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水中考古学って発掘とか保存処理とか大変なの?

今回は水中考古学の調査は本当に大変なのか?ということを題材に自分の意見を少し書いてみました。少し長いですが、お楽しみください。

水中遺跡は一括性の遺跡であり、保存状況が良好であることが多いため、陸上の遺跡以上に考古学・歴史の謎を解く情報が多く詰まっていることが多い。これらの遺跡の調査は費用がかかるからと思いこんでいたら、多くの貴重な情報が失われてしまう。ここでは、水中遺跡の重要性について触れるのではなく、では、実際にどのように対処すれば良いのかを考えてみたい。沈没船を研究する意義や実際に何がわかるのか、なぜ、この研究が必要か?などの論点はこのウェブサイトのほかのページや水中考古学関連の刊行物を参考にしていただきたい。このページを書いた目的はもっと多くの人に、実際に水中考古学はそれほど大変な作業ではないことを知っていただきたいことにある。「水中考古学が日本でなかなか発達しない原因は?」と一般の人々や考古学者が聞いて連想するには以下の事柄が挙げられる。

1.遺跡の発見が困難であり遺跡の数が少ない

2.発掘に特別なトレーニングなどが必要で難しいし、保存処理にもまた資金が必要となる

「水中考古学は大変だね」という人はだいたい水中考古学を理解していない人である。実は、これらの問題は大部分が解決されているからだ...しかし、これらの「問題点」はもちろん大変な課題その通りである。水中考古学を発達させるに当たりこれらの問題を解決する必要がある(あった)...しかし、「解決」には必ずしも「正面から攻略」する必要もなく、考古学の遺跡へのアプローチの仕方ひとつでこれらを「回避」することもひとつの解決策と捉えることができる。海外で水中考古学が成功した背景には水中遺跡に対する考古学の手法を変えることによりこれらの問題に対処してきた。日本の場合、長い間培われた考古学遺跡へのアプローチの方法があり、世界に認められる成果を残してきた。簡単ではあるが日本の考古学の特徴(また、遺跡に対する姿勢)を述べてみる。遺跡はほとんどが緊急調査であり、発掘をせざるを得ない状況にあるため、「すべての記録をそのまま残す作業」が重視されている。また、遺跡の件数が多いため、緊急発掘を通して得られた情報から編年研究が発達している。つまり、緊急発掘で得られたデータをもとに、学術的な小さな手がかりを掴んで、ある定理の証明に必要なデータ提示する方法を取る。しかし、水中遺跡を陸の遺跡と同じように考え、考古学のアプローチを水中にある遺跡に組み込もうとするために上述した「問題」が発生するのである。では、これらの問題を「解決」した海外の水中考古学とはどのようなアプローチを取っているのであろうか?

 

1.遺跡の発見が困難であり遺跡の数が少ない

答え:遺跡をわざわざ探さないことである。

現在までに考古学発掘が行われた水中遺跡で実際に考古学者がお目当て遺跡を「探し当てて」調査に臨んだ遺跡は実は非常に少ない。海底から沈没船などの海底遺跡を見つけるのは、サイドスキャンソナーやサブボトムプロファイラー、さらには磁器探査機などを使用し海底面をくまなく探索する。同じ海域を何週間も行ったり来たりするのである。もちろん、何週間も調査をしても発見できないことが多い。しかし、これは「遺跡の数」が少ないわけではない。ここでポイントとなるのが、「考古学者が発見した遺跡」の数が少ないことである。現在までに調査が行われた水中遺跡のほとんどが実は「考古学者でない人々」が発見しているのである。主に護岸工事関係者(パイプラインの施設など)、漁業関係者、スポーツダイバーや歴史に興味のある人々である。例えば、アメリカのメキシコ湾岸には多くの油田(と海底パイプライン)があるが、これらの施設工事の際には海底の事前調査が行われ、すでに2,000件以上の海底遺跡が発見されている。また、漁師や海岸に住む人々などが発見することもある。地中海なども数千件の海底遺跡が報告されているが、ここでもスポーツダイバーなどが発見するケースが多い。お隣の韓国でも漁師が陶磁器などを発見したことから沈没船の発見に繋がることが多いようである。

つまり、「遺跡を発見するのが困難である」ことに対する解決策は「遺跡を発見する努力はなるべく最小限に控える」ことである。では何をするべきか?答えは簡単である。一般の人々(今これを読んでいる人)が水中遺跡を発見する可能性が充分にあることを自覚することである。少なくとも、私のような専門家よりも、護岸工事や埋め立て・浚渫事業に携わる人のほうが水中遺跡を発見する可能性は高い。これには、もちろん色々な人に水中考古学を知ってもらうと同時に海の上にモノを建設する際にはきちんと事前調査を義務化する必要がある。日本は水中にある遺跡に対して特定の法律が存在しない珍しい国である。考えてみれば、日本の陸上の考古学遺跡は大きな道路沿いに点在している...これは道路など公共事業の建設に先立って行われた事前調査・緊急発掘の賜物である。もし、陸上の遺跡に対して保護する法律がなかったとしたら、どうだろうか?これだけ膨大な資料が集まるはずはないのは誰が考えても結論は同じである。水中も全く同じである。逆にどこで水中と陸地を分けるのか疑問である。海の水位が上昇すれば現在の陸地は海となるわけで、例えばこれから100年後、東京の一部が水没したら、その場所は調査対象外となるのか?水中も陸上もきちんと事前調査を義務化しなければならない。

実は海底遺跡は本当はものすごく身近にあることが多い。水没した遺跡というのは、もともと陸であった場所が、水没したわけであるから、現在の陸に近い場所にあるのが普通である。深海のど真ん中に水没遺跡がある可能性はほぼない。では、沈没船はどうか?これも、基本的には陸に近い場所で沈没するケースが多いのである。沈没の原因は接触事故や浅瀬に乗り上げげたり、岩礁にあたるなどが多い。2012年の1月に豪華客船の事故があったが、浅瀬に乗り上げて座礁したようである。また、港の近くは交通量が多く、接触事故も多い。イギリスの保険会社の報告によると、過去300年ほどの統計でみると、沈没したケースの90%が実に水深50mよりも浅い地点で沈没しているのである。イギリスやオランダの東インド会社の記録もやはり、港や陸に近い場所で事故にあっている。日本の海運についての詳しいデータについて自分は勉強不足だが似たようなケースが考えられると思う。つまり、日本において、比較的浅い場所・陸から近い場所に水中遺跡があると考えると、開発が及ぶ地域、もしくは、すでに埋立地となった場所に多くの遺跡がある(あった・すでに破壊された)ことになる。

以上のことを考えると、日本において水中考古学の遺跡の発見数を増やすには一般の人に興味を持ってもらうこと、そして、法の整備が先決となる。考古学者だけがいくらがんばっても現実問題として、無理な話なのである。考古学者の役割とは、誰かが発見したときにより詳しく調査できる体制をとることと、情報の公開、そしてデータベースなどの管理が必要となってくる。このデータベース管理ということが後々キーワードとなるが、ここでは簡単に触れておくのみで次の項目に進みたい。

 

2.発掘に特別なトレーニングなどが必要で難しいし、保存処理にもまた資金が必要となる

答え:遺跡の発掘を控え、遺物も必要以上に引き揚げない

水中ではさまざまな制約があるのはもちろんだ。時には透明度も悪く、暗闇での発掘も珍しくはない。また、海流の流れも強く泳ぎながらの作業もある。そして、何よりも作業時間が短い。水圧が体にかかった状態で圧縮された空気を吸うわけであり、急に浮上すると体に溶け込んだ空気が気泡となってしまう。これを防止するにはゆっくり浮上することはもちろんだが、深い場所で長時間潜ることが出来ない。水深50mの地点では作業時間は10分ほどで、一日2回しか潜ることができない。安全性の確保のためにきちんと水中での作業のためのトレーニングを積む必要はある。しかし、この点ばかりが強調されているが、実は「考古学者」を育てるほうが難しい。ダイバーには訓練次第で誰でもなれるが、考古学者になるには時間がかかるし、何よりも根気が必要だ。ダイビングの訓練よりも考古学者としてのトレーニングを重視するべきである。さて、次に保存処理であるが、これもなかなか難しい問題である。水中にある遺物は陸上のある遺物よりも保存状態が良いことが多い。しかし、問題はきちんと保存処理を施さないと空気に触れたとたんにボロボロに崩れだすこともある。これを防ぐには遺物を長時間(時には10年から20年)薬品に浸す必要がある場合もある。スウェーデンの有名な沈没船ヴァーサ号は20年以上も保存処理が行われていた。つまり、発掘を担当した人が遺跡の保存処理を終え、最終報告書を出すころにはすでに引退をしていた場合もある。

さて、これらの問題をどう「解決」するのか?これも、答えは意外と簡単である。発掘が難しいのあればわざわざ掘る必要はない。そして、保存処理も、しっかりとした予算がないかぎり引き揚げずに現地保存をおこなう。これで、問題は回避できる。いや、これでは考古学ではないと思うかもしれない。発掘を行わないとはどういうことだろうか?詳しく説明をしよう。

水中の遺跡は開発が直ぐに及ぶことが少ないという特徴がある。例えば、パイプラインの施設の事前調査で遺跡が発見された場合、別の場所にラインを通す。陸の道路の場合はコースの変更は他の住宅地などもあり難しいので、発見されれば緊急発掘となる場合が多いであろう。しかし、海はまだ開発の余地があるケースが多いので、そのまま現地保存が可能となる場合が多い。もちろん、陸に近い場所では海の上であってもなかなか工事のプランが変更できないこともあろう。しかし、前述したように、基本的には発掘が困難になるのは水深が深い場所であり、浅い場所ではそこまで発掘が困難ではない。また、工事以外に、例えばスポーツダイバーの方が遺跡を発見した場合などは開発が直ぐに及ぶこともないので現地での保存が優先される。現地保存をしても台風や津波などで海底面が荒らされてしまう場合もあると思う人もいるだろう。そこで、オーストラリアやインドなど世界各地で水中遺跡を台風などから守るために水中に防護壁や網をはったり埋め立てるなど現状保存方法の研究が進んでいる。それ以上に人間が破壊するケースが多いので、そちらを先に解決したい。ユネスコの水中文化遺産保護法案も現地保存を第一目的とし、それが可能でない場合にのみ対処方法を考えることを原則としいる。現地保存をすれば、もちろん、費用のかかるトレーニングや保存処理など必要ない。また、最近の水中考古学の現状は、このような遺跡のマネージメントや現状保存の研究などが重要な課題となって研究が進んでいる。

では、考古学者って何をするの?と思うかもしれない。ここで、データベースがキーワードとなってくる。考古学者は遺跡が発見されたときに、その遺跡に潜り、発掘を行わず出来るだけあらゆることを記録する。発掘はせずに、その船の遺物の特徴から沈没年代の特定やどのような船であったかを考察する。これらの記録は一般に公開し、様々な専門化の意見を問う。沈没船は遺跡の種類が豊富なので、一人で研究をすることはほぼ不可能であり、歴史家や様々な考古学のスペシャリストの助けが必要である。逆に言えば、発掘する意義のある研究が出来る人が育つまで発掘を延期していると考えることも出来る。前述したが、水中遺跡は偶然に一般の人によって発見されることがほとんどである。つまり、発見されたものが最良の遺跡であるかは分からないのである。何億円もの費用を費やして10年研究を続けた後、ほんのその30m先に同時代のもっと保存状態が良好で、発掘環境も良い遺跡が発見される可能性も否定できない。そうなると、今までの努力が無駄であったと思ってしまう人もいるのではなかろうか?では、データベースの蓄積によって好条件の遺跡を待っていたら、いつまでたっても発掘できないし、どうやって成果をだすのかと悩むところである。しかし、ここでアプローチの違いが出てくる。水中考古学は事前調査によって遺跡を発見し、学術調査によって成果を出す学問である。水中考古学者は水中遺跡のデータベースをもとに、今、何が知りたいのか?今ある遺跡から何を学べるのか?どの遺跡がそれを答えてくれるのかを慎重に吟味する必要がある。つまり、はっきりとしたリサーチ・クエスチョンを提案し、どの遺跡のどの部分を調査するのか明確に打ち出してから、部分的発掘を行うのである。例えば、17世紀から18世紀にかけての舵と舵幹の接合部について研究したいとすれば、その部分が残っている沈没船を探し出し、その部分だけを水中で記録する方法をとる。海外では遺跡のマネージメントの他に研究の的を絞りピンポイントで発掘を行うスタイルが確立されつつある。または、ひとつの遺物の種類に絞って研究することも考えられる。

もちろん、すべての遺跡が現地保存できるわけではない。時にはどうしても工事のプランを変えることが出来ずに発掘に踏み切ることもある。しかし、この方法での利点は遺跡を破壊しないことと、費用がかからないこと以外にもメリットがある。それは、考古学者ダイバーの実践トレーニングが出来ることにある。このような小さなプロジェクトを積むことにより、実際に工事などで緊急発掘が必要となっても実践で訓練されたダイバーが充分育ってくれているのである。また、少数の遺物を引き揚げ、保存処理の研究を行い、今後起こりうる大型船の緊急発掘に備えノウハウを積むことが出来る。

 

結論

水中考古学の調査や発掘には様々な壁があるように捉えられている。特に、遺跡の発見が困難であり、また、発掘や保存処理には費用と時間が掛かることが考えられる。しかし、陸上の緊急発掘をベースとした日本の考古学の考え方では大きな障害に見えても、実際にはこれらの問題点は少し違った視点(特異な遺跡への対処方法)から眺めることで解決できる場合が多い。つまり、考古学者は水中文化遺産保護へ向けての啓蒙活動と情報収集に従事し、明確な研究対処にそった小規模の(非破壊)調査を繰り返すことを第一目的とすることにある。

全体的に少し理想論的な部分もあったが、実際に水中考古学先進国ではこのような動きが最近顕著に現れている。また、もちろん水中考古学の発達にはさまざまなパターンがあっても良いわけで、日本の土地にあった手法を考えなくてはならない。しかし、すでに多くの水中遺跡が開発により失われており、また、世界に比べこの分野では国家の取り組みが殆ど無いことは非常に大きな問題であり、ひとつの解決策として提案してみた。しかし、アジア水中考古学研究所などが中心となり、日本の水中遺跡のデータベースの作成を行っている。これらの成果は世界からも評価されるべき動きである。このデータベースをもとに、地方自治体や政府が真剣に国としての対策を検討する必要がある。また、これを読んだ人で、海で作業をする人であれば、何か思い当たることがあるかもしれない。水中文化遺産保護のために自分で何をするべきか、何が出来るか考えてみていただきたい。小さなステップであれ何か大きな発展に繋がるかもしれない。

最後に、水中考古学って発掘とか保存処理とか大変なの?と聞かれたら、こう答えましょう。

「陸上の発掘の常識やアプローチをそのまま水中に当てはめると大変そうに思えるが、水中遺跡を巧くマネージメントすることにより現地保存を前提とし、非破壊調査で少しづつ成果を蓄積していく方法をとるので、思っている以上に難しいものではない。しかし、これを実現するためには、一般の人々の理解を広めることや、政府関係者が法の整備に着手することが先決である。」

 

白藤江の戦い 考古学調査ブログ No.2

調査ブログの第2回目はどうしてこのプロジェクトがはじまったのか?についてです。「どうして水中考古学を始めようと思ったんですか?」などという質問は良く聞かれますが、いつも応答には困ってしまいます...答えは「たまたま、偶然」もしく、「自分でも良く分からない」からなのです。この白藤江プロジェクトも同じように「どうしてベトナムで調査をはじめたんですか?」と聞かれますが、これも「偶然」です。しかし、どのように始まったかはお答えできます。「Why」ではなく「How」ということですね...国際プロジェクトがどのように始まるかみなさん興味があるのではないでしょうか?というわけで、紹介させていただきます。今回は2009年に行われた第1次調査が始まるまでの道のり。先日行われたのは第3次調査です。

今から数年前のことになりますが、ある日突然ベトナムの考古学者のロンさんから写真付でEメールが私の元に寄せられました。メールの内容は「知り合いが6m以上もある大きなアンカー(椗)を漁師から買ったんだけど、このアンカーがモンゴル襲来のときのものであるか調べて欲しい」とのことでした。ロンさんはハノイ考古学研究所を近年退職したばかりであるが、モンゴル襲来に前々から興味があったとのこと。椗は2本あり、ハノイ近くの紅河から引き揚げられたらしい。また、ロンさんは鷹島海底遺跡で発見された大きな椗について調べており、大きさなどが似ていることから私のメールアドレスを調べコンタクトを取ってとのこと。写真を開くと確かに大きな椗が写っていた。椗は木製だがストックを取り付ける位置に丸い孔が開いており、そこに鉄の棒状のストックを装着したものと考えられる。縄などで椗の部位が固定されているが、保存状態が良さそうだ。形からするともっと新しい時代の椗だと思われた。

アンカーを保管しているディンさん

 

椗の部位を結合するロープ部分のアップ

爪の先に鉄がはめ込まれています。これは鷹島の椗と似ています。

実はお恥ずかしい話だが、自分もあまり元軍のベトナム侵攻については詳しくなかった。歴史の本でざっと読む程度であまり詳しく調べたこともない。考古学調査の可能性については興味があったが、はたしてどうやって研究を始めるのか?ベトナムには水中考古学を研究している人がいなさそうだし、サルベージも行われている。そのようなフィールドにどうやって入っていくのか?しかし、このメールを契機になんとなく調査できるきっかけとなるのではないかと思いとりあえず返信。「興味深い写真をありがとう!これだけでは良く分からないけどもっと詳しく調べることは可能ですか?」すると、翌日直ぐに返信があり、「是非ベトナムに椗を見に来てくれないか?」とのこと。こんなに簡単に物事が進むのか?となんとなく疑ったが当時私の研究所でプレジデントに就任していたデルガド博士と相談をした。

デルガドさんは以前からベトナムで調査を行いたいと思っていたそうだが、なかなかチャンスが無かった。そこで、たまたま転がり込んできたロンさんからの招待メール、これをも逃すわけには行かない!と直ぐに調査費用の調達が始まった。確か、ロンさんからのメールが来たのが11月ごろだったと思うが、翌年の5月にはハノイの空港に到着していた。

このときの椗の調査に私はオーストラリアの大学で学んでいた木村淳氏を誘った。木村君とは鷹島での調査やサン・フランシスコ号(1609年御宿で座礁したマニラガレオン)の調査でも度々一緒に活動をしている同士である。また、この時にフランスからクロード氏も同行した。クロード氏は画家ヘンリー・マチスの孫にあたり、マチス財団の代表取締役である。彼は若いころからダイビングに興味があり、あのクストーの右腕として潜っていたそうである。また、沈没船の学術調査の魅力に惹かれ、水中考古学の発展に貢献してきた人物である。

さて、この2本の椗について。結論を先に述べると、13世紀のモンゴルのものではなく、18-19世紀ごろの現地のものであると判明。炭素年代、樹種同定、縄の結び方、ストックの位置、形などから判断された。鷹島出土の椗に似ている部分もあるが、それは中国南部系統の椗全般に共通していることであり、元寇とのかかわりは全く無しであると断定。詳しくロンさんに話を聞くと、ある別の研究者がモンゴルの椗であると判断したが、ロンさんはその説に疑いをもち、私にコンタクトを取ったそうである。ちなみに、この椗についての詳細はInternational Journal of Nautical Archaeologyに論文を発表したので、興味のある人は是非読んでみてください。

 

アンカーその1

アンカーその2

 

さて、この椗がモンゴルのものでないにしても、ここで引き下がるわけにはいかない...とのことで、実際に白藤江の戦いの現場に行こう!とその場で計画。実際にクアンニン省に赴き、現地の学芸員(?)と連絡を取り現場を視察した。「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、実際に現地に行くまではその遺跡の真の可能性を知ることは出来ない。基本的にはだだっ広い田んぼが広がる地域であるが、よく見るとあちらこちらに木の杭が突き出ているのだ。しかも、保存状況が良い。開発も殆どされていない。つまり、沈没船があるとすれば、田んぼの下に眠っており、水位が非常に高いため、遺物の保存状況は相当期待が持てる。これはなんとか大掛かりな調査ができないものかと考え始めた。沈没船の考古学であるが、水に潜る必要もそれほど無く、また、戦場の復元も出来るポテンシャルがあった。

このようなちょっと沼のような使われてない田んぼの中に...

700年前の戦いで使われた木の杭が出てる

ハノイの帰った我々はなんとかこの地で調査ができないかとベトナム人のパートナーを探し始めた。ロンさんに相談やベトナムの考古学に詳しい日本人研究者などにメールを送り事情を説明した。と、一人の研究者が候補に挙がった。ハノイ考古学研究所のリエン博士である。彼女は以前にも白藤江の発掘に参加していたそうである。早速、リエン博士とコンタクトを取り、アメリカへ戻る日の前日彼女に合うことが出来た。彼女は調査の可能性に協力的であり、一緒に調査をしてみたいと、とても良い返事をいただいた。彼女は、数年ユネスコで仕事をしており、考古学の仕事から離れていたが、ちょうど研究所への復帰をしたそうである。本人も多少驚いていたようだったが快くプロジェクトの参加協力を受け入れてくれた。ただし、ベトナムからは資金は出ないから自分達で調達してくれとのこと。まあ、それはもちろん最初から承知していたこと。それでは、これからいろいろとお世話になりますが、よろしくお願いいたします!と言い、アメリカへ帰国する準備をするためホテルに戻った。

ベトナム到着した時点では椗の調査に向けていろいろと考えていたが、帰りの飛行機ではすでに次のプロジェクトの企画を考えていた。いや、つい半年ちょっと前までベトナムで調査をするなど考えもしなかった...アメリカへ帰り、早速メンバー集め。広い範囲の調査になるので、多くのメンバーが必要だ。最初は木の杭の出土位置の確認、当時の地形の復元の可能性、伝承などを記録し史実と照らし合わせるなど作業はいろいろある。特に英雄陳興道は現在でも有名な歴史的国民的ヒーローとして色々な場所に祭られている。このプロジェクトに興味のありそうな人を募集してみた。他の大学院で水中考古学を学んでいる生徒を中心にと思い、イギリスやオーストラリアの大学などに話を持ちかけた。さて、調査資金であるが、これもなかなか難しい。いろいろな研究所や財団など幾つか候補があったが、充分な資金を出せるだけの「アジアの水中考古学」を行うためのの特別な団体は存在しない。そこで、いちかばちか、ナショナル・ジオグラフィック社に調査のための資金協力を要請した。ナショナル・ジオグラフィックといえば、アメリカの科学雑誌の大手である。黄色い表紙で有名な雑誌やテレビ番組などもある。ものは試しで、なんと無事に資金をゲットすることが出来たのだ!今思うといろいろと面倒なプロセスではあった。調査方法や意義はもちろんだが、調査の日程や資金の見積もりなど細かく記載しなければならなかった。ホテルの値段や食事の費用、レンタカーの値段...調査費用はドルで計算するのも最初は少し戸惑った...当時は1ドルで16,000ベトナム・ドンほど。おかげで「0―ゼロ」がたくさん並ぶ計算がやや面倒。ハノイで泊まったホテルの値段を元に一人一泊25ドルほどを予想したが、結局二人一部屋で10ドルと、ハノイと地方の物価の違いもあるし、学ぶことが多かった。

陳興道をたたえるお寺。今度の調査では伝承などの記録も重要となる

 

さて、メンバーもフランス、アメリカ、オーストラリア、日本など様々な国から10人ほど集まった。さらには、ナショナル・ジオグラフィック社からもカメラマンを同行させてくれとの要請。これはありがたいのかな?こうして、第一次調査の準備が整ったので、出陣!

第一次調査の様子・結果などは次回をお楽しみに!

2011~2012…

2012年も、早いもので気がついたら成人の日もすぎて、すっかり正月の気分もなくなりました。みなさまはいかがお過ごしでしょうか?

最初にお知らせですが、私がラジオで水中考古学について生トークいたします!

詳細はこちら

1月12日 J-wave (81.3FM) — 8:30-9:00 AM (LIVE)  http://www.j-wave.co.jp/original/tmr/index.htm

1月14日 FM Yokohama (84.7FM) — 10-10:30 AM (LIVE) http://www4.fmyokohama.co.jp/future/future_new.html

 

 

ラジオ生放送で水中考古学について聴ける機会はそれほどないので、是非お楽しみに!

さて、ラジオを聴くにあたって少し事前のお知らせとして一言書かせていただきます。ちょうど少し1年を振り返ることと、今後の動向について考えて見る時期でもあるますので、水中考古学を知るには良いのではないでしょうか?ツイッターで去年の暮れから1年の水中考古学ニュース・トップ10のカウントダウンをしましたが、ツイッターを使っていない方のためにも少しおさらいを。

10位:世代の交代が顕著な1年であったこと。水中考古学の大御所の先生方がお亡くなりになったり、引退なさったりと、悲しいとしではありましたが、日本人初の博士号の取得した木村氏の活躍などがあげられます。

9位:ヴァーサ号の引き上げから50年など節目の年!これも、世代交代と関連しています。メキシコの水中考古学誕生から30年などもこの部類のニュースに入ります。

8位:海賊船の発掘ブーム?黒ヒゲの沈没船はもちろんのこと、ヘンリー・モーガンの船の発見、キャプテン・キッドの沈没船が海底ミュージアム化されるなどいろいろです。ワンピース人気で水中考古学も人気上昇?

7位:私の宣伝のようでもありますが、「沈没船が教える世界史」が成毛眞氏などのレビューの影響などもあり、売れ行きが良かったこと。実は、一般向けの水中考古学の本は今までに日本でほとんどなかった。井上たかひこ氏も一般向けに本を出しています。

6位:水中文化遺産の保護の取り組みが強まっています!スペインもそうですが、アルバニア、フィリピン、インドネシアなどでも、本格的に水中文化遺産の保護に向けて進んでいます。

5位:マニラでアジア・太平洋地域水中文化遺産保護会議が行われました!この地域でこれだけ大きな会議が行われたことは初めて。改めて地域全体で水中文化遺産の保護の重要性が高まっていることを確認することが出来ました。

4位:スミソニアン博物館がインドネシアで本格発掘!トレジャーハンターが引き揚げた跡を再発掘するそうです。インドネシアのBelitung沈没船は今後も話題を呼びそうです。もともと、9世紀の中国とインド洋を結んだ物的証拠である沈没船の発掘ですから、歴史的価値は相当のものです。

3位:アジア水中考古学研究所が進めている日本の水中遺跡データベース化事業が最終段階に!水中遺跡のデータベース化は非常に重要な作業です。地味に見えるかもしれませんが、このような下積みがなければ大きな成果や発見はありえないのです。世界でもデータベースを作った国とその取り組みに遅れた国では違いが見えてきます。

2位:鷹島海底遺跡から元寇沈没船発見!そして、鷹島海底遺跡が国指定遺跡になるとのこと。このニュースが誰もが「水中考古学ニュース」のトップになるだろうと予想していたことでしょう。ですので、あえて、ここは2番にしてみました。というのも、今までの発掘やサーヴェイの実績があったからこその発見です。すでに、椗など大きな木材も多く引き揚げられています。また、世界的に見て、沈没船の発見はそれほど珍しくない事例。発見された沈没船の保存状況を見る限り、同等、もしくはこれ以上の残りの良い沈没船は海に面した市町村どこでも発見できる可能性があります。また、沈没船を探すために使用された機材や方法もあくまで日本国内では珍しい新たな試みであることは間違いないですが、他国の考古学調査では良く行われている方法です。今まで発見できなかったのも日本の水中考古学事情が未発達であったためで、「やっと」ここまで来れたかというのが正直な感想です。調査を続ければもっと保存状態の良い船が見つかるはずですので、騒がず、あせらず、じっくりと研究を進めていくことが望ましいでしょう。

1位:日本国内で「水中考古学」という言葉を耳にする機会が2011年には非常に多かったこと。今までにないほどにテレビやニュースなどで水中考古学が話題となっていました。だいたい1月に1-2回はテレビでも関連した話題が取り上げられていました。今年はもっと水中考古学関連の話題が見られることでしょう。

ざっと、2011年のニュースをまとめてみました。水中考古学にとって重要なのは一般の人にもこの学問を知ってもらうことです。というのも、世界のほとんどすべての水中遺跡は偶然、一般の人に発見されているからです。考古学者が発見するのはいたって例外なのです。ダイバー、護岸工事に関わる人、漁師などが発見するケースがほとんどです。つまり、今後の日本で水中考古学を発達させるには一般の理解を広めることが先決であるのです。遺跡がなければ成果はあげられませんし、沈没船の研究には数十年かかるのが普通です。これらの調査は税金で行われることが多いので、やはり、みんなで共有の財産なんだと思っていたがかないと、調査する意味もなくなってしまいます。そう考えると、2011年は非常に良い年であったと考えられます。鷹島での発見という大きなニュースと、水中考古学が一般にも浸透し始めたこと。地道な水中遺跡のデータベース作成など。やっと世界の水中考古学の調査と肩を並べられるほどになってきたのではないかと感じられます。2011年の成果は今後の発達に意義のあることが多かったのではないでしょうか?

2012年はどうなるのでしょうか?ニュースやテレビ・ラジオなどいろいろと話題になりそうですが、成果についてしっかりと提示していく必要があるでしょう。水中考古学ってどんな学問か理解している人が増えているでしょうから、実際に「こんなこともこの学問から分かったのか!」といニュースが多く出てくるとよいでしょうね。日本国内ではまだ難しいかもしれませんが、海外などで多くの事例を紹介していく予定です。

 

 

 

ベトナム白藤江の戦い(1288年)考古学調査報告01

しばらくこのサイトのアップデートをお休みさせていただいておりましたが、また再開したいと思います。よろしくお願いします。さて、というのも、ベトナムに考古学調査で調査団長として出かけていたため、時間が取れない状態でした。これからその調査について少しここでは紹介いたします。つい最近、長崎県鷹島で発見された元寇の船が発見されたことが話題に上がりましたね。実は1288年、文永・弘安の役(元寇)から数年後、モンゴル皇帝フビライはベトナムに攻め込んでいます。なんと、ここでもモンゴル軍は壊滅的ダメージを受け侵略に失敗していたのです...この戦いは白藤江の戦いと呼ばれ、この時のベトナム軍の勝利は今でも語り継がれています。まずは歴史背景、調査に至ったいきさつ、調査の目的・方法、結果、調査の様子などを紹介しますが、何回かに分けて書いていきたいと考えています。

歴史背景:
第2次日本遠征に失敗したクビライですが、懲りずに3時遠征を計画していました。しかし、民衆や部下からの反対意見が多かったので遠征を取りやめたのです。しかし、その後、ベトナムへと矛先を向けたのです。当時は北部ベトナムは陳朝大越国が支配し、南部はチャンパー王国が支配ていました。モンゴル帝国はこれ以前からベトナムやチャンパーに政治・軍事的圧力を掛けていましたが、ベトナムの人民はなかなかモンゴルの思うようには動いてくれず、クビライは再度軍事介入を試みます。1288年に海軍と陸軍を送り込んだクビライですが、思っていた以上に手際よく首都タンロン(現在のハノイ)を攻略しました。しかし、ベトナム人民は焦土・ゲリラ作戦と補給部隊を打つ方法をもってモンゴル軍と対抗しました。なれない土地と食料供給を絶たれたモンゴル軍はあえなく撤退を余儀なくされます。

帰路につくモンゴルを迎え撃ったのは将軍陳興道でした。彼はモンゴル軍を白藤江の河口で待ち伏せしていたのでした。歴史文献では詳しい戦いの様子は分かりませんし、神話などで語り継がれている話なども信憑性に欠くものもありますが、モンゴルと陳軍の戦いは大体次のように起こったとされています。河を下り海に近づくモンゴル艦隊の前に少数のベトナムの船が現れました。その船を追うモンゴル軍ですが、なんと、気がつくと艦隊の前に無数の木の杭が現れていました。

アーティストが描いた戦いの様子。見にくいかもしれませんが、小さな木の杭がいっぱい描かれています。

実はベトナム軍はあらかじめ木の杭を要所要所に打ち込んでいたのでした。このデルタ河口であるため船で通過するのは難しい場所でした。しかも、干満の差が非常に大きい地域でもあり、それを利用して陳軍はモンゴル軍を「おとり」を使い水位が下がりだす時間にモンゴル艦隊を罠にはめたと言われています。また、別の資料では小型の船団を逃れる元軍が杭に阻められたとか、または、木の杭に船が「刺さった」などいろいろと伝えられています。すでに士気を失い身動きが取れなくなったモンゴル艦隊に隠れていた陳軍が一斉に攻撃を仕掛けたと伝えられており、また、上流から火船を放ったとも言われています。

この戦いでベトナムは勝利し、モンゴル軍は船を400隻失ったと言われています。この400隻が当時サルベージされたのか、それとも沈没したままなのか?疑問はいっぱいです。また、どのような船が沈んだのか?日本侵攻を考えて造船された船もベトナム船に組み込まれたとも言われています。さて、この白藤江の戦いで勝利した将軍陳興道はベトナムの英雄として現在でも親しみを持って崇拝されています。将軍陳興道を奉るお寺など各地にあり、また、多くの町に必ず陳興道にちなんだ道や地域の名前などを見ることが出来ます。左の写真は現地の陳興道のお祭りの準備をしているところ。紙で作った(モンゴルの?)馬などもあります。国の独立を死守した英雄は今でもベトナム人の心に生き続けています。

 

考古学調査の歴史

英雄陳興道信仰は特に白藤江河口で強く、クアンニン省の 南西部には様々な伝承が伝わり、また、直接に戦いに関連 した地名なども伝えられている。1950-60年代に白藤 江で大掛かりな護岸工事が実施され堤防が築かれました。堤防工事の最中になんと無数の木の杭が発見されたのでした。ベトナムの考古学者が調査をしたところ、この木の杭は13世紀のものであることが判明し、いくつかは発掘され各地の博物館などに送られましたが、木の杭のいくつかは現在でも現地保存がされています。その後、近隣地域も調査が進み、木の杭が8-10km²のエリア内の様々な場所から発見されています。ちなみに、この地域( クアンニン省クアンイェン)をグーグルマップなどでお確かめください。

この地域は堤防が築かれて以降、埋立地となり人々が住むようになったので、現在の地形をそのまま13世紀に当てはめることはできません。戦いのあった時代にはデルタ地帯であったと考えられ、幾つかの島が点在していた地形であると考えられています。その島が点在し、細い水路を通って海に出ようとしたモンゴル軍を陳軍が木の杭により動きを阻止したと考えられています。現在では地域の人々が歴史的価値のある遺物(遺構?)であると理解しているため、発見されればすぐに報告され保護されます。しかし、木の杭の正確な分布図などもなく、また、多くの杭はすでに失われているものと考えられています。また、木の杭以外のモンゴル軍の痕跡は数個の陶磁器片以外に何も発見されていません。写真は木の杭が田んぼからでているところです。ただし、1本1本すべて炭素年代できるわけではないので、これは別の時代の木の杭である可能性ももちろんあります。

木の杭が出土しているエリアは非常に大きく、また遺物も殆どでていません。しかし、歴史的意義を考えると見逃すごとができない遺跡となっています。この遺跡に2008年からベトナム・日本・アメリカ・オーストラリア・フランス・カナダ人などから構成される研究チームが発足して現在に至るわけです。しかも、水中考古学者が中心となり調査を進めており、海外の水中考古学者がベトナムで調査を行うのは初めてではないでしょうか?ベトナムもこの遺跡の調査を契機に水中考古学の発展を模索しています。この調査が始まった経緯とは?

次回お楽しみに!

 

 

水中考古学シンポジウム

もうすぐ2009年度も終わりになり、4月から2010年度が始まります。2009年度の締めくくりとして、先日、東京で水中考古学のシンポジウムが行われました。今回のシンポジウムに参加して私が個人として思ったことを書きたいと思います。

東京で丸1日を使って行われた今回のシンポですが、非常に価値のあるものだったと思います。多くの参加者に来ていただいたのもそうですが、それぞれの発表者も非常によいものが多かったです。午前中の発表は2009年度の調査報告で、日本各地でさまざまな調査が行われており、日本でも数多くの研究が行われていることは非常によいことだと思います。5年前にはこれだけの調査が行われるまでになるとは考えられませんでしたが、ここ2-3年の間に日本の水中考古学は大きく変化しているようです。特に、沖縄での調査や、瀬戸内海などでも本格的にサーヴェイなどが行われているようです。2010年度は関東・東北で調査が進むことでしょう。

午後の最初の講演は、ファンダイバーの素朴な疑問などを作家の中山千夏さんが語りました。我々頭の固い考古学者がその疑問にうまく答えられるかどうかは今後の課題となるでしょう。ファンダイバーの協力がこの学問には必要です。イギリスのNASなどはファンダイバーに水中考古学の基礎を教えることなどを行っています。考古学者がファンダイバーのために水中文化遺産の取り扱いについて教えていくことができるのではないでしょうか?ちなみに、水中の発掘で使うドレッジに時々魚が吸い込まれますが、よく戻ってくる魚がいます…吸い込まれるのが楽しいのでしょうか?

その他の午後の発表ですが、水中考古学についての理解を深めるための講演が中心でした。水中・海洋考古学の定義の問題など今後明確に示す必要があることが確認されたことは大きな意味を持っていると思います。また、水中文化遺産の保護を目的とした法の整備が日本ではなく、その必要性を当日参加した人は感じていただけたと思われます。さらには、身近に水中文化遺産があることも知っていただけたよい機会だと思います。

1日の講演の内容をこのようなサイトで詳しく取り扱うのは時間的制約などがあり難しいのですが、ひとことでまとめてしまうと、日本の水中考古学にもだいぶ期待がもてると安心して言えるようになったということでしょうか?海外から日本の状況を見ている私にとって、今まではこれから発達していくのにはいろいろと制約や問題があったように思います。しかし、今回のシンポジウムを通して感じたことは日本でもしっかりとした基盤が出来上がったと思ったことです。これから少しずつ確実に実績を積み上げればこの学問では世界的に遅れている日本でも充分追いつき、アジアの中で先導してこの学問を発達させていくことができるのではないでしょうか?今回のシンポジウムは日本の水中・海洋考古学にひとつの大きな区切りをつけたものだと感じました。これからは飛躍的に発達をしていく段階にむかっているのではないでしょうか?

さて、今回このシンポジウムに参加できなかった方も今後このような講演に参加してみることをお勧めします。学問は難しいと思っている人や、自分には興味がないと思っている人も、実際に参加してみると大きな発見があるはずです。今後、このサイトでこのようなシンポジウムや講演会などの情報を提供していきます。また、関係者は今回よりも有意義なシンポジウムを開催できるよう目指していきましょう。日本財団の関係者、アジア水中考古学研究所の関係者、発表者、当日参加していただいたかた、皆さんに感謝しております。

日本財団助成事業
2009年度「海の文化遺産総合調査プロジェクト」調査報告会
第3回『水中文化遺産と考古学』シンポジウム
を開催します。

日 時: 2010(平成22)年2月28日(日曜日)
10時30分~17時(10時開場)
会 場: 日本財団ビル 1階バウルーム
東京都港区赤坂1丁目2番2号
参加費: 無料(資料は有料となります)
主 催: 特定非営利活動法人 アジア水中考古学研究所
(ARIUA)

内 容:
【第1部】(午前) 10時30分~12時30分
2009年度「海の文化遺産総合調査プロジェクト」調査報告会
1.アジア水中考古学研究所とプロジェク紹介
2.調査報告
◯南西諸島 : 片桐千亜紀(ARIUA会員)
◯九 州     : 野上建紀(ARIUA副理事長)
◯瀬戸内・琵琶湖 : 吉崎 伸
(水中考古学研究所理事長)
◯日本海域    : 小川光彦(ARIUA会員)

【第2部】(午後) 13時20分~17時
シンポジウム「水中文化遺産を理解する」
【特別講演】 「水中考古学と私」
中山千夏(作家)
【基調報告】
1.「水中文化遺産と水中考古学」
岩淵聡文(東京海洋大学教授)
2.「海洋考古学の調査・研究の実例」
Randall J.Sasaki(ARIUA会員)
3.「水中文化遺産と国際法
-日本国内法制への示唆-」
中田達也(文教大学講師)
4.「身近にある水中文化遺産を巡る」
林原利明(ARIUA理事)
【討 論】 コーディネーター 塩屋勝利(ARIUA理事)

あけましておめでとうございます

2009年もいよいよスタートです。皆様にとって2009年が有意義のある年でありますように。

今年の水中考古学はいったいどのような動きがあるのでしょうか?世界的に景気が悪くなっているようですが、この学問は景気に意外と左右されやすい性質を持っていますが、それはどの学問も大体同じなのではと考えていますし、逆にこのようなときこそ情報を発信し人々の興味のある研究を紹介していきたいと考えています。

今年最初のニュースはユネスコ水中文化遺産保護法が正式に採択されて機能し始めることではないでしょうか?1月には動きがみえてくることでしょう。国や地域で水中文化遺産の保護・活用を考えることが現在必要になってきています。水中遺跡の発見やデータベースの作成、自治体の水中遺跡に関する認知度の向上などは資金が少なくても出来ますし、またひとつの遺跡の発掘よりも将来的に大きな意義を持つ活動だと考えています。2009年こそ日本国内で組織だった水中考古学・水中文化遺産を組織的に組み立てていく骨組み・基礎を築くのに良い年ではないかと思います。

さて、海外の動向ですが、なかなか何が発見されるからないものですが、景気を考えるとすこし深海考古学の発達の動きが鈍る可能性も考えられます。しかし、良いアイディアを持った民間企業が逆に伸びる可能性もあり、実際に有効的・効果的なテクノロジーに焦点をあわせた開発が進む可能も充分ありそうです。また、テクノロジーとの融合だけではなく、他の分野ー海洋学・地質学などーとも共同研究が行われています。地中海やアメリカなどでは大発見と言うようなものはそれほどなさそうですが、今まで発掘されてきた遺跡を総合的に研究し、他の考古学・歴史学の分野との融合を深める動きも見られるようです。10年前まで一部で存在していた「水中考古学は遊び」のような雰囲気は欧米では全くなくなっています。地中海などではウルブルンのような大きな発見などは期待できませんが、今まで研究がされていなかった地域はまだまだ発見がありそうです。

今後はアジアやアフリカでの発見が期待されています。アフリカのナミビアで発見されたスペイン船の今後の研究の動きも気になります。中国や韓国の研究者はやはり海外の研究者との結びつきを重要視し始めています。南海1号や蓬莱沈没船の研究事例が少しずつではありますが、世界の研究者の注目を受け初めています。また、鷹島海底遺跡に関する関心も海外で強まってきています。2010年以降は交際的・学際的な研究がより重要視されるものと思います。  

現在の研究の関心について

水中考古学という言葉を聞いてまず連想されるのは、水中での発掘調査でしょうか。船舶・海事考古学のプログラムを組む大学では、毎年フィールドスクールを実施して水中での考古学調査の経験を積むことが重視されています。ここでは調査とは別に、海事考古学においては、どのような研究がテーマとなりえるのかということについて、若干お話ししたいと思います。


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新入生!

新学期が始まり2週間がすぎました。そろそろ新しいクラスにもなれ始め、講義の内容も本格的に難しくなってくる頃です。さて、今年の新入生はどんな生徒が入ってきたかというと...


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ラボでの仕事

大学に通うにはお金がかかる!というのは当然でしょう...ですが、いろいろと役に立つシステムがアメリカにはあります。


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2週間後から新学期!

さて、新しくブログのコーナーを新設してみました!

日本人学生の水中考古学を学ぶ大学院生活のブログです。肩の力を抜いてできるだけ頻繁にアップデートしていく予定です。勉強、研究、仕事などなど…お楽しみに!

さて、あと2週間で新学期ですが…


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