調査の歴史

英雄陳興道信仰は特に白藤江河口で強く、クアンニン省の 南西部には様々な伝承が伝わり、また、直接に戦いに関連 した地名なども伝えられている。1950-60年代に白藤 江で大掛かりな護岸工事が実施され堤防が築かれました。堤防工事の最中になんと無数の木の杭が発見されたのでした。ベトナムの考古学者が調査をしたところ、この木の杭は13世紀のものであることが判明し、いくつかは発掘され各地の博物館などに送られましたが、木の杭のいくつかは現在でも現地保存がされています。その後、近隣地域も調査が進み、木の杭が8-10km²のエリア内の様々な場所から発見されています。ちなみに、この地域( クアンニン省クアンイェン)をグーグルマップなどでお確かめください。

この地域は堤防が築かれて以降、埋立地となり人々が住むようになったので、現在の地形をそのまま13世紀に当てはめることはできません。戦いのあった時代にはデルタ地帯であったと考えられ、幾つかの島が点在していた地形であると考えられています。その島が点在し、細い水路を通って海に出ようとしたモンゴル軍を陳軍が木の杭により動きを阻止したと考えられています。現在では地域の人々が歴史的価値のある遺物(遺構?)であると理解しているため、発見されればすぐに報告され保護されます。しかし、木の杭の正確な分布図などもなく、また、多くの杭はすでに失われているものと考えられています。また、木の杭以外のモンゴル軍の痕跡は数個の陶磁器片以外に何も発見されていません。写真は木の杭が田んぼからでているところです。ただし、1本1本すべて炭素年代できるわけではないので、これは別の時代の木の杭である可能性ももちろんあります。

木の杭が出土しているエリアは非常に大きく、また遺物も殆どでていません。しかし、歴史的意義を考えると見逃すごとができない遺跡となっています。この遺跡に2008年からベトナム・日本・アメリカ・オーストラリア・フランス・カナダ人などから構成される研究チームが発足して現在に至るわけです。しかも、水中考古学者が中心となり調査を進めており、海外の水中考古学者がベトナムで調査を行うのは初めてではないでしょうか?ベトナムもこの遺跡の調査を契機に水中考古学の発展を模索しています。この調査が始まった経緯とは?

次回お楽しみに!

 

 

鷹島から元寇の船が発見されました!

長崎県鷹島から構造がはっきりとわかる沈没船が発見されたようです。いろいろニュースが出ているようなので、ネットなどで探してみてください。鷹島から待ちに待った発見です!今までは船体の一部だけでしたから。その一部からもいろいろなことが研究できますが、やはり大きな繋がった構造の発見は違いますね。今後の研究に期待が持てそうです。

長年の探査の結果、今回の発見に至ったそうですね。以前からも陸に近い場所でいろいろ発見されていましたが、大きな構造として発見されたのは初めて。元寇の船、現在の情報からすると、中国の船でしょうね。見た感じでは中国や韓国などで発見されている沈没船に比べ保存状況がそこまで良くはなさそうですね。水深が深くなると波の影響を受けないので保存状態が良いです。この周辺ももっと探査すれば今回のものより保存情況が良い沈没船が発見されることでしょう。個人的な意見ではとりあえず発掘をせずに現地保存をして、もう少し残りの良い沈没船を探しても良いかもしれません。海外などで、最初に発見したからとい理由で発掘して、後からどんどんもっと良いものが発見されたケースなど多いですね。

今回の発見は中国の他の沈没船の資料などと並べて良い研究材料になるでしょうが、元寇の歴史に新しい研究をもたらすことでしょう。今後の研究の成果に期待します。ただし、日本で船の発掘を行った人は限られていますし、船を考古学的見地から分析した人も少ないです。これから発掘・分析などどのように行うのか?日本の水中考古学の発展に貢献できれば良いですね。特に、今回の発見を契機に鷹島だけでなく日本の広い範囲で水中考古学のサーヴェイが行われことを期待しております。

今回の発見をとおして、よりおおきな水中考古学の発展へと繋げていければ良いなと思います。

水中で発掘された最古の町を3Dで再現

現在のギリシャにある青銅器時代の町が水底から姿を現す!BBCが企画した番組だそうですが、とても興味を惹かれます。当時の町並みを発掘成果などから3Dで再現するそうです。港町として栄えた町だそうですが、商人の倉庫などもあり現在の港町も似たようなつくりをしていているそうです。人々と海がどのように接してきたかを学ぶにも良い考古学資料となることでしょう。もちろん、水没した町を3D復元した例もそれほどあるわけではないので、今後の調査・記録方法の発達にも何か期待がもてそうです。日本のテレビでも放送してほしいですね。

スペインが水中文化遺産保護強化

スペイン政府はいち早くユネスコ水中文化遺産保護条約を承認した国ですが、今回、様々な政府機関なども含めた総合的な水中文化遺産保護の方針を打ち出したようです。他の国もこのような取り組みを見習いたいものですね。詳しいニュースではないので分かりませんが、スペインの海域の外であっても言及しているようです。トレジャーハンターなどはもうスペインに関連した文化遺産にはなかなか手が出せなくなるのではないでしょうか?

金沢大学公開講座「海の考古学」

2011年10月15日(土)13:00~17:00 金沢大学公開講座「海の考古学」 開催されます!

以下、日本海息水中考古学会のホームページからの引用です。

場所: 金沢大学サテライト・プラザ(近江町市場の近く)
  佐々木 達夫 「水中考古学の魅力と発掘風景」
  大槻 巌 「東北地方の海に沈む歴史」
  石村 智 「南太平洋に沈む船」
  佐々木 花江 「海外の沈没船発掘」
  ※ お申し込みは、金沢大学地域連携推進センターHP(https://entry.ei.kanazawa-u.ac.jp/)まで。
昨年までは、能登半島での調査を中心にお話をしてきました。今回は、昨年末に山形県飛島沖で新たに発見され、今年になって調査がおこなわれて明らかになった沈船の話と、南太平洋での歴史を整理するための水中調査の事例をお話しします。そして、日本の水中考古学をどのように活用するのか、外国の水中考古学がどのような研究成果を上げているのかを御紹介いたします。

天正13(1586)年の地震で沈んだ遺跡か?滋賀県長浜で発見

滋賀県長浜沖(もちろん琵琶湖です)から海底遺跡が発見されたようです。天正13(1586)年にこの地方で地震があり、沈んだものとみられています。滋賀県立大学の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」が素潜りで調査したそうです。

以前から遺跡の存在が示唆されていましたが、今回の調査で確認されたということでしょう。今後、いろいろと調査が進むと良いですね。